棟方志功

Shiko Munakata     
1903年-1975年
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国籍
日本
アーティスト解説
棟方志功は青森県出身の版画家。ほぼ独学で画業を成しながら、20世紀の美術を代表する世界的巨匠となった人です。幼い頃より絵を描くことを好んでいた志功は、18歳の時ゴッホの「ひまわり」に出会い、衝撃を受けます。その絵の生命力と存在感に圧倒された志功が「ワだば、ゴッホになる!」と宣言したというエピソードは、有名です。帝展で何度かの落選を重ねた後、1938年の「勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅」や翌年発表の「二菩薩釈迦十大弟子」などを皮切りに、志功の版画作品は飛躍的に世に知られていくようになります。1950年代以降は、その活躍の場は世界に開けていきました。1955年、1956年には国際的なビエンナーレで最高賞を受賞し、世界各国から招かれて、個展や講義を展開するようになるのです。志功作品の魅力は、その強烈な独特の表現にあります。志功作品には、土着性を感じさせるプリミティブな生命の躍動感と、力強く生き生きとしたダイナミックな迫力が溢れています。鮮烈で強く印象に残る色づかいもその特徴です。その旺盛な制作活動は晩年になっても衰えを見せず、また完成作品についてもより完成度を高めようと模索し続けました。地元青森の棟方志功記念館や青森県立美術館、南砺市立福光美術館などに常設展示があり、「世界のムナカタ」の唯一無二の個性を放つ作品群に触れることができます。
経歴

    1903年 青森県に生まれる。

    1921年 ゴッホ「ひまわり」の原色版と出会い、画家になろうと決意する。

    1928年 油絵「雑園」が第9回帝展に初入選。この頃から版画を始めるようになる。

    1932年 第9回白日会展でF氏賞を受賞、日本版画協会会員となる。

    1936年 「瓔珞譜大和し美し版画巻」を第12回国画会展に出品、日本民芸館の蔵品として買い上げられる。

    1938年 「勝鬘譜・ 善知鳥版画曼荼羅」31柵のうち9柵を第2回文展に出品、版画では初の特選となる。初めての裏彩色作品 「観音経曼荼羅」を日本民芸館第12回特別展に出品。

    1941年 「呵吽譜・二菩薩釈迦十大弟子版画屏風」が第15回国画会展で佐分賞を受賞。

    1952年 第2回国際版画展で「女人観世音板画巻が優秀賞を受賞。下沢木鉢郎らと日本板画院を創立。

    1955年 「釈迦十大弟子」「湧然する女者達々」などが第3回サンパウロ・ビエンナーレで版画部門最高賞を受賞。

    1956年 「三尊の柵」他2点が第6回板画院展で読売金賞を受賞。「釈迦十大弟子」「柳緑花紅頌」など11点が第28回ベニス・ビエンナーレ展で国際版画大賞を受賞。

    1959年 ロックフェラー財団とジャパンソサィティーの招きで渡米、各地の大学で板画の講義と個展を開催。ニューヨークに「棟方ギャラリー」が開設される。

    1960年 クリーブランド美術館主催「棟方志功展」がシカゴ、シアトル、ロスアンゼルスで開催される。青森県褒賞を受賞。

    1963年 藍綬褒章を授与される。倉敷市大原美術館に棟方志功板画館が開館。

    1965年 昭和39年度朝日文化賞受賞。イタリア・フローレンス学士院から名誉会員に推される。ダートマス大学から名誉文学博士号を受ける。紺綬褒章授章。

    1968年 青森市制施行70周年記念式に際し市民功労賞を受賞。

    1969年 青森市名誉市民(第1号)の称号を贈られる。

    1970年 第11回毎日芸術大賞受賞。文化勲章を授与される。文化功労者として顕彰される。

    1974年 鎌倉市に棟方板画館を開館。

    1975年 逝去、同日付で従三位を追贈される。青森市に棟方志功記念館が開館。