ダダイズム
Dadaism
ダダイズムとは1910年代半ば、第一次世界大戦中のヨーロッパやアメリカで起きた芸術運動です。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底思想に持っており、既成の秩序や常識に対する否定、攻撃、破壊を大きな特徴としています。ダダイズムに属する芸術家たちをダダイストと呼びます。「ダダ」は辞書から無作為に選んだ意味のない言葉で、1918年ルーマニアの詩人T・ツァラの発表した「ダダ宣言」から反芸術的な文芸運動として始まりました。美術界ではF・ピカビア、K・シュヴィッタース、M・レイらがその先鋭的な主張に刺激を受け、ダダの精神を造形化した作品を矢継ぎ早に発表しました。ダダイズムが従来の芸術運動と大きく異なる点は、それまでの芸術の否定に留まらず「人間の理性」そのものを否定するところです。戦争による破壊と殺人は、人間理性への根源的な疑問を人々の間に呼び起こしました。ダダイストは理性、作為、意識を根本から否定しました。そこで作ろうとしたのが「意味のない芸術」「無意味な芸術」です。切り貼りと寄せ集めによる「コラージュ」「フォトモンタージュ」、その立体バージョンである「アサンブラージュ」などの技法を駆使した作品が展開されました。ダダイズムは爆発的な人気を博しましたが、1919年には早くも行き詰まり、その人気に陰りが見えてきます。ダダの創始者ツァラはフランスの詩人であり文学者であるアンドレ・ブルトンの招聘に応じパリへ移りますが、1922年には決別、ダダも終焉を迎えます。その後ブルトンは1924年に「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」を発表し新たな芸術運動シュルリアリスムを創始。ツァラも後に和解し、シュルリアリスムに加わることとなります。ダダは4年で終わることとなりましたがシュルリアリスムは1945年まで続き、今日のアートシーンにも受け継がれるものとなりました。