イコン
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イコンとはキリスト教において崇敬の対象とされる聖像のことです。古典ギリシャ語の「エイコーン(eikon)」が語源で、特に東方教会で発達した特殊な形式の平面像を指し、スラブ世界からロシアで発展しました。形状は板絵やフレスコ画、写本挿絵、モザイク画など多彩な展開を見せます。イコンの原型となっているのは、「手にて描かれざるイコン」とも呼ばれる「自印聖像」で、これはイエス・キリストが顔を洗い布に押し当てると、その顔が布に写るという奇蹟が起きたという伝承によるものです。8世紀から9世紀前半には、偶像崇拝を禁ずるイスラムの影響などから、聖像破壊運動「イコノクラスム」が起こりました。726年に東ローマ皇帝レオーン3世がイコン崇敬を禁じる「聖像禁止令」を発布、東と西のローマ教会でイコンを巡る対立が激化します。787年には女帝イリナが公会議を招集してイコンの正統性が再確認され、揺り戻しを伴いながらも結局9世紀半ばにはイコン崇拝が復活し、イコノクラスムは集結しました。10世紀頃には正教会におけるイコンの標準的な様式が成立、14世紀には「マケドニア派」「クレタ派」という二つの潮流が生まれました。マケドニア派は、古典ギリシャに由来する観念的要素の強調が特徴で、小さな板イコンよりも壁画など広い面積のイコンに頻繁に用いられました。クレタ派は正教会のイコンにおける主流派で、16世紀に壁画イコン、板イコンいずれにおいても最盛期を迎えました。アトス山にある大ラヴラ修道院の食堂と本堂のフレスコイコンが有名です。伝統的イコンにおいては、人物・動物・事物はすべて神の光に照らされ安らぎに満ち秩序を保った姿として抽象的に描かれます。一方、17世紀以降のロシアに見られる西欧化したイコンは、人体の細部を忠実に写した写実的な描写が特徴です。19世紀には伝統的イコンが再び復興することとなりました。