荒木経惟

Nobuyoshi Araki    
1940年-
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国籍
日本
アーティスト解説
荒木経惟は世界的に有名な日本の写真家です。大学卒業後電通に入社、商業カメラマンとして広告写真を撮っていた荒木は、妻陽子との出会いと「センチメンタルな旅」の自費出版によって、「私写真家」として歩み出すこととなりました。荒木の代名詞は「露出的」「露悪的」。タブーに挑む挑戦的な写真で名声を上げていきます。荒木が意識していたのは、時代の寵児であった同世代の写真家、篠山紀信です。篠山の正統派ヌードへのアンチテーゼとして、私的で親密な関係性の中にある、被写体の内面を曝け出す性とセックスの姿を表現したのです。しかし、ハリウッド女優の呼びかけを発端に世界中に広がった#MeTooの動きを受けて2018年、長年荒木のモデルを務めていたダンサーのKaoRiが、荒木との不均衡で搾取的な関係を告発。元モデル湯沢薫による2017年の告発、モデル水原希子による問題提起などとともに、写真界を揺るがしました。荒木の作品は、オリエンタルでエキゾチックだとの評価を受けています。そうした魅力が内包する問題は、すでに1978年、自身がパレスチナの生まれである比較文学研究家エドワード・サイードが「オリエンタリズム」という概念を提唱して社会に衝撃を与えたものです。東洋は野蛮で未熟で受動的でエロティックな存在として、西洋から支配の欲望と憧れを同時に満たす器として描かれます。時に「ミューズ」と崇め時に「娼婦」と切り捨てる荒木のモデルへの眼差しは、まさにオリエンタリズムの、ミステリアスなロマンと蔑みを対象へ自在に押し付ける、支配の悦びだったのではないでしょうか。現在、写真を学ぶ女子学生たちの間では、蜷川実花と川内倫子の人気が非常に高いそうです。女性が自らの声を持ち自らの表現で自らを語る時代、荒木の行ってきた、物言わぬ女性に憧れと欲望を投影することで野心的な表現を成し遂げようとする芸術は、終わりを迎えているのかもしれません。
経歴

    1940年  東京市下谷区三ノ輪に生まれる。

    1963年 千葉大学工学部写真印刷工学科卒業、株式会社電通入社。

    1964年 「さっちん」で第1回太陽賞受賞。

    1971年 青木陽子と結婚、新婚旅行を撮影した「センチメンタルな旅」を限定1000部で自費出版。

    1972年 フリーとなる。

    1990年 「写真論」「東京物語」で第2回写真の会賞受賞。

    1992年 「空景/近景」で第4回写真の会賞受賞。

    1999年 織部賞受賞。

    2002年 日本全国の人たちの肖像写真を撮影する「日本人ノ顔」プロジェクトを開始。

    2008年 オーストリア政府より科学・芸術勲章受章。

    2011年 安吾賞受賞。

    2013年 毎日芸術賞特別賞受賞。

    2018年 長年モデルを務めたKaoRiの告発により、女性モデルたちへの性的加害や搾取的な関係が表面化する。ニューヨークのセックス博物館において「The Incomplete Araki: Sex, Life, and Death in the Work of Nobuyoshi Araki」開催。