ミース・ファン・デル・ローエ

Mies van der Rohe, Ludwig    
1886年-1969年
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国籍
ドイツ(1886年-1944年)アメリカ(1944年-1969年)
ジャンル
アーティスト解説
ミース・ファン・デル・ローエは20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身のアメリカの建築家です。ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれます。「Less is more」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail」(神は細部に宿る)といった標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献しました。ミースの建築的特徴は、ヨーロッパの伝統的な古典主義と近代工業の合理主義を徹底化し純化することで、両者の結合を成し遂げたところにあります。ミースの追求した直線による造形は、古典主義の純化でありながら近代生活の多様性にも応じる自在な空間を生みます。ミースの提唱する「ユニヴァーサル・スペース」という概念は、空間の用途を限定しない均質な四角い箱としての構造体が内部の自由な使い方を可能にするという考え方です。1929年に行われたバルセロナ万国博覧会でミースが設計したドイツ館「バルセロナ・パビリオン」は、鉄の柱とガラス、大理石の壁で一切の装飾を排した幾何学的抽象的表現を行い、モダニズム建築の思想を実現したものとして、建築史上重要な位置づけとなっています。この時ミースがデザインしたバルセロナ・チェアも、モダンデザインの傑作として有名です。1930年にはドイツの美術・建築学校「バウハウス」の校長に就任し、規格化・数値化により合目的性・経済性・科学性を重視するデザイン教育を進め、ドイツ国内のみならず世界的に大きな影響を与えました。しかし3年後にはナチスによりバウハウスが閉鎖、ミースはアメリカに亡命することとなります。アメリカでは水平屋根による建築とガラスと鋼材による超高層建築の2つの系列に連なる作品を発表しました。前者の代表作が有名な「ファンズワース邸」、後者の代表作がニューヨークの「シーグラム・ビルディング」です。
経歴

    1886年 ドイツ・アーヘンに生まれる。

    -----年 ドイツ・アーヘンの職業訓練学校で製図工の教育を受ける。

    1906年 ブルーノ・パウルの事務所、ペーター・ベーレンスの事務所に勤務。

    1912年 独立。

    1927年 ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加。ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらと共に、実験的な集合住宅を建設する。

    1929年 バルセロナ万博にて「ドイツ館」「バルセロナ・パビリオン」を設計。同館のために「バルセロナ・チェア」をデザイン。

    1930年 代表的傑作「チュゲントハット邸」を発表。バウハウスの校長に就任。

    1933年 ナチスによりバウハウスが閉鎖される。

    1938年 アメリカに亡命。

    1938年 シカゴ・アーマー大学(後のイリノイ工科大学)建築学科の主任教授に就任。クラウン・ホールをはじめとする同大学のキャンパス計画を手がける。

    1944年 アメリカ市民権獲得。

    1950年 ファンズワース邸設計。

    1952年 リーバ・ハウス建築。

    1958年 シーグラム・ビルディング建築。

    1964年 シカゴ連邦センタービル建築。

    1968年 ベルリン国立美術館・新ギャラリー建築。

    1969年 シカゴにて逝去。

    1986年 「バルセロナ・パビリオン」復元。ミースの記念館となる。