岡本太郎とは?代表作品「太陽の塔」と画家の人生について分かりやすく解説
岡本太郎ってどんな人?
日本を代表する画家として有名な岡本太郎。
「芸術は爆発だ!」の名言でもお馴染みですね。
大阪万博の「太陽の塔」や奇抜な配色の絵画、奇妙な形のオブジェを連想する方が多いのではないでしょうか?
ですが、彼を単なる「奇抜な画家」「変なおじさん」と称してしまうのは大きな間違い。
岡本太郎は芸術の枠を超え、私たちに生きる意味を問いかけている画家です。
今回は、あなたの知らない岡本太郎の魅力についてご紹介します。
岡本太郎がどんな人生を送り、なぜ芸術家となったのか?
彼は作品を通じて私たちに何を訴えているのか?
岡本太郎の生い立ちについて振り返りながら、その秘密に迫りたいと思います。
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岡本太郎の生い立ち
1.幼少期と母”かの子”の存在
岡本太郎は、漫画家の父・一平とお嬢様育ちの小説家の母・かの子との間に神奈川県川崎市に生まれました。
才能に恵まれた両親のもとで芸術的刺激を受けながら幸せな生活を送っていそうなイメージとは程遠く、岡本太郎の家庭は崩壊していました。
酒と女にお金をつぎ込んだ放蕩者の一平。
かの子は次第に病んでいき、ある日自殺未遂をしてしまいます。
それをきっかけに一平は心を入れ替え浮気をやめますが、今度はかの子が恋人を作り、なんと家族と同居することを認めさせます。
かの子はその後も次々と男性遍歴を重ねてきました。
このような経験から太郎は物心ついた頃には独身主義を誓うようになったと言います。
太郎は慶應義塾大学幼稚舎(小学校)に1年生として入学しました。
しかし太郎はここへ入学する前に別の小学校を1年で退学しています。
つまり慶應義塾大学幼稚舎は2回目の1年生でした。
退学の理由は、太郎の「自我の強さ」「妥協できない性格」が原因だったようです。
そんな性格もあってか、幼少期から絵を描いていた彼は芸術の道へと自然に足を進めるようになります。
文学は学問の知識がなければいけない、音楽は歌がうまくないとダメ、しかし芸術は何をやったって良い。
と彼は語っています。
自分の志を貫き通す型破りな岡本太郎にとって芸術とは最も身近なものだったのでしょう。
そして、絵の才能を認められ東京美術学校(現在の東京藝術大学)に進学した太郎ですが、「芸術は教えるものではない」と言い、すぐに退学してしまいました。
2.渡仏、そして「ピカソを超える」
東京美術学校(今の東京藝術大学)を退学し、岡本太郎が向かった先はパリでした。
ルーブル美術館の膨大な数の芸術作品に岡本太郎は感銘を受けます。
その中でも、最も彼の魂を揺さぶった画家がピカソでした。
太郎は絵画を見て涙を流したことが二度あると言います。
一度目はルーブル美術館のセザンヌ、そして二番目はピカソの静物画「水差しと果物入れ」です。
ピカソの抽象画を見て、彼はピカソに闘志を燃やすあまり「アンチピカソ」を公言しました。ピカソに本当に感動し、
ピカソを超えてやる、自分を超えていく。
と心に刻んだのです。
絵を売るためには時代に画風を合わせていかなければいけないなどという考えは持ち合わせず、自分が表現するものを自由に描くピカソの抽象画は、それまで誰も成し得なかった偉業でした。
岡本太郎は実際にピカソに対面もしています。太郎はピカソのことを、
巨匠の威厳のようなものはなく、優しい印象で無邪気な子供のような印象だった。
と伝えています。
普段はアトリエに人を入れないピカソですが、太郎はアトリエに招かれたそうです。
ピカソと岡本太郎は互いに親しみを感じていたようです。
太郎は10年間をパリで過ごしました。
その中で「何のために絵を描くのか」ということを追求し、パリ大学では芸術家としては無関係の民俗学も学びます。既成の「芸術」という分野の枠にとらわれない、岡本太郎らしい選択です。
