エゴン・シーレとは?「死と乙女」などの代表作品や人生を徹底解説!
映画から読み解く
若き天才画家エゴン・シーレの人生
第一次世界大戦前にクリムトと並んで活躍した、初期表現主義を代表する画家、エゴン・シーレ。
極端にねじれた身体造形と表現主義的な線が特徴的で、女性のヌードやセルフ・ポートレイトといったスケッチ作品を多く残しました。
まだタブー化されていたヌードを大胆な構図で描き、常にスキャンダラスが絶えなかったシーレは、幼児性愛者で近親相姦歴や逮捕歴があったことでも有名です。
28歳という若さでこの世を去った悲劇の画家としての印象も強いですね。
今回はそんなエゴン・シーレの人物像と代表作について、話題の映画『エゴン・シーレ 死と乙女』のシーンを交えながら、分かりやすく解説します。
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エゴン・シーレのアート表現
当時タブー視されていた部分をあえて積極的に描いたシーレ。
彼は「死」や「性行為」など倫理的に避けられるテーマをむしろ強調するような作品を制作しました。
当時、裸体や性を描くことが問題視されるという傾向は減りつつありましたが、彼の描く表現は非常に過激すぎるということで、全く世間には受け入られませんでした。
しかし、どんなに周囲からの酷評を受けても、彼は描くことをやめようとはしませんでした。
映画『エゴン・シーレ 死と乙女』
2017年1月28日にエゴン・シーレの生涯を描いた映画『エゴン・シーレ 死と乙女』が公開されました。
公開される前はそこまで注目される画家ではありませんでしたが、その後、実際に劇場に足を運んだ人たちの口コミで広がり、注目が集まります。
物語は、20世紀初頭に活躍した異端の天才画家エゴン・シーレの半生を描いた伝記ドラマになっており、登場人物を思わせるキャスト、当時を忠実に表現した演出になっています。
多くの女性と関係をもったシーレですが、特に大きな存在となった2人の女性、妹ゲルティとヴァリとの濃密な日々が描かれています。
エゴン・シーレの経歴・人生
エゴン・シーレの生い立ち
オーストリア・ハンガリー首都ウィーン近郊トゥルンで生まれ、父親は鉄道員で二人の姉と4歳年下の妹ゲルトルーデ(通称ゲルティ)がいました。
子どものときシーレは電車が好きで、電車の絵を描いて過ごすことが多く、絵に対する入れ込みに心配した父親がスケッチブックを破り捨てるほどだったといいます。
11歳のときシーレはクレムス近郊の町へ移り、中学校に入学します。
恥ずかしがりやで無口だったシーレは、体育と美術以外では成績がいつも悪く、低学年の生徒たちと授業をすることもありました。
父の死 画家としてのスタート
シーレは15歳のときに父親を梅毒で亡くし、その後、母方の伯父のレオポルドに育てられました。
伯父は跡を継いでもらうためシーレが大学に進学することを望んでいましたが、シーレがアカデミズムにまったく関心がないことに悩み、シーレの絵描きの才能を認め美術学校への進学を後押ししたのでした。
1906年にシーレはウィーンのクンストゲヴェルベ美術工芸学校に入学しますが、初年度に複数の教員の推薦によって名門美術学校であるウィーン美術アカデミーへ転入することになります。
シーレが合格した1906年の翌年と翌々年には、同じ大学をアドルフ・ヒトラーが受験し不合格になっています。
アカデミーでのシーレの教師は、非常に厳格で保守的なスタイルクリスチャン・グリーペンカールでした。
グリーペンカールはシーレと相性が悪く、アカデミックな教育に反発したシーレは3年ほどで退学してしまいます。
妹ゲルティとの近親相関的関係
シーレは中学生ぐらいから、妹のゲルティと近親相姦的にあったとされ、実際に妹のヌードデッサンを多数残しています。
シーレと妹の怪しげな雰囲気に気づいた父は、一度シーレと妹がいる鍵のかけられた部屋を打ち破って入り、彼らが何をしているのか確かめたことがあるとか…(そのときは二人で映画制作をしていただけでした)。
16歳のときに12歳の妹と電車でイタリアにでかけホテルで一泊したこともあったそうです。
彼が残した数多くのスケッチが、ゲルティとの関係を物語っています。
人生の転機 クリムトとの出会い
1907年、シーレはウィーン美術アカデミーの先輩でもあり、若者に対して寛大だったグスタフ・クリムトのもとへ弟子入りします。
クリムトについて詳しく知る↓
師弟関係は良好で、クリムトはシーレの作品を購入したり、自身の作品と交換したり、見込みのありそうなパトロンを紹介してあげていました。
貧しいシーレがモデルを雇う代金を立て替えてやることもあったそうです。
この頃シーレは妹のゲルティに執着し、彼女をモデルとしたヌードをはじめ多くの絵を描きました。
その後、クリムトの紹介でウィーン分離派とつながりのあった美術工芸工房「ウィーン工房」に入ったシーレは、翌年1908年にクリムトの協力で最初の個展を開催します。
ウィーン分離派とは?
