俵屋宗達

Sotatsu Tawaraya    
1570(推定)年-1642(推定)年
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国籍
日本
ジャンル
アーティスト解説
俵屋宗達(たわらやそうたつ)は桃山時代の末から江戸時代の初期にかけて活躍した画家で、出自ははっきりしていませんが、京都の富裕な町衆(まちしゅう)だったとされています。
通称は野々村宗達で、号には「伊年(いねん)」や「対青軒(たいせいけん)」を用いていました。

宗達は町絵師という自由な立場だったこともあり、流派や形式にとらわれない独自のスタイルで、生き生きとした新しい構図や技法を生みだします。
宗達が生み出した技法の中でも特に有名なものが、色面のにじみを用いて質感を表現する「たらし込み」の手法です。
その一方、宗達はいまでこそ本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と並ぶ「琳派の祖」と言われていますが、明治期まではあまり高く評価されておらず、このため、日本を代表する近代絵画の巨匠であるにもかかわらず、その生涯には不明な点が多く、生没年もはっきりとは分かっていません。

けれど、宗達が町の絵師としては異例の「法橋(ほっきょう)」の地位を与えられていたことや、上皇から屏風絵の注文を受けていたことを考えると、当時は一流の絵師と認められていたのは明らかです。
また、宗達は弟子たちや近しいものはもちろん、江戸中期に登場し、のちに江戸時代を代表する画家となる尾形光琳に大きな影響を与えました。尾形光琳によって確立された新しい技法は琳派(りんぱ)と呼ばれていますが、ときに宗達光琳派と呼ばれることもあります。
経歴

    -年 京都で「俵屋」の屋号で絵屋(今でいう工房)を率いて扇絵を制作

    1602年 「平家納経(へいけのうきょう)」(国宝)の修復および表紙と見返しの装飾を描く

    (不明)年 「四季草花図和歌巻」(重要文化財)を制作

    1615前後年 「蓮池水禽図(れんちすいきんず)」(国宝)を制作

    1620前後年 京都の養源院(ようげんいん)の「松図襖」および「異獣図杉戸」を制作(重要文化財)

    ~1630年 町の絵師としては異例の高い地位、「法橋」の位を与えられる

    1630年 後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)の依頼を受け、3双の金屏風を制作

    (不明)年 「風神雷神図」(国宝)を制作

    (不明)年 「関屋澪標図(せきやみおつくしず)」(国宝)を制作

    (不明)年 「舞楽図(ぶがくず)」(重要文化財)を制作