猪熊弦一郎

Genichiro Inokuma        
1902年年-1993年年
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国籍
日本
 
ジャンル
アーティスト解説
猪熊弦一郎は香川県生まれの昭和期の洋画家であり、白地に赤で有名な三越の包装紙「華ひらく」のデザインを行ったことでも有名です。
1926年に帝国美術院第7回美術展覧会に初入選し、これ以後、第10回、第14回で特選となるなど、1934年まで主に帝展を舞台に活躍します。
猪熊は一時はフランスに移り、アンリ・マティスの指導を受けました。
この時マティスは「お前の絵はうますぎる」と猪熊に指導し、自らの画風を模索する歳月を過ごしました。
この時代の彼の作品には野獣派と言われるマティスの色彩の影響が多く見られます。
1955年以後ニューヨークで創作をし、作品はだんだんと抽象的表現に向かうことになります。
現代日本美術展で『エントランス』により国立近代美術館賞を受けるなど、活動の場をアメリカと日本の両方で広げていましたが、のちに帰国しています。
また猪熊は猫を非常に愛し、作品にも多くの猫のモチーフを残しています。
写実的なスケッチ、シンプルな線描、油彩画と実にさまざまな形で猫を描いていますが、どれも愛情に溢れた表現です。
晩年は生まれ故郷の丸亀市に作品1000点を寄贈し、これを受けて1991年に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館しました。
1993年に90歳で東京で逝去しました。
経歴

    1902年 香川県高松市に生まれ、丸亀市に転居。

    1922年 東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科に入学し、藤島武二に師事する。

    1926年 「婦人像」で帝展初入選を果たす。その後、「座像」で特選に選ばれるなどし、帝展無鑑査となる。

    1936年 帝展改組をきっかけに小磯良平、脇田和らと新制作派協会を設立。

    1938年 フランスに移り、アンリ・マティスの指導を受ける。

    1940年 第二次世界大戦が勃発し、最後の避難船となった白山丸で帰国。

    1941年 中国に文化視察として派遣され、その後もフィリピン(1942年)、ビルマ(1943年)に従軍画家として戦地へ赴く。

    1950年 三越の包装紙「華ひらく」のデザインを行う。

    1951年 上野駅に壁画「自由」を完成。また、慶應義塾大学大学ホールの壁画「デモクラシー」と名古屋丸栄ホテルホール壁画「愛の誕生」で、第2回毎日美術賞を受賞する。

    1955年 活動の拠点をニューヨークに移し、画風は一気に抽象の世界に移る。

    1980年 勲三等瑞宝章を受章。

    1993年 「祝90祭猪熊弦一郎展」で第34回毎日美術賞を受賞。同年逝去。