伊藤若冲

Jakuchu Ito     
1716年-1800年
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国籍
日本
ジャンル
アーティスト解説
伊藤若冲は江戸中期の画家です。克明な写生による写実的表現と鮮やかで装飾的な色彩表現を融合し、独特の画風を完成させました。動植物、特に鶏の絵で有名です。若冲は1716年、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれました。23歳の時父の死去に遭い、4代目として店を継ぎます。若冲は当主として家業を担いつつ商売にはあまり熱心でなく、芸事にも酒にも興味を示さずただ絵ばかりを楽しんでいたと言いますが、40歳となった1755年、家督を3歳下の弟に譲り、はやばやと隠居し画業に専従することとなりました。代表作「動植綵絵」30幅は、隠居後の1758年頃から約10年かけて描かれたものです。鳥、鳳凰、草花、魚介類など多種多様の動植物が、様々な色彩と形態のアラベスクを織り成す華麗な作品で、綿密な写生に基づきながらもどこか近代のシュルレアリスムにも通じる幻想的な雰囲気とおかしみが漂います。当時の最高品質の画絹や絵具を惜しみなく使用しているので、200年以上たった現在でも色褪せず、描かれた時の鮮やかな色彩を伝えます。「動植綵絵」24幅は後年、末弟の死去を機に「釈迦三尊図」3幅と共に、相国寺に寄進されることとなりました。若冲はこの他にも、鹿苑寺大書院の旧障壁画や金刀比羅宮奥書院の障壁画「花丸図」、西福寺の襖絵「仙人掌群鶏図」など、寺院の壁を飾る大作を手掛けています。若冲のもうひとつの魅力は、「蝦蟇河豚相撲図」「鶴図屏風」「付喪神図」などに見られるユーモラスで大らかな表現です。最晩年には、「菜蟲譜」に見られる小さな命への慈しみと愛情に溢れたあたたかな世界へと昇華していきます。生前高い人気を誇っていた若冲は、明治以降埋もれた存在となっていましたが、1990年代後半以降、アメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションになどによりその卓越した技巧や画面構成が再評価され、飛躍的に知名度と人気が高まっています。
経歴

    1716年 京・錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれる。

    1739年 「枡屋」4代目を襲名する。

    1755年 家督を弟に譲り隠居、絵師に専念する。

    1758年 代表作「動植綵絵」の制作を開始する。

    1759年 京都・鹿苑寺(通称金閣寺)の大書院障壁画を制作。

    1765年 末弟の死去を機に、「動植綵絵」24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進する。

    1788年 天明の大火により自宅を焼失、大阪滞在の時期を経て深草石峯寺門前に隠居する。

    1789年 大阪・西福寺の襖絵「仙人掌群鶏図」を制作する。

    1800年 逝去。隠居先の石峯寺に葬られる。

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