エゴン・シーレ

Egon Schiele    
1890年-1918年
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国籍
オーストリア
ジャンル
アーティスト解説
エゴンシーレはオーストリアの画家であり、グスタフ・クリムトらのウィーン分離派を初めとして象徴派、表現主義に影響を受けながらも、独自の画風を確立した画家です。
彼は28歳という若さでスペイン風によって亡くなっていますが、それはまさに彼が画家として成功の道を歩み始めた矢先のことでした。
エゴンシーレはよく「サイコパス」とも言われています。
彼は街で幼い少女たちに声をかけアトリエに連れ込みヌードを描き、逮捕歴があります。
またシーレの家に娼婦などが出入りしてヌードモデルをしていることを近隣の住民が嫌がり街から追い出されたという事件も2度ありました。
そんなシーレと生活を共にしたのが少女ヴァリです。
彼女はシーレを愛し、彼の初期の作品のミューズです。
しかしやがてシーレは中産階級職人の娘、ハルムス家のエーディトと結婚します。
エーディトとヴァリの両方を繋ぎ留めたいと考えていましたがヴァリは去ってしまい、やがてヴァリは23歳の若さで病死します。
シーレの作品の少女たちは大きく体を歪め、様々な色を使って描かれています。彼の作品には感情が表に出てきたような激動や悲しみ、痛みが感じられ、見るものに強烈な印象を与えます。
経歴

    1890年 オーストリア・ハンガリーの首都ウィーン近郊に生まれる。

    1906年 ウィーン美術アカデミーのクリスティアン・グリーペンケール教授の教室に入学。

    1907年 グスタフ・クリムトと個人的に知り合い、ウィーン分離派の影響を受ける。

    1909年 ウィーンの第二回「クンストシャウ」に参加し4点を出展。

    1911年 クリムトのモデルだったヴァリー・ノイツィルとの同棲生活が始まる。

    1912年 未成年者誘拐などの容疑で逮捕される。

    1913年 ミュンヘン分離展に参加、その後個展を開く。

    1914年 エディット・ハルムスと結婚。第一次世界大戦下のオーストリア軍に入隊し、プラハへ。

    1918年 スペイン風邪でエディットが亡くなり、その3日後シーレ自身もスペイン風邪で亡くなる。