アール・ヌーヴォー
Art Nouveau
アール・ヌーヴォーは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパ中を駆け巡った国際的な美術運動です。意味としては「新しい芸術」。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる装飾性が特徴で、当時台頭していた鉄の「まっすぐさ」とは一線を画すものになっています。建築や工芸品、グラフィックデザインなどに多く使用されました。アール・ヌーヴォーという言葉は、実は実際のお店の名前です。美術商のサミュエル・ビングの店名が、それぞれの国で言葉を変え、後の世界まで影響を及ぼす英術運動になったのです。その先駆けは、サミュエルより前、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を推奨したウィリアム・モリスと言えるでしょう。産業革命に端を発する創造性の枯渇を憂い、生活の妙ともいえる装飾への運動を推奨していきました。それがフランスへ、そしてヨーロッパ中へと波及し、フランスのアール・ヌーボーはもちろんのこと、「ウィーン分離派」(オーストリア)、「スティレ・リベルティ」(イタリア)、「モデルニスモ」(スペイン)、「スティル・サパン」(スイス)、「スティル・モデルヌ」(ロシア)などとして、認められるようになりました。とくに1900年のパリ万博は、アール・ヌーヴォーの真骨頂ともいえます。今見ることができるもので、もっとも象徴的なのは、エクトール・ギマールによって1900年に実現されたパリ地下鉄の出入口でしょう。