川合玉堂
Gyokudo Kawai
1873年-1957年
国籍
日本
アーティスト解説
川合玉堂は、日本の自然とそこで生きる人間や動物の姿を詩情豊かに描いた、近代日本画壇の巨匠です。横山大観・竹内栖鳳と共に日本画壇の三巨匠と呼ばれています。四季の山河と人々の素朴な生活をこよなく愛し、穏やかで平明な風景画を数多く生み出しました。明治6年愛知県に生まれ、京都の望月玉泉、幸野楳嶺など円山・四条派の日本画家に学び、その後上京して橋本雅邦に師事し狩野派の技法を極めます。円山・四条派と狩野派を融和させた独自の境地を開き、高い評価を得ることとなりました。文展開設時には審査員に任命され、以後官展を舞台に作品を発表していきます。東京美術学校教授、帝国芸術院会員など歴任し、多くの後進を育てました。第二次世界大戦中の1944年には、かねてより頻繁に写生に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳に疎開し、住居を「偶庵」、画室を「随軒」と称して終生をそこで過ごしました。この晩年10年の奥多摩生活によって、玉堂芸術は自然と人間と伝統画法とが溶け切ってひとつになるところに進んだと言われます。玉堂の晩年作品は、平和でのんびりとしたあたたかい雰囲気に満ちています。里山の自然や人間のささやかな営み、生活の余情を愛した玉堂。その芸術の到達点がそこにあったのでしょう。
経歴
1873年 愛知県に生まれる
1890年 「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」が第3回内国勧業博覧会に入選。「玉堂」と号する。
1907年 第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命される。
1915年 東京美術学校日本画科教授を拝命。
1917年 帝室技芸員に任じられる。
1931年 フランス政府からレジオンドヌール勲章を授章。
1933年 ドイツ政府から赤十字第一等名誉章を授章。
1940年 文化勲章を授章。
1944年 東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開、住居を「偶庵」、画室を「随軒」と称する。
1957年 逝去。勲一等旭日大綬章を叙勲(没時叙勲)。