一見前途洋々なパリ留学のように見えますが、太郎は留学中にかなり苦悩しました。
芸術家として認められたいという野心ばかりが先行していることに気づいた彼はやがて、営利目的や名誉ではなく、自分の情熱をただ純粋に爆発させることこそ自分のやるべきことであると学びました。
一方で、母かの子は太郎をパリへ残しロンドンやベルリンを外遊し帰国します。
しかしながら数年後脳溢血で倒れ49歳で生涯を閉じてしまいました。
3.岡本太郎と「戦争」
芸術家としての道を順調に進んでいく太郎でしたが、「第二次世界大戦」が彼の運命を大きく変えます。
ナチスドイツのパリ侵攻で帰国を余儀なくされ、日本へ帰国。
日本に帰国後、すぐに延期していた徴兵検査を通り徴兵されます。
年齢はすでに30歳と20代前後が多い現役初年兵の中では高齢でしたが、配属先は中国・湖北省にある応城という街で、自動車部隊として物資の輸送などの任務を命じられます。
戦場では、欧州帰りの自由主義者とみなされ、特に規律の厳しい中隊に配属され、連日の厳しい訓練を受けます。
華やかなパリ生活から、一転してこの無慈悲な環境。
まさに天国と地獄を地で味わったわけである。
もう声も立てることができない、苛酷な初年兵教育がはじまる。
「わが2等兵物語」『文芸春秋』1957年4月
30歳を過ぎていた太郎ですが、若い兵士たちが次々と倒れる中で一度も休むことがなかったといいます。
やがて戦争が終わり日本へ帰国しますが、自宅に残していた作品の多くは消失。
交流のあった川端康成の家を頼ったりして生活をする時期もありました。
軍隊生活4年。
収容所での1年。
あの5年間、私は冷凍されていたような気がする。
わが人生であれほど空しかったことはない。
太郎は戦争を振り返り、こんな言葉を残しています。
その後、太郎は東京都世田谷区上野毛にアトリエを構え、ふたたび制作に励みます。
4.”前衛芸術家”岡本太郎
20世紀は各国の芸術に「前衛」「アヴァンギャルド」の波が押し寄せ、日本でも様々な前衛芸術グループが誕生します。
「絵画の石器時代は終わった」と新聞に大々的に宣言し、日本美術界のあり方を全否定したのでした。
太郎は第28回二科会に、パリ滞在時に製作した作品「傷ましき腕」「コントルポアン」を出展し、二科賞を受賞します。
1947年には花田清輝らと「夜の会」を結成し、前衛美術運動を始めました。
この「夜の会」の由来は、太郎が1946年に第32回二科展に出展した作品「夜」に由来しています。
自身の展覧会を開催するなど敗戦の悲しみの残る日本で岡本は勢力的に活動しました。
5.最大のパートナー”岡本敏子”との出会い
またこの頃、平野敏子と出会います。
「岡本敏子あっての岡本太郎」とよく言われ、岡本太郎との関係は複雑でも生涯よきパートナーであったことは間違いありません。
彼女は、世間における岡本太郎の評価を決定付け、作品製作にも多大な貢献をします。
岡本太郎死後に、彼が再評価されたのは敏子さんの功績であったと言っても過言ではありません。
しかし、なによりも岡本太郎の心の拠り所でした。
岡本太郎は一生独身を貫き、彼女を養女としました。
太郎が一生独身を貫いた背景には、フランスで培った自由恋愛・独身主義という思想とがあると言われています。
しかし、その根本的な原因は、自由奔放な母親ではないかと言われています。
また、妻より養女の方が自身の死後に全財産を相続できるという考えもあったからだとも言われています。
6.岡本太郎と「沖縄」
岡本太郎は、日本全国を旅して多くの記録写真を残しました。
民俗学に造詣の深かった岡本太郎を魅了したのは「沖縄」です。
写真集『岡本太郎の沖縄』には、岡本太郎が撮影した写真が太郎の力強い言葉とともに掲載されています。
忘れられた日本、現代人が押しやってしまった日本がここにある。
ここが〝ほんとうの日本〟なんだ。
