レオナルド・ダ・ヴィンチ

Leonardo da Vinci        
1452年-1519年
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国籍
イタリア
 
アーティスト解説
日本の美術史では「万能の天才」といわれるレオナルド・ダ・ヴィンチ。ミケランジェロ、ラファエロと並ぶルネサンスを代表する画家であり、その活動は画家という枠には収まらず、今の私たちの生活にまでも多大なる影響を残した芸術家です。
ダ・ヴィンチは14歳で工房に弟子入りし、絵画や彫刻といった芸術分野だけでなく、設計、化学、金属加工、機械工学といった様々な分野を学びました。その後、ミラノに移り軍事技術者として活躍し、ときには音楽家、都市計画、水利工事など様々な分野で才能を開花させていきます。ダ・ヴィンチのノートにはヘリコプターや洗車の構想、軍事に関わる装置、自動車、天文学、数学といった、ありとあらゆる分野の知識が残されています。このように様々な分野に長け、今の私たちの生活の基盤となるアイディアを数多く生み出したことから、ダ・ヴィンチは「万能の天才」と呼ばれるようになったのです。
ダ・ヴィンチが描いた絵画作品で現存しているものは少ないものの、そのうちの「モナ・リザ」や「最後の晩餐」は、世界で最も有名な絵画のうちの一つに数えられます。ダ・ヴィンチが用いた遠近法や立体表現、解剖学、明暗法、構図は、きわめて精密な自然描写を可能にし、美術史上及び科学・技術史に大きな影響を残しました。
経歴

    1452年 イタリア・トスカーナ地方のヴィンチ村に、フィレンツェの裕福な公証人の父のもと、生まれる。

    1466年 14歳で、フィレンツェでもっともすぐれた工房のひとつを主宰していた芸術家アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りする。

    1482年 30歳から47歳までの間、ミラノで宮廷で画家、彫刻家、建築家、兵器の技術者として活躍する。この間に『岩窟の聖母』『最後の晩餐』を描く。

    1500年 フィレンツェに戻る。

    1502年 チェゼーナを訪れ、ローマ教皇アレクサンデル6世の息子チェーザレ・ボルジアの軍事技術者として従事する。この頃「モナ・リザ」の制作を始める。

    1516年 フランソワ1世に招かれ、フランスのロワール渓谷にあるアンボワーズ城近くのクルーの館を与えられて、晩年を過ごす。

    1519年 クルーの館で死去。

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