オーギュスト・ロダン

François-Auguste-René Rodin    
1840年-1917年
https://i1.wp.com/media.thisisgallery.com/wp-content/uploads/2018/12/rodin-1.jpg?fit=2051%2C1425&ssl=1
国籍
フランス
ジャンル
アーティスト解説
2017年に没後100年を迎えたオーギュスト・ロダンは、「近代彫刻の父」と称される19世紀を代表するフランスの彫刻家です。日本でも「考える人」が有名で、名前を知らない人のほうが少ないといって良い彫刻家です。
ロダンは美術の勉強をするため美術学校の試験を受けるものの、美術学校の試験に3回失敗し、室内装飾の職人として働く傍ら独学で彫刻の道を歩むことになります。
ロダンの作品は伝統的な主題から離れた独創的な作品が多く、サロンに入選した「青銅時代」は、あまりにリアルで緻密な作品だったため、実際の人間から型を取ったのではないかと疑われるほどでした。
また、「考える人」は、同じく世界的に有名な「地獄の門」を構成する群像の一つとして制作されたものであり、「地獄の門」は、彼が生きている間に完成することはなく、未完の作品となりました。
ロダンは、作品にいかに生命を宿すことができるか、という正解のない問いを探求し、モデルの外見だけでなく内面の動きまでをも表現することを追求し続けました。
経歴

    1840年 労働者階級の子としてパリで生まれる。

    1854年 14歳の時に地元の工芸学校に入学する。

    1857年 17歳で工芸学校を退学する。ロダンは学業継続を望み、エコール・デ・ボザールの試験を受けるものの、数度に渡って入学を拒否されたため、室内装飾の職人として働く。

    1863年 修道女の姉マリアがなくなり、姉を追うように修道院に入会し、修道士見習いになることを決意するも、司教から美術の道を続けるよう諭される。

    1864年 動物彫刻家アントワーヌ=ルイ・バリーに弟子入りする。

    1870年 普仏戦争で仕事が減り、ベルギーへ移住する。装飾職人として働きながら独学で彫刻の技法を修練する。

    1875年 イタリアへ旅行し、ミケランジェロの彫刻に衝撃を受ける。

    1877年 『青銅時代』を制作する。

    1880年 国立美術館建設が決まり、モニュメント制作依頼を受ける。『地獄の門』の制作に取り組む。

    1888年 美術館の建設計画が白紙になり、『地獄の門』の制作中止命令が届くが、お金を支払って自分の物として制作を続ける。

    1917年 77歳で、死期の迫ったローズ(73歳)と結婚の手続きをする。その16日後にローズがなくなり、9か月後にはロダンも死去。

関連ページ