生涯をかけて「日本とはなにか」を考えつづけた太郎は、沖縄を訪れ、直感的に思ったそうです。
まだ日本に返還される前の沖縄、生活の根源的感動にあふれ、生きる人々の痛切な生命の優しさ。
これこそ、オレたち自身なんだぞ、日本そのものなんだぞ。
太郎が撮った〝ほんとうの日本〟は、後世に伝えるべき貴重な文化遺産です。
7.太郎と「縄文」
日本の民俗学を研究していた岡本太郎は、ある日「縄文土器」に美術的価値を見出します。
縄文土器はそれまで考古学的資料の対象として見られていましたが、その芸術としての美しさや魅力を日本人で初めて世界に伝えたのは岡本太郎でした。
読売新聞の1976年の記事には、
戦後のある日、私は、心身がひっくりかえるような発見をしたのだ。
偶然上野の博物館へ行った。
考古学の資料だけ展示してある一隅(いちぐう)に、不思議なものがあった。
ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表情だ。
とその時の印象を語っています。
彼はその後、縄文土器論『今日の芸術 時代を創造するものは誰か』を発表しました。
これまで誰もその価値を見出してこなかった縄文土器を、彼は芸術の域に高めたのです。
8.「太陽の塔」の誕生
大阪万博博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」。
しかし、岡本にとってこのテーマは納得のいくものではありませんでした。
実は万博博覧会会場の「太陽の塔」は日本建築界の巨匠・丹下健三氏が設計した大きな屋根から突き出る形で設置されました。
それは岡本が丹下健三氏の大屋根を見て、
あいつをボカンとぶち破りたい。
調和なんて卑しい、本当にぶつかり合わなければ調和など生まれない。
と言い、あえて大屋根を突き抜ける形で設計されたからなのです。
そして、「太陽の塔」は大阪万博博覧会終了後も永久保存されることとなりました。
また、2018年3月には太陽の塔の内部公開が始まりました。
大阪万博当時の展示を再現、という事で大きな話題となり、入場チケットは即sold out。
事前予約制での公開のため、土日は特にチケットの入手が困難になっています。
9.「明日の神話」
「太陽の塔」と同時期に、岡本太郎が製作した巨大な作品がもう一つあります。「明日の神話」です。
この作品はメキシコシティの建築中のホテルから依頼されて、太郎が1968年~1969年にかけて製作した壁画です。
太郎は「太陽の塔」を日本で製作するかたわら、壁画の制作のために度々メキシコへ向かっていたのでした。
しかし壁画がほぼ完成する頃にホテルの経営状況が悪化し、ホテルが人手に渡ると同時に壁画も経営者の手から離れてしまいました。
その後転々と人の手に渡る中で、壁画の行方がわからなくなってしまったのです。
2003年、メキシコの資材置き場で「明日の神話」は発見され、実に30年以上の時を経て壁画は日本へ輸送されることとなりました。
日本に到着した「明日の神話」は、汐留日テレプラザで一般公開され、現在は京王井の頭線渋谷駅連絡通路に設置され、誰でも見ることのできるパブリックアートとなっています。
「明日の神話」に描かれているのは、原爆が炸裂する悲劇の瞬間です。
戦争の悲惨さを後世に残すこの壁画はピカソの「ゲルニカ」に影響を受けています。
太郎はこの残酷な歴史を乗り越え、新たに明日の神話が生まれることをメッセージとして伝えているのです。
10.「芸術は爆発だ!」
岡本太郎は、1950年代からバラエティ番組やクイズ番組に出演し、その大胆な発言や不思議な物言いから人気を博すようになります。
日本テレビバラエティ番組「鶴太郎のテレもんじゃ」で生まれたのが
「芸術は爆発だ!」「何だこれは!」
と言ったお決まりのフレーズで、流行語にもなりました。
太郎はこの時、共演した片岡鶴太郎の芸術の才能についても見出しています。