シーラの師匠クリムトが、保守化した展示制度に不満を抱き、若い芸術家たちとともに保守体制から分離した造形美術協会のことです。
セセッション(分離派)というこの運動は、保守化、形骸化した古い美術機構からの分離という形で発足し、過去の様式にとらわれない、自由で国際的な芸術表現を目指しました。
ドイツ圏内で盛んに行なわれたこの芸術革新運動で生まれた斬新的な表現や効果的な色彩とフォルムを利用した点は、20世紀のモダンデザインに大きな影響を及ぼしました。
アカデミー時代の表現の制約からやっと自由になることを許されたシーレは、積極的に人型だけでなく性表現の探求、またフランス印象派の影響のもと表現主義の方向へスタイルを移行していきます。
シーレの作品はもともと斬新でしでしたが、クリムトの装飾エロティシズムと表現主義的な歪みを取り入れることで、さらに大胆で前衛的になっていきました。
運命のミューズ「ヴァリ」との出会い
妹ゲルティとの関係が生きずまりになったときに出会ったのが、金髪の青い目を持つヴァリ(当時17歳)でした。
映画「エゴン・シーレ 死と乙女」では、ヴァリはクリムトからモデルとして紹介されたとありますが、クリムトのモデル兼愛人説、またもう一説では彼が街で声をかけて出会ったという説もあります。
というのも、妹ゲルティとの関係がぎくしゃくしだしたころから街や家の前で女性に声を掛けアトリエに誘い込んでいたようです。その後、シーレはヴァリとウィーンで同棲を始めます。
2度の引っ越し
シーレはヴァリと共に、狭苦しく喧騒的なウィーンから離れ、シーレの母の故郷であった南ボヘミアのチェスキー・クルムロフへ移りました。
この町はシーレの家族とつながりが深い保守的な田舎であったにもかかわらず、シーレは町の若い娘たちに声をかけ、ヌードモデルの仕事をもちかけます。
それが住民から強い反発を買い、追い出されるようにして町から引っ越すことになります。
2人が次に選んだ芸術制作の場所は、ウィーンから西へ35キロ離れた場所にあるノイレングバハの町でした。
懲りずに家の前で女の子たちへのナンパをやめないシーレのアトリエは、町の不良少女や娼婦のたまり場となり、またもやシーレは町の住民から反発を買ってしまいます。
誘拐・淫乱の罪で逮捕
1912年4月、シーレは未成年少女(14歳)と一晩を明かしてしまい、誘惑や淫行の疑いで逮捕されます。
シーレのアトリエに家宅捜索に入った警察官は、数百点ものスケッチ画を押収。
裁判の結果、未成年の誘惑と拉致、および未成年がアクセスしやすい場所に猥褻な画を陳列したという罪状で有罪判決が下され、シーレは24日間の拘留と3日間の禁錮刑の判決を受け、投獄されることになりました。
彼は無罪を主張しましたが通らず、裁判官の一人は彼の目の前で作品を燃やすという挑発的な行為をしたと言われています。
エディトとの結婚
ヴァリとの同棲開始から3年経った1914年、シーレは近所に住んでいたアデーレとエディトという姉妹に恋をしました。
彼女たちは中産階級のプロテスタントの家庭で、裕福な暮らしをしていました。
シーレはヴァリを捨て社会的な信用を得るために令嬢エディトとの結婚に踏み切ります。
彼はヴァリに結婚の理由を説明し、結婚した後も関係を続けようと説得しますが、ショックを受けたヴァリはシーレのもとを去り、以後二度と会うことはありませんでした。
シーレはその後も妻の姉アデーレとの関係を持つなど、複数の女性と関係を続けていたようです。
しかし、彼を愛した女性たちが幸せを掴むことができなかったように、彼もまた画家としての絶頂期に悲劇的な最後を迎えることになります。
晩年 画家としての成功
エディトとの結婚のわずか3日後に第一次世界大戦が始まりました。
シーレも徴兵されますが芸術家という理由で戦前に立たされず、後方で捕虜収監所の看守の仕事に就いていました。
戦争が終わり、再びウィーンに戻ったシーレは芸術活動に再び専念します。
