ブルーノ・タウト

Bruno Julius Florian Taut        
1880年-1938年
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国籍
ドイツ
 
アーティスト解説
ブルーノ・タウトはドイツの建築家、工芸家です。1910年ライプツィヒ国際建築博覧会で発表した「鉄の記念塔」、1914年ドイツ工作連盟ケルン展での「ガラス・パヴィリオン」が表現主義の代表的作品と評価され、1924年から携わったブリッツのジードルング(住宅団地)で国際的な評価を受けるに至りました。1930年には、シャルロッテンブルク工科大学(現:ベルリン工科大学)の教授に就任します。革命への憧れをもっていたタウトは1932年から1933年までソ連で活動しますが、その間にドイツではナチスが政権を掌握。帰国したタウトは親ソ連派の「文化ボルシェヴィキ主義者」という烙印を押され、職と地位を奪われてしまいます。タウトは急遽スイスに移動、ヨーロッパからトルコのイスタンブールを経由し、再びソ連に入って極東のウラジオストックに到達。日本インターナショナル建築会からの招待を機に日本に亡命、晩年はトルコで迎えています。日本滞在中は、仙台の商工省工芸指導所、高崎の達磨寺境内の洗心亭、群馬県工業試験場高崎分場などで工芸指導に当たり、家具や漆器など日本の素材を生かしたモダンな作品を手掛けました。タウトは京都・桂離宮を再評価し、世界に広めた最初の建築家でもあります。桂離宮と日光東照宮を対比させ、前者に日本の伝統美を見出し、「ニッポン」「日本美の再発見」などを著述。中でも「画帖桂離宮」は、桂離宮の再評価を決定付けた重要な一冊です。また数寄屋造りの中にモダニズム建築に通じる近代性があることを見出し、伝統と近代という問題に取り組む日本人建築家たちに大きな影響を与えました。熱海の商人・日向利兵衛の別邸では地下室のインテリアデザインを担当し、日本の伝統工芸とヨーロッパ近代の精紳を融合させたモダンな世界を作り上げました。「日向別邸」は日本に現存する唯一のタウトの建築で、2006年には重要文化財に指定されています。
経歴

    1880年 ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルクに生まれる。

    -----年 ケーニヒスベルクの建築学校を卒業。 ブルーノ・メーリンクの設計事務所、テオドール・フィッシャーの設計事務所に勤務する。

    1909年 自身の建築設計事務所を開業。

    1924年 住宅供給公社ゲハークの主任建築家となり、ジードルング(集合住宅)建築に注力する。

    1930年 シャルロッテンブルク工科大学(現:ベルリン工科大学)の教授に就任する。

    1932年 翌年までソ連で活動。

    1933年 ナチス政権から親ソ連派の烙印を押され職と地位を剥奪されることとなる。日本に亡命。

    1935年 仙台、高崎などに滞在、工芸指導に当たる。「熱海・日向邸」地下室部分のインテリアを設計。「画帖桂離宮」などを著述。「緑の椅子」をデザイン、試作。

    1936年 トルコのイスタンブール芸術アカデミーの教授に就任。アンカラ大学文学部など教育機関建築の設計、イスタンブール郊外の自宅など、精力的に活動する。

    1938年 トルコ・イスタンブールにて逝去。

    2018年 山形の家具メーカー・天童木工の技術協力により「緑の椅子」が復刻。少林山達磨寺より販売予定。