岡本太郎は「芸術は爆発だ」とテレビ番組で叫んでいたおじさんだと記憶されがちです。
しかし 彼が遺したこの言葉には深い意味があります。
「芸術は爆発だ」とは、爆弾のように大きな音を立てて破壊をするという意味ではなく、「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと」と太郎は語っています。
そして「人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべき」であり、それが人間の本来の生き方だと太郎は伝えています。
さらには1970年代以降、その個性的なキャラクターから様々なCMにも出演しています。
11.岡本太郎の没後
岡本は患っていたパーキンソン病よる急性呼吸不全により慶應義塾大学病院にて死去しました。
満84歳でした。
「死は祭りだ」と言い葬式を嫌っていた彼へ配慮し、葬儀は執り行わず、お別れの場として「岡本太郎と語る広場」が開かれ、太郎が生涯に残した絵画が数多く展示されました。
ここには敏子が墓石として選んだ太郎の1967年の作品「午後の日」が飾ってあります。
現在は多磨霊園に父の一平、母のかの子、養女の敏子とともに眠っています。
岡本太郎は、生前に多くの作品を自身が生まれた川崎市に寄贈していました。川崎市はその作品を展示し、「川崎市岡本太郎美術館」を開設。
また、青山の自宅兼アトリエだった場所は、現在「岡本太郎記念館」として公開されています。
死後も岡本太郎の人気は衰えることを知らず、2011年には「生誕100年 岡本太郎」展が東京国立近代美術館で開催され、彼の名言を集めた書籍は今も多くの人に生きる勇気を与えています。
いかがでしたか?
岡本太郎の壮絶な人生エピソードから、作品が生まれた背景が少しでも理解できたのではないでしょうか。
ここからは、岡本太郎の言葉が刺さる、おすすめの関連書籍をご紹介します。
岡本太郎の言葉が刺さるおすすめ著書
1.「自分の中に毒を持て」
才能なんて勝手にしやがれだ。
だめ人間なら、そのマイナスに賭けてみろ。
…単なる芸術家としてではなく現代の私たちの生き方を見つめなおさせてくれる岡本太郎。
この本を読めばどんな人も一度立ち止まって人生とは何なのかを考えることになるでしょう。
口コミ
”これまで出会った芸術関係の本の中で、ゴッホの手紙と同じく最も深く心魂に響きました。”
”多くの日本人に読んで頂きたい、真なる芸術家・岡本太郎さんの箴言に満ちた素晴らしき芸術論です。”
2.「自分の運命に楯を突け」
ベストセラー「自分の中に毒を持て」の姉妹本です。
この本にも岡本太郎の人生の格言が詰まっています。
「どう生きるか」を公言し続けた彼がいつまでの色褪せない魂に語りかける言葉です。
口コミ
”日本人に岡本太郎がいてくれたことは、僕にとってとてつもなく大きな救いだ。”
”死後、数十年たっても、心を揺さぶられます。
どうしてだろう?
一言一言、一文一文がとてつもなく重い、そして熱い。”
3.「自分の中に孤独を抱け」
孤独である自分、未熟である自分に胸を張れ。
「自分の中に毒を持て」「自分の運命に楯を突け」に続くシリーズ第三弾です。
岡本太郎が生前各媒体で発表してきた原稿を、はじめて書籍化したものです。
第一弾、第二弾同様に岡本太郎の信念が感じられる、そんな一冊です。
口コミ
”こんなに共感できる本は始めてです!
自信がないとき、不安だなと思う時に読んで勇気をもらっています(^_^)
生き方を深く考え、一生を通して読み続けたいと感じられる一冊です!”
”今まで、数あるジャンルの本、かなりの数の書籍を拝読して参りましたが、
読んでる最中に涙が止まらない本は最初で最後だと思います。
読めばわかります。”
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