ポール・セザンヌ
Paul Cezanne
1839年-1906年
国籍
フランス
アーティスト解説
ポール・セザンヌは、フランスの後期印象派の画家です。古典主義的な造形性と印象派の色彩感覚を融合させた独自の絵画様式を探求し、最終的にポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホと並ぶ三大後期印象派のひとりとして、美術史にその名を残すこととなりました。19世紀の芸術概念から20世紀初頭の前衛美術へ移行する架け橋を築いた画家として評価され、セザンヌが本格的に芸術を志すのは、1861年、パリへ移住してから。カミーユ・ピサロを中心に印象派の画家たちと交流を持ち、印象派として活動します。しかし次第に、色彩の輝きの中に形が溶け出し希薄なものになってしまう印象派の絵画表現に不満を持ち、1878年印象派を脱退。1880年頃には故郷のエクスに戻ります。彼が独自の絵画世界を確立するのはこれ以降のことです。晩年に高まったセザンヌの名声と影響力は、その死後ますます高まり、没後の1907年サロン・ドートンヌで開催されたセザンヌの回顧展は、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、フェルナン・レジェ、アンリ・マティスら後の世代に多大な影響を及ぼすこととなりました。セザンヌの作品は、繰り返し用いられる試験的なブラシストロークが大きな特徴で、平面的な色使いと小さな筆致を使って複雑な画面を作り上げています。単純な形態と平面的な色合いの中で、色調を微妙に変化させることで、対象の広がりや質感を表現するのです。セザンヌはまた、自然の中にある幾何学的要素を単純化して取り出すことに関心を持ち、複数の視点から見たモチーフを集め、色と形を調整して一個の造形作品として再構築する手法を取りました。この、ひとつの対象において複数の表現を同時に提示する表現技法が、そのまま後のキュビズムに受け継がれることとなるのです。
経歴
1839年 南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれる。
1852年 ブルボン大学に入学。
1857年 エクスのドローイング自由私立学校に入学。
1858年 ドローイングを学ぶ傍ら、銀行員である父の希望でエクス大学法学部に通う。
1861年 芸術家を志し、パリへ移る。カミーユ・ピサロやアルマン・ギヨマンら印象派作家と出会い、交流を持つようになる。
1882年 「レヴェヌマン紙を読む画家の父」でサロン初入選。
1878年 印象派から脱退。
1880年 この頃パリから故郷エクスに戻る。これ以降、独自の絵画表現を確立する。
1887年 代表作「サント=ヴィクトワール山」制作。
1895年 パリ・ラフィット街で初個展を開く。
1906年 故郷エクスにて逝去。