ザハ・ハディド

Zaha Hadid        
1950年-2016年
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国籍
イギリス
 
ジャンル
アーティスト解説
2020東京五輪の新国立競技場コンペにより、日本中にその名が知られたザハ・ハディドは、イラク・バグダッド出身のイギリスの女性建築家。現代建築における脱構築主義を代表する建築家のひとりです。ザハの功績は、独自の革新的なビジョンで、建築そのものの限界を広げ、変貌させたことです。当初、流れるように美しく曲がりくねり複雑で、時として景観から飛び出しているようにも見えるザハのデザインスケッチを、評価する者はいないと誰もが考えました。ザハの名が世界に知られるようになったのは、1983年に行われた「ピーク・レジャー・クラブ」のコンペです。審査委員を務めた磯崎新の推薦によりザハが一等を獲得しましたが、その爆発した建物の無数の破片が鋭い軌跡を宙に残しながら飛び交うような設計案は、実際の建築には至りませんでした。しかしその後もザハはエネルギッシュに案件を勝ち取り、粘り強くプロジェクトを進めていきました。ザハは指導者やチームリーダーとしても優れた力を発揮します。自身の事務所「ザハ・ハディド・アーキテクツ」の若い建築スタッフたちを率いながら、彼らの意欲的な挑戦を支え、プロジェクトの限界を押し広げてきました。かつて「アンビルト(建たず)の女王」の異名を持ったザハデザインは、建築技術の進歩と「ザハ・ハディド・アーキテクツ」の技術蓄積により、今では現実のものとなっています。2004年には建築界のノーベル賞といわれる「プリツカー賞」を、女性としてイスラム教徒として初めて受賞。2016年には女性建築家初のRIBAゴールドメダル受賞しました。建築そのものの、そして女性やイスラム教徒といったマイノリティの可能性を果敢に広げたザハの強い歩みは、後に続く者の勇気と希望の源となることでしょう。
経歴

    1950年 イラク・バグダッドに生まれる。

    1972年 ロンドンのアーキテクチュアル・アソシエーション(AA)スクールに入学。

    1978年 オフィス・オブ・メトロポリタン・アーキテクチャ(OMA)に参加。

    1980年 ロンドンに自身の建築事務所「ザハ・ハディド・アーキテクツ」を設立。

    1980年 1987年までAAスクールで教鞭を執る。

    1983年 香港プロジェクト「ザ・ピーク」のコンペで1等入選となり、斬新な設計案が建築界に衝撃を与える。

    1994年 ドイツ・ヴェイル・アム・ライン「ヴィトラ消防署」完成、ザハの最初の建築されたプロジェクトとなる。ハーバード大学で教鞭を執る。

    2002年 シンガポールの都市計画コンペで勝利。建築における顕著な功績により、大英帝国勲章コマンダー (CBE)受章。

    2004年 ロンドン五輪の水泳会場「アクアティクス・センター」 (ロンドン)を設計。女性初のプリツカー賞を受賞。

    2005年 バーゼルの新カジノ建設計画のコンペで入賞。

    2006年 マギーズ・センターズ、ビクトリア病院内の事務所を設計、ザハのイギリス初の建築されたプロジェクトかつ英国代表作となる。

    2009年 第21回世界文化賞(建築部門)受賞。

    2012年 2020東京五輪「新国立競技場」のコンペで最優秀賞を受賞、設計に当たることとなる。大英帝国デイム・コマンダー (DBE) を受章。

    2013年 2022FIFAワールドカップで使用されるカタールの新スタジアム「アル・ワクラ・スタジアム」を設計。

    2015年 着工予定であった「新国立競技場」の建設計画が日本政府により白紙撤回される。

    2016年 女性建築家初のRIBAゴールドメダル受賞。心臓発作により 65 歳で逝去。