ラファエロ・サンティ
Raffaello Santi1483年-1520年
写実的で優美な曲線を特徴とし、『聖母子の画家』とも呼ばれました。
11歳で孤児となったラファエロはその境遇に屈することなく、幼い頃から地震の才能を発揮していました。
ラファエロの父がまだ存命だった頃、彼はラファエロをウンブリア派の画家ペルジーノの工房に弟子入りさせたと言います。
「おそらくはラファエロほどに師(ペルジーノ)の教えを吸収できる才能を持った弟子はいなかった」と言われるほどに、彼は工房で誰よりも抜きん出た存在でした。
やがて彼はローマに落ち着くまでの間、フィレンツェに長期滞在する間にレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受け、「聖母子」を三角の構成で描く手法を取り入れるなどしました。
37歳という若さで死去したにもかかわらず、亡くなるまでに大規模な工房を経営し数多くの傑作を世に生み出しており、特にローマのヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に多くの作品が残されています。
ヴァチカン宮殿には「ラファエロの間」と総称される4部屋のフレスコ画があり、存命時から高い評価を受けていたラファエロの最盛期の作品の数々を目にすることができます。
彼は工房に多くの弟子を持っていたので、下絵以外の大部分は工房の職人が手がけたものも多く存在します。
1483年 イタリアのウルビーノに生まれる。
1498年 ウンブリア派の画家ペルジーノの工房に弟子入り。
1501年 サン・タゴスティーノ教会祭壇画を制作。
1504年 フィレンツェに滞在する。「聖母の結婚」を制作。
1508年 教皇ユリウス2世に見初められたことで、バチカン宮殿の専属画家となる。
1514年 サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命。
1515年 システィーナ礼拝堂で「奇跡の漁り」、「アテネでのパウロの説教」などを制作。
1520年 高熱により逝去。