クロード・モネ
Claude Monet1840年-1926年
モネはパリで生まれ、5歳の時に家族でノルマンディーのル・アーヴルへ移ります。そこで風景画家ウジェーヌ・ブーダンと出会い、戸外での油絵制作を学び自然の光の美しさに強く惹かれて画家の道を目指します。19歳になったモネはパリで絵を学びたいと考えるようになり、父親の反対を受けながらもパリへ移り美術学校に入学します。そこでモネは、ルノワール、シスレーといったのちの印象派を代表する画家たちと出会い、新しい表現方法を模索していきます。
当時、西洋画は決められた型にはまった作品が認められ、画家として生計を立てるためには国が主催する展覧会である「サロン」で認められることが必須でした。しかしモネはこれまでの形式にとらわれず、新しい絵画の表現を模索していきます。形式的なアカデミックな画風を抜け出すため、目で見た色彩や世界そのままを表現しようと、光の効果を表現した新しい技法を生み出し、印象派として活動を続けます。
モネは自分が見たり、感じる光や空気感までをも表現するために戸外での制作にこだわり、生涯をかけて風景画を描き続けました。自由で大胆なモネの独特なタッチは、時間と共に変化する光や影、空の表情、水面の一瞬の輝きを一瞬たりとも見逃すことなく、素早く描くために生まれたのです。
またモネは鮮やかな光の色彩をキャンバスに再現するために、できる限り色を混ぜず、直接キャンバスの上に並べるように描く斬新な表現を生み出します。モネの名声は徐々に高まっていき、国がモネから作品を買い上げるほどまでの画家へと昇りつめました。晩年になると、モネは視力の低下・白内障に悩まされましたが、それでも制作をつづけ、大作「水連」を描きあげました。
1840年 フランス・パリでモネ家の次男として生まれる。5歳の時セーヌ川右岸の河口ル・アーヴルに移る。
1856年 ウジェーヌ・ブーダンと出会い、絵画の手ほどきを受けはじめる。
1859年 家族の援助を受けて、19歳のときパリに出る。写実主義の画家と出会い、アカデミーに通い始める。
1862年 パリでシャルル・グレールのアトリエに通い、フレデリック・バジール、オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーと親交を持つ。
1868年 ル・アーヴル国際海洋展覧会で金賞を受賞する(10月)。経済問題を抱えており、ル・アーヴルの愛好家ゴーディベール夫妻から援助を受ける。
1870年 カミーユ・ドンシューと結婚。普仏戦争がはじまり兵役を避けるため家族でイギリスに渡る。その後オランダに滞在し、フランスへ戻る。
1872年 ルーアン、ル・アーヴルに滞在し制作活動を行う。
1874年 代1回印象派展が開催される。モネは「印象派」の由来となった『印象・日の出』などの作品を出品する。
1886年 ブリュッセルで開催される20人展に10点の作品を出品する。
1890年 ジヴェルニーに邸宅を購入し、新しいアトリエを整え、庭をつくる。
1923年 1908年頃から視力の衰えを感じはじめ、白内障の手術を受ける。
1926年 ジヴェルニーにて86歳で死去。