芸術家として成熟期に入り始めていた彼は、918年にウィーンで開催された分離派の49回目の展示に招待されました。
シーレは展示会のポスターのデザインも担当し、ポスターを含む彼の作品は高く評価されます。
展示会で成功をおさめたシーレの評価が好転すると、彼のポートレイト絵画が多く売れるようになりました。
28歳 突然の死
そんな中、妻エディトが大戦前後に流行していたスペイン風にかかり、シーレの子供を宿したまま、1918年10月28日に死去。
シーレも同じ病に倒れ、彼女を追うように10月31日に亡くなりました。
やっと作家人生が歩める、その矢先の出来事でした。
エゴン・シーレの代表作品
「アントン・ぺシュカ」1909年
アントン・ペシュカという人物はウィーン工房での同級生でありエゴン・シーレの親しい友人でありました。
そんな彼を描いた作品《アントン・ペシュカ》はアール・ヌーボー様式の油彩画で、1909年にはサザビーズで7百万ポンド以上の値段がついたとされています。
「ほおずきの実のある自画像」1912年
シーレの最も有名な自画像がこちらの作品。
シーレが22歳の時に描かれた一枚です。他の自画像よりも歪みが少ないですが、まるで怪我をしているような顔の色彩と質感はエゴン・シーレの画風ならではのものです。こちらを見据えたような眼差しは彼の画家人生の集大成を表した、自信と輝きに満ちています。
「黄色い街」1914年
エディトとの結婚生活が安定した頃、シーレはヌード画やポートレイト作品以外にも多くの風景画を描きました。
代表的なのがこの「黄色い街」。ゴールドのような美しい荘厳な黄色はクリムトからの影響も伺えます。住宅が密集している風景ですが、人の姿は伺えません。
「左足を高く上げて座る女」1917年
エゴン・シーレのドローイングの最高傑作とも言える作品がこちら。
妻のエーディト・ハルムスを描いた一枚で、鑑賞者を直接見つめているような視線が強烈です。現在はチェコのプラハ国立美術館に所蔵されています。
「死と乙女」1917年
エゴン・シーレの代表作「死と乙女」は、同棲していたヴァリとの別れのシーンを描いた作品と言われています。
絵の中でシーレは死神として描かれ、ヴァリがシーレに縋りつく様子が描かれています。
ヴァリは彼と別れた後、従軍看護婦としての訓練を受けクロアチアに派遣されるも、1917年、23歳の若さで派遣先で病死してしまいました。
自分の勝手な行動から生まれた愛する女性との悲劇を、ここまで美化して描いてしまうエゴン・シーレの感性と才能が伺えます。
エゴン・シーレの画集
エゴン・シーレ: ドローイング 水彩画作品集
エゴンシーレの水彩画とドローイング約350点を年代順に収録した作品集。
シーレ研究専門家による詳しい解説や詳細な作品データがついている、彼の集大成の画集です。彼の生い立ちや考え方についても詳しく書かれているので、シーレファンなら必見の一冊です。
エゴン・シーレ (自作を語る画文集:永遠の子ども)
若き天才画家のリアルな姿を、シーレ本人のリアルな言葉から探ります。
芸術に対する情熱を綴った詩文から、困窮の生活費を無心する手紙まで、本人の書簡や日記を収録。また、手紙の中で言及される作品を中心に集めたオリジナル画文集です。掲載図版は100点にも上るシーレの入門書です。
まとめ
いかがだったでしょうか。
時代を駆け抜けた天才画家エゴン・シーレを紹介しました。
天才・サイコパスと称される画家・アーティストには、犯罪と言われても仕方ないような遍歴、女性関係の噂が付きものですが、エゴン・シーレはまさにその代表格と言っても過言ではありません。
彼の作品は、彼を愛した女性たちによって完成したと言えるでしょう。
シーレの常識とかけ離れた人間関係や思想を覗いてみると、不思議と惹きつけられる彼の絵に隠された魅力が見つかるかもしれません。
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