黒川紀章
Kisho Kurokawa
1934年-2007年
国籍
日本
アーティスト解説
黒川紀章は、世界的に活躍した日本のポスト・モダン建築家です。思想家、実業家、政治活動家としての側面もあり、2007年の東京都知事選挙、第21回参議院議員通常選挙に出馬しました。マスコミへの露出も多く、「メディア型建築家」とも呼ばれた人物です。東京大学大学院在学中から師の丹下健三と共に都市計画に関わり、「東京計画1960」では主に交通計画を担当。若き天才建築家として注目を集め、高度経済成長期の日本を象徴するヒーロー的存在でした。1960年の世界デザイン会議を契機に菊竹清訓や槇文彦らと共にメタボリズム・グループを結成し、ダイナミックに新陳代謝する都市のデザインを提唱しました。1970年代はメタボリズムを実践、大阪万博のパビリオンを複数手がけ、カプセルを積極的に取り入れる「中銀カプセルタワービル」や「ソニータワー大阪」などを発表します。1977年の「国立民族学博物館」では落ち着いた「利休鼠」の色を使い、多義的で曖昧な感覚を取り入れた新しい展開への転換点となりました。1980年代以降は「共生」の思想を唱え、中間領域を重視したデザインを試みるようになり、近代建築からポスト・モダン建築へと転換していきます。1990年代には非線形の「フラクタル」的な造形と、円錐形を多用する「アブストラクト・シンボリズム」を展開しました。黒川が建築家人生を通じて提唱してきたコンセプトは、世界的なインパクトをもたらし、建築界ばかりでなく他の分野にも影響を与えるものでした。黒川の活動は世界20ヶ国におよび、2000年以降は、カザフスタン、中国、シンガポールなどの都市計画を手掛けています。2018年サッカー・ワールドカップロシア大会で注目を浴びたサンクトペテルブルクの「クレストフスキー・スタジアム」は、黒川の遺作です。可動式の屋根を備えた全天候型のスタジアムで、「世界で最もモダンなアリーナのひとつ」と評される傑作です。
経歴
1934年 名古屋市に生まれる。
1957年 京都大学建築学科卒。
1964年 東京大学大学院博士課程所定単位修得。
1961年 丹下健三の「東京計画1960」にて主に交通計画を担当。
1965年 高村光太郎賞(造型部門)受賞。
1978年 毎日芸術賞受賞。
1986年 フランス建築アカデミーゴールドメダル受賞。
1988年 リチャード・ノイトラ賞受賞。
1989年 世界建築ビエンナーレ・グランプリ・ゴールドメダル受賞、フランス芸術文化勲章受章。
1990年 「広島市現代美術館」で日本建築学会賞作品賞受賞。
1992年 「奈良市写真美術館」で日本芸術院賞受賞。
1997年 「中銀カプセルタワー」がUNESCO「20世紀世界遺産重要現代建築20」にノミネート。
2002年 国際都市賞(スペイン、メトロポリス協会)受賞。
2003年 第1回世界都市賞受賞。「寒河江市庁舎」がDOCOMOMO Japan 「日本の近代建築100選」に選ばれる。
2006年 文化功労者に選ばれる。「中銀カプセルタワー」がDOCOMOMO Japan 「日本の近代建築125選」に選ばれる
2007年 逝去、正四位旭日重光章受章。
2016年 サッカー・ワールドカップロシア大会のサンクトペテルブルク会場「クレストフスキー・スタジアム」(遺作)が完成。