アルフォンス・ミュシャ

Alfons Maria Mucha    
1860年-1939年
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国籍
チェコ
ジャンル
アーティスト解説
ミュシャはチェコの画家、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして、19世紀、広告・ポスター・装飾パネル・ブックデザインなど幅広いジャンルで活躍しました。アール・ヌーヴォーを代表する巨匠として知られ、典型的なアール・ヌーヴォー様式を基礎に、視覚的な美しさと高いデザイン性を実現しました。草花をモチーフとした幾何的な文様や曲線を多用した平面的で装飾的な画面構成、モデルの女性や象徴的小道具など対象の個性や特徴と画面の様式美を両立させる独自の対象表現が特徴です。ミュシャの転機は1894年、当時の著名な舞台女優サラ・ベルナールが主演する戯曲「ジスモンダ」のポスターを手がけ、成功したことです。それ以降サラ・ベルナールの舞台ポスターをはじめとし、煙草の巻紙「ジョブ」、鉄道会社による観光客誘致「モナコ・モンテ・カルロ」などの商業ポスター、ノベルティカレンダーや装飾パネルを次々と制作していきました。作品内に施された視覚デザインの工夫も的確で、ミュシャはデザイナーとしても高く評価されています。一方、油彩画でも宗教的信仰心やスラブ民族愛の色濃く反映された傑作を残しており、特に晩年期に制作した連作「スラヴ叙事詩」は生涯の中でも屈指の大作と評価されます。ナチェコスロヴァキア共和国を解体したナチスドイツ、戦後樹立された共産党政権などからミュシャの民族愛は警戒され、その作品は長いこと黙殺されてきましたが、1968年のプラハの春など民主化の動きや世界的なアール・ヌーヴォー再評価とともに、あらためて高い評価を受けることとなりました。ミュシャ作品は明治時代の日本にも伝えられ、当時の先進的なアーティストたちは強い関心を持って受け止めました。与謝野鉄幹らによる新芸術雑誌「明星」の挿絵や与謝野晶子の歌集「みだれ髪」の表紙などに、ミュシャの影響を色濃く見出すことができます。
経歴

    1860年 チェコスロバキア南方モラヴィアのイヴァンチッツェに生まれる。

    1884年 ミュンヘン美術学校に留学。古典的な写実的表現を会得する。

    1887年 ミュンヘン美術学校を卒業後、パリに向かう。

    1894年 女優サラ・ベルナールが主演する戯曲「ジスモンダ」のポスターを手がけ、一躍時代の寵児となる。

    1895年 サラ・ベルナールと六年間のポスター制作契約を結ぶ。以降、精力的に戯曲のポスター、商業ポスター、装飾パネルなどを制作する。

    1900年 パリ万博開催、ミュシャ様式に代表されるアール・ヌーヴォーが世界に広まる。

    1910年 故郷チェコに定住。

    1911年 晩年の国家的名作、連作「スラヴ叙事詩」の制作に取り組む。

    1939年 肺炎によりチェコで逝去。