東山魁夷
Kaii Higashiyama
1908年-1999年
国籍
日本
アーティスト解説
東山魁夷は、情感にみちた静謐な風景画を数多く描き、戦後を代表する国民的日本画のひとりと言われています。横浜に生まれ神戸に転居。兵庫県立第二神戸中学校、東京美術学校、ドイツのベルリン大学で学び、在学中よりその才能を表します。戦後、1947年の第3回日展で「残照」が特選を受賞したことが転機となり、風景を主な題材に独自の表現を追求する道を進みました。続く1950年に発表した「道」は、単純化を極めた画面構成に自身の心象を昇華した、新しい境地を示すものです。北欧、ドイツ、オーストリア、中国などに取材し、平明ながら深い精神性を備える作品を精力的に発表していきました。「東山ブルー」と称される深い青が特徴的です。ことに、東京美術学校1年生の夏休みに初めて訪れた長野県を「作品を育ててくれた故郷」と呼んで愛し、長野の美しい四季と自然にインスピレーションを得た風景画を数多く制作しています。1973年、67歳の時には、奈良・唐招提寺の障壁画「山雲」「濤声」「揚州薫風」「黄山暁雲」「桂林月宵」に挑みます。魁夷は青森龍飛崎から山口県青海島まで、およそ1500 km、8か月にもおよぶスケッチ旅行で鑑真の渡った日本海の姿を掴み、偉業を成し遂げた高僧・鑑真に対する慰撫と鎮魂を画面に描き出しました。また「充実した無の世界」と自身の表現する「黄山暁雲」は、千変万化する山の姿を墨の濃淡で鮮やかに描き、畢生の大作となりました。この障壁画を手掛けたことにより、魁夷は国民的日本画家と呼ばれるに至るのです。
経歴
1908年 横浜市に生まれる。
1926年 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学。
1929年 最初の展覧会出品作「山国の秋」が第10回帝展に入選。
1933年 ドイツのベルリン大学(現フンボルト大学)に留学。
1939年 「冬日」が日本画院第1回展にて日本画院賞第一席を受賞。
1940年 「季節と高原」が日本画院賞第一席を受賞。
1941年 「自然と形象」が日本画院賞第一席を受賞。「山三題」が第3回大日美術院展で大日美術院賞第二席を受賞。
1947年 「残照」が第3回日展で「残照」が特選を受賞。
1956年 「光昏」が日本芸術院賞。
1969年 毎日芸術大賞、文化勲章、文化功労者。
1975年 唐招提寺御影堂の第一期障壁画「山雲」「濤声」奉納。
1980年 唐招提寺第二期障壁画「黄山暁雲」「揚州薫風」「桂林月宵」完成。
1981年 唐招提寺鑑真和上像厨子絵「瑞光」奉納。
1984年 西ドイツ最高栄誉であるプールルメリット学術芸術院会員となり、ボンで会員章を大統領臨席の下で授与。
1999年 逝去、従三位勲一等瑞宝章を贈られる。