2016/01/20
アートコラム/Column

[コラム]鑑賞者の「アートはよく分からない」旨の感想は、ビジュアル的な要素に魅力を感じないことから発せられた可能性も…

はじめまして、写真家の田尻健二と申します。
この度、縁あってライターを務めさせていただくことになりました。

最初の記事が業界批判のような内容になってしまいましたが、これも生業としておりますカウンセリングという仕事柄、ここに書かれているようなことが、どうしても気になってしまうためです。
今後もこうした心理学的な視点からの批判的な記事が多くなってしまいますこと、予めお詫び申し上げます。

アート業界の、問題の原因を鑑賞者や外部の人に求める傾向

Photo credit: Oberazzi via VisualHunt.com / CC BY-NC-SA

ふだんアートにあまり馴染みのない方のアートに対する印象として「アートは難しくてよく分からない」旨の話を聞きます。
それに対して作家も含めた多くのアート関係者からは、そのような人も含めた世間の人々のアートへの無理解や教養のなさや、アートが普及している国を引き合いに日本の文化レベルの低さを嘆く話を決まり文句のようによく聞きます。

私も作家活動を始めた当初は後者のアート関係者の方々の嘆きをもっともなことだと考え、加えてそれが日本でアート作品がなかなか売れない理由だとも思っていました。しかし実はそうとも言えないのではないかという話を、主に自分自身の鑑賞体験を元に書かせていただきます。

なお今回の記事の内容は、以前に私説:コラージュの優れた脱錯覚作用にも書きましたように、コンセプトを重視するあまり、いつの間にかビジュアルに対する感覚が鈍ってしまっていたことに気づきショックを受けたことの影響も多分にあります。

鑑賞者としての私が「よく分からない」と感じるのは、ビジュアル的な要素に少しも魅力を感じない時に限られる

Photo credit: Dusty J via VisualHunt.com / CC BY>

私は作家活動を始める前からアート鑑賞が好きな人間でしたので、今でも写真に限らず様々なジャンルのアート鑑賞に時間を割いています。
その鑑賞者としての私も多くの作品を鑑賞する中で、やはり「よく分からない」と感じる作品に出会うことが度々あります。

そうした場合でも、これまでは「自分の理解力のなさ」が原因と考えていたのですが、少し洞察的な力を働かせてみますと私が「よく分からない」と感じるのは決まってその作品のビジュアル的な要素に少しも魅力を感じない場合に限られていることが分かります。

 

もっともこの私の反応に対しては例えば「それは私の鑑賞者としての感性が乏しいことにも問題があるのではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、そのご指摘については、そのような考え方自体がビジネスや心理学などの見地からは多分に問題を含んでいることを、鑑賞者その他の方々との関係の問題として、別の機会に書かせていただきます。

視覚芸術に分類されるアートはコンセプトという「思考」の産物の表現手段としては適していない

Photo via VisualHunt.com

話を元に戻しますと、ではビジュアル的な要素に魅力を感じた場合はなぜ「よく分からない」と感じることがないのか?
それはビジュアル的な要素に魅せられ、その感覚を楽しんだことでもう十分満足できるため、特別意識しない限りはコンセプトなど他の要素のことなどは、あまり気にならなくなってしまうためです。

もっともこの私の反応に対しても「作品の最も重要な要素はコンセプトであり、それを軽視する鑑賞の仕方は誤りである」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。
ですがそれについても詳しくは別の機会に譲りますが、コンセプトとは「思考」の産物であり、よってその思考の領域の内容を表現するのに最も適した手段は「言語」であり、また視覚芸術に分類されるアートにはむしろ不得手の領域であると考えています。

 

またこのような理由から、意図したコンセプトが作品からだけでは伝わらない場合には、結局その表現に最も適した言語による説明に頼らざるを得なくなってしまっているのだと考えています。
そしてさらにはその(効率性という観点からは)不適切な手段を使って半ば無理矢理表現を試みることで、結果的に大多数の人にとって非常に難解な作品が生み出され続けているのだとも考えています。

ですから、たとえどれほどコンセプトが重要であったとしても、多くの方から視覚芸術であると認知されている以上、ビジュアル的な要素の魅力を高めることはアーティストに課せられた責務であり、その意識が皆無な作品は単なる知的なゲームに過ぎないように私には思えます。
またコンセプチュアル・アートやそれに類する現代美術の方が伝えようとしている内容の多くは、実は「言説」による方がよほど的確に伝わるのではないかと予想しています。
(但しコンセプト等の言語表記も含めて作品と定義するなら、私の考えは的を得ていないかもしれません)

 

※もっともこの「大多数の人にとって非常に難解に感じられる」という点については、ある性格タイプ(具体的には自己愛的な性格構造)の人にとってはむしろ自尊心を高める効果を有しているため、こうした性格タイプの人が多く集うアート業界で益々隆盛を極めているのでないかと考えています。
以前にそのことについてまとめた記事がございますので、宜しければご覧ください。

「栄光の孤独」の心理に陥りがちな芸術家

代理の満足としてのコンセプトの理解

Photo via Visualhunt

また私の鑑賞体験に対してさらに洞察を進めますと、ビジュアル的な要素に魅力を感じなかった場合にコンセプトのことが気になり出すのは、期待していた満足が得られない欲求不満状態を解消するための、いわば代理の手段であることが分かります。

