ジャン・フランソワ・ミレー
Jean-Francois Millet
1814年-1875年
国籍
フランス
アーティスト解説
ジャン=フランソワ・ミレーはフランスの画家で、バルビゾン派の創設者のひとりです。写実主義運動の一部として位置づけられ、農民の日常生活や労働を描いた作品で知られています。肖像画などで画家としての仕事を開始しますが、1845年のパリ移住後、転機を迎えます。後にバルビゾン派として活躍する画家たちと交友を持ち、1848年のサロンでの「箕をふるう人」初入選を契機に農民画家へ転向、翌年の1849年にはバルビゾン村へ移住して本格的に農民画を描くようになるのです。当時のフランスでは地方の農村生活者を低く見る傾向があり、地味で暗い労働を描いた作品よりも、ドラマティックでスキャンダラスな歴史画や宗教画が高く評価されていました。ミレーの作品は政治批判と受け取られて保守的な批評家から酷評を受けるなど、なかなか理解されませんでしたが、「額に汗し、泥にまみれ、大地で働く姿を描くことこそ人間の尊厳を表すものだ」という理想のもと、こつこつと制作を続けていきます。1864年「羊飼いの少女」をサロンに出品すると、幅広い支持と絶賛を受け、これを機にミレーの評価は一気に高まりました。それ以降ミレーは多くの発注を受けるようになり、1867年のパリ万国博覧会では一室を与えられて9点の代表作を展示、国民的巨匠としての名声を確立します。ミレーの作品の特徴は、農民の生活に向き合いその姿を真摯に捉えたところにあります。農民の謙虚な生活と労働こそが人間の尊厳の姿であるとの信念を貫き、ありふれた日常の営みを、宗教画や歴史画に匹敵する作品にまで引き上げたのです。ミレーの作品は、後のヨゼフ・イスラエルスやフィンセント・ファン・ゴッホ、ジョルジュ・スーラなどに影響を与えました。特に初期のゴッホにおいては重要なインスピレーション源となり、ゴッホはミレーの「種を蒔く人」をもとに同名の作品を数点描いています。
経歴
1814年 フランス・ノルマンディー地方グシュシーの農家に生まれる。
1833年 シェルブールの画家ムシェル、ラングロワのもとで修業を始める。
1837年 パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学、歴史画家ポール・ドラローシュの下で学ぶ。
1848年 農民画「箕をふるう人」がサロンで好評を博し、政府注文を受けることになる。
1849年 パリで起きた「六月事件」をきっかけにバルビゾンに移住する。
1850年 「種をまく人」「藁を束ねる人」がサロンで話題となる。
1853年 「刈り入れ人たちの休息」ほか2点をサロンに出品、二等賞を受賞する。
1857年 サロンに「落穂拾い」を出品、保守的な批評家から政治的であるとして激しく批判を受ける。
1864年 「羊飼いの少女」をサロンに出品、幅広い支持と絶賛を受け、これを機に評価が一気に高まる。
1867年 パリ万国博覧会で一室を与えられて9点の代表作を展示。国民的巨匠としての名声を確立する。
1875年 60歳で逝去。