エドヴァルド・ムンク

Edvard Munch    
1863年-1944年
https://i2.wp.com/media.thisisgallery.com/wp-content/uploads/2018/12/edvardmunch.jpg?fit=220%2C312&ssl=1
国籍
ノルウェー
ジャンル
アーティスト解説
エドヴァルド・ムンクはノルウェーの画家・版画家で、人間性や生と死に対する不安を主題に、半抽象的な作品を残しました。美術史の中では後期印象派時代の象徴主義や表現主義の作家として位置づけられ、ノルウェー国内においては最初の象徴主義の作家とされています。ムンクの内面不安の表現は、後にシュルレアリスムやフォーヴィスム、ドイツ表現主義など新しい世代の表現主義作家に大きな影響を与えました。現代のポップ・カルチャーにも大きなインパクトを及ぼしています。ムンクが代表作の多くを制作した1890年代のヨーロッパは世紀末と呼ばれる時代であり、ムンクは同時代の画家たちと同様、リアリズムを離れて人間の心の神秘の追求に向かいました。彼らの追求する内面世界は、印象派の明るい世界ではなく、人間の心の暗い闇でした。ムンク作品は生命の内部に潜む愛と死と不安、性や女性に対する根源的な恐怖に満ちています。ムンクは人生の初期に、母と姉という肉親の死に出会いました。母の死後の異常なまでの父の厳しさ、身近な死の実感はムンクの芸術に生涯影響を与え続け、「病室での死」「病める子」など初期の作品においては、直接のモチーフにもなっています。1889年から1892年にかけてパリに留学し、印象派・ポスト印象派・ナビ派など最先端の芸術や、スウェーデンの劇作家ストリンドベリを中心とする神秘主義・オカルト主義などと交流を持ちました。それらの影響を受けつつ、帰国後は「叫び」「不安」「マドンナ」「思春期」など、連作「生命のフリーズ」を構成する代表作を次々生み出していきます。ムンクの表現手法はリアリズムよりも平坦な画面構成、装飾性に向かっており、これはナビ派の画家やグスタフ・クリムトなど同時代のヨーロッパの画家たちと共通する傾向です。また、内面表現の可能性追求において、ゴッホのはるか先まで進んだ画家と評されています。
経歴

    1863年 ノルウェーのロイテンで医師の父のもとに生まれる。

    1868年 母ラウラ・カトリーネ死去。

    1877年 姉のヨハンネ・ソフィーエ死去。

    1880年 王立絵画学校に入学、画家クリスチャン・クローグや作家ハンス・イェーゲルを中心とするボヘミアン・グループとの交際を始める。

    1889年 ノルウェー政府の奨学金を得てパリに留学。印象派、ポスト印象派、ナビ派など最先端の芸術から大きな影響を受ける。

    1892年 ノルウェー帰国。この時期、ベルリンにて「叫び」など数々の代表作を生む。

    1897年 ノルウェー海沿いの村オースゴールストランを拠点に活動。連作「生命のフリーズ」を完結する作品を制作。

    1908年 コペンハーゲンの精神病院に入院。ノルウェー王国政府から聖オーラヴ勲章騎士章を授与。

    1909年 ノルウェー国立美術館(現オスロ国立美術館)で大ムンク展を開催。ムンクの国内評価が確立する。

    1912年  ケルンの分離派展の招待作家となり、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンと並んで特別展示室を与えられる。

    1933年 聖オーラヴ勲章大十字章を授章。フランス政府からレジオンドヌール勲章を授章。

    1937年 ナチスの台頭により、ムンク作品が退廃芸術としてドイツ国内の美術館から一斉に排除される。

    1944年 レジスタンスとの戦闘のあおりで自宅が被害を受ける。その影響で気管支炎を起こし、死去。