これは人間には、分からないことが分かる体験をすることによって安心するような満足感を感じる傾向があり、その満足を求めてのことではないかと考えられますが、さらにこの満足感に対する洞察を深めますと「自分は物事を理解できる人間である」つまり賢くなったような気分を味わえるからではないかとも思われます。

 

もし現状ほどコンセプトが重視されていなければ、私は単にガッカリして帰るだけでしょうが、それが非常に重視され、多くの展示においてステートメントに作品コンセプトが書かれるようになってきているため、せめてそこからだけでも何かを得て帰りたい。そうしたニーズが働くのではないかと考えられます。
そしてその代理の満足さえ得られなかった時に感じられるのが前述の「よく分からない」ということです。

視覚芸術としてのアートの主役はビジュアル的な要素であり、鑑賞者の方もそれを一番楽しみにしているはず

Photo via VisualHunt

これまでの考察から、コンセプチュアルアートに多大な関心を寄せ、最初からコンセプトの方を楽しみにしてアート作品を鑑賞している方でもない限りは、本来アートが提供する主たるものであるはずのビジュアル的な要素の表現を楽しみにギャラリーや美術館に足を運ぶ方が多いのではないかと考えられ、またそうした方は私と同じようにビジュアル的な要素に魅力を感じることさえできれば、それだけでかなりの程度満足されるのではないかと考えられます。

 

また、アート鑑賞の主目的はコンセプトの理解であることが共有されていない関係の方から、かつ尊大な態度によってではなく戸惑いがちに「よく分からない」旨の感想が寄せられるのだとすれば、それは気を遣って仰らないだけで実は作品のビジュアル的な要素に対してかなり失望されていらっしゃることが予想されます。

なぜなら実際には不満を感じても、それを口に出してくれる人は極まれのためです。
例えば少し古いデータですが、2000年頃に読んだアメリカのブランディングの翻訳本に書かれていた数字は僅か5%というものでした。

 

冒頭で紹介した「アートは難しくてよく分からない」旨の感想は、コンセプトを前面に押し出した難解な現代美術に対するものであると同時に、ビジュアルを見ても何が良いのかさっぱり分からず、説明を見たりを聞いても同じくさっぱり分からない、だからアートは何が良いのかさっぱり分からない、つまり何の魅力も感じなかったことをも意味していると思われます。

もっともこれに対しても例えば椹木野衣さんや松井みどりさんらが著書で述べているような、スポーツを引き合いにアートを楽しみたいのであれば(実はスポーツのルールとは比べものにならないほど難解な)ルールを理解すべきだと主張する方もいらっしゃると思いますが、そうした考え方は私には鑑賞者の方のニーズをほとんど顧みることのない、自己愛的な性格構造の人に典型的な、極めて自己中心的な考えのように思えます。

 

またそのような自分たちが作り上げたルールを至極当然のように押し付けるかのような態度は、極論すれば自分たちをこの世を司る神や王の如き存在であるかのように錯覚する特権意識へと結びつく危険性さえあるようにも思えます。
実際、自分たちの活動に理解を示さない人々のことを「教養がない」と蔑み小馬鹿にする態度には、すでにその片鱗が見え隠れしているように思えます。
このことについて関連した記事もございますので、宜しければご覧ください。

アートの価値を過大視・神聖視するアートの世界(の本質論)

 

※こうした話は仲間内の愚痴に留まらず、専門書においても教養がない人々を、あるいはそうした人が主流を占める文化レベルの低い日本を啓蒙して変えて行かなければならない旨の主張を見ることも少なくないため、こうした優越的な思想はアート業界の半ば共通認識になっていると考えられます。

今回の考察は、私の個人的な鑑賞体験を一般化し過ぎているきらいはありますが、それでも何かのお役に立てば幸いです。

追伸

今回の記事を作成中は、自分でも不思議に感じながらも、なぜか無性に腹が立って仕方がありませんでした。
その理由は投稿後に気づいたことですが、今回の批判の対象となっている内容のほとんどが、実は自分自身の心の中に今でも少なからず存在するためであったからだと思います。

そしてその自覚がなかったために、いわば他人を代用して(他人に投影して)、実は嫌悪している自分自身をそれと気づかずに攻撃していたのだと思われます。
ですから自分のことを棚に上げ偉そうに他人を批判している私自身も、上述の神か王のように振る舞ってしまっていたのであり、その結果、他者配慮に欠けた容赦のない論調になってしまったものと思われます。
この点、深くお詫び申し上げます。

追伸2)記事をご覧いただいた方の感想から「ビジュアル的な要素の魅力」旨の文言が主に「美しさ」と受け取られたことを知りました。
これについては美しさだけでなく畏怖の念のような恐ろしい感覚も含めて、感情や感覚を刺激される、いわゆる情緒を伴う体験を意図していました。

つまり、それがどのようなものであれ、感情や感覚を刺激されれば、少なくても「よく分からない」「つまらない」という感想には結びつかないはずと考えました。
この点、分かりづらい表現となってしまっておりましたことにつきましても、補足してお詫び致します。

このコラムの筆者の作品はこちら

田尻健二 | thisisgallery | 好きなアーティストが見つかるアート購入・販売サイト

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