亀倉雄策
Yusaku Kamekura
1915年-1997年
国籍
日本
アーティスト解説
亀倉雄策は、戦後日本でまだデザインというものが一般的ではなかった時代に、「グラフィックデザイン」を確立したパイオニア的デザイナーです。亀倉は中学卒業後の1935年、川喜田煉七郎が主宰する新建築工芸学院で、バウハウス流の基礎的な構成理論と方法論を習得。バウハウスは1919年にドイツで設立された工芸・写真・デザインなどの美術・建築に関する学校で、デザインを感性ではなく理論的に構成する教育を行い、世界中に影響を与えた教育機関です。1938年には日本工房に入社、写真家名取洋之助のもと海外向けグラフ誌「NIPPON」の編集に携わり、アート・ディレクターとして研鑽を積みます。1951年には、広告美術を社会的・文化的な意味を担う存在に引き上げるデザイナー団体「日本宣伝美術会」の創立に参画。日宣美は公募展を主催するなど、戦後日本のグラフィックデザインの水準を上げ裾野を広げることに大きく貢献しました。代表作NIKONのポスターシリーズや東京オリンピックのポスターなどが生まれたのも、この時期のことです。東京オリンピックのポスターは国際的にも高い評価を得、1967年の大阪万博、1966年の札幌オリンピック冬季大会の公式ポスターの仕事を経て、亀倉の名は国内外に広く知られるようになりました。企業のロゴやパッケージでも秀逸な作品を数多く残しており、明治チョコレートのパッケージデザインなどは、時代を超えて人々の心を打つ力強さと美しさが際立つ作品です。デザイナーとして活躍する一方、日本グラフィックデザイナー協会の初代会長を1994年まで16年間務めるなど、デザイン界を牽引する中心的な役割も果たしました。没後、遺族の寄付により亀倉雄策賞が創設。亀倉の業績を称えるとともにグラフィックデザインの更なる発展を目指して、1999年より毎年、年齢やキャリアを問わず、最も輝いている作品とその制作者が顕彰されています。
経歴
1915年 新潟県に生まれる。
1928年 旧制日本大学第二中学校(現・日本大学第二高等学校)に入学、フランスのグラフィックデザイナーカッサンドルのポスターに衝撃を受け、グラフィックデザイナーを志す。
1935年 新建築工芸学院に進学、バウハウスの構成理論などを学ぶ。
1938年 日本工房に入社、アートディレクターとして雑誌「NIPPON」「カウパープ」などのアートディレクションやエディトリアルデザインを手がける。
1949年 総合アメリカ研究所のアートディレクターに就任。
1951年 日本宣伝美術会(日宣美)の創設メンバーに加わる。
1960年 日本デザインセンター創立に参加、専務に就任。
1962年 亀倉デザイン研究室を創設。
1964年 東京オリンピックの公式ポスター、大会エンブレムを制作。
1970年 講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。
1978年 日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)創立に参加し、初代会長に就任
1980年 紫綬褒章受章。
1991年 文化功労者に選ばれる。
1996年 ワルシャワ美術アカデミーより名誉博士号を授与される。
1997年 82歳で逝去。
1999年 遺族の寄付により亀倉雄策賞が創設される。