サンドロ・ボッティチェリ
Sandro Botticelli1445年年-1510年年
ボッティチェッリは本名ではなく、兄が太っていたことから付いた「小さな樽」という意味のあだ名です。
『ヴィーナスの誕生』と『プリマヴェーラ』といった名作を残し、初期ルネサンスを開花させた人物のうちの一人です。
生涯のほとんどをフィレンツェで過ごし、フィリッポ・リッピの下で修業していました。
彼はここで中世的な宗教画や神話画の製作を手掛け、その後も古典的な題材の作品を多く残しています。
ボッティチェリは早くからその才を認められ、のちに自分の工房を持った際はメディチ家の後援を受けたことで、フィレンツェの街を華やかに繁栄させることになります。
「春」や「ヴィーナス誕生」といった題材は、古典文化の再生を目指したルネサンスの思想を受けたもので、まさに当時のフィレンツェそのものを表しています。
しかし約20年間にわたり権力者メディチ家の支配下にあったフィレンツェもフランスの侵略でやがて衰退を始めます。
それと同時にボッティチェリも表舞台から姿を消していきました。
晩年はサヴォナローラの宗教的影響を強く受け、最盛期の華やかな表現は消え去り、神経質な表現へと作風は一変しています。
1445年 フィレンツェのヌォーヴァ通り(現ポルチェッラーナ通り)に4人兄弟の末っ子として、誕生した。
1464年 プラート大聖堂の礼拝堂にて一連のフレスコ画《聖ステファノと洗礼者聖ヨハネ伝》を制作中であったフィリッポ・リッピの下で修業をした。
1470年 師匠フィリッポ・リッピが亡くなり、26歳で自分の工房を開く。特にメディチ家の注文を多く受け、数々の名作を世に送り出す。
1475年 『東方三博士の礼拝』を製作。
1477年 1477年から1478年にかけて『プリマヴェーラ』を製作。
1481年 システィナ礼拝堂の壁画制作のためローマへ向かう。
1485年 『ヴィーナスの誕生』を製作。
1510年 フィレンツェで死去。