マルセル・デュシャンとは?現代アートの父と呼ばれた芸術家の生涯と代表作品を分かりやすく解説
ピカソ、マティスと並び「20世紀美術に最も影響を与えた芸術家の一人」と言われる芸術家、マルセル・デュシャン。
彼の遺した作品の少なさと、その難解さから、ピカソやマティスに比べ日本での知名度は高くありませんが、「レディ・メイド」をはじめとする彼の作品は、それまでの芸術のあり方に疑問を呈し、現代アートへの道を切り開きました。
今回は、美術界に衝撃を与えた彼の作品を振り返りながら、マルセル・デュシャンが「現代アートの父」と呼ばれる所以を探っていきます。
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マルセル・デュシャンとは?
マルセル・デュシャン(1887〜1968)は作品「泉(1917)」(下)を発表し、美術界に衝撃を与えたフランス人芸術家です。
デュシャンは、既製品の男性用便器に自分のサインを書き、「泉」というタイトルをつけて展覧会に出品。
たちまちこの作品は問題となり、「既製品の便器は芸術なのか」という論争を引き起こしました。
人々は「こんなものは芸術の筈がない」と批判すると同時に、「芸術とは何なのか?」という根本的な問題に向き合うことになります。これこそがデュシャンの狙いでした。
「目で見る芸術」から「観念の芸術」へ。
「泉」は芸術という概念を覆し、この出来事をきっかけに、その後の芸術は大きく変わっていきます。
作品を見た鑑賞者が思考を巡らし、そこで初めて作品が完成する「作品と鑑賞者の対話」こそがアートだと考えていたデュシャン。
彼は「思考する」ことを目的とした難解な作品を制作し、ダダやシュールレアリスムのアーティストに協力するなど美術界に影響を及ぼしましたが、1923年以降はほとんど作品を発表しなくなります。
専ら趣味のチェス競技に没頭し、1968年パリ郊外で永眠しました。
マルセル・デュシャンの生涯
14歳頃から絵画を学ぶ
1887年、フランス・ノルマンディーの裕福な家庭に生まれたデュシャン。
7人兄弟のうち2人の兄は芸術家で、デュシャンも兄たちの影響を受けて、14歳の頃から本格的に絵画をはじめました。
当初は印象派風の風景画を描いていましたが、高校を卒業するとパリへ移住。
すでにアート界で活躍していた兄たちと合流し、キュビスムの一派「ピュトー派」に参加します。
フォーヴィズム風の作品や、キュビスム、未来派の影響を受けた絵を描きました。
キュビスムのグループ展に出展
キュビスムに傾倒していたデュシャンは、1912年、人体の運動をキュビスムで表現した「階段を降りる裸体No.2」(上)を発表します。
しかしデュシャンが参加していたビュトー派の保守的グループは、「階段を降りる」という運動を表わした作品名が、当時ライバルとして意識していた未来派を連想させるとして、タイトルの変更を求めました。
これに憤慨したデュシャンはグループ展への出品を取り下げ、ビュトー派からも去ります。
これ以降、彼は絵画の制作をほとんど放棄してしまいます。
ニューヨークにアトリエを構える
仲間からは批判を受けた「階段を降りる裸体No.2」ですが、1913年、ニューヨークのアーモリー・ショーに展示されると、「ヨーロッパ最先端の芸術」として賛否両論をよび、脚光を浴びました。
これがきっかけとなり、1915年にニューヨークにアトリエ(上)を構え、アメリカとフランスを行き来しつながら、主にアメリカのニューヨークで革新的な作品を展開していきます。
1913年、逆さの車輪を椅子に固定しただけの「自転車の車輪」を発表。
これがデュシャンが発明した、既製品にほんの少し手を加えて提示する「レディ・メイド」作品の最初期の作品です。
彼はその後もレディ・メイド作品を次々に発表します。
作品を通して「芸術とは何か」を世に問い、後の芸術家に大きな影響を与えました。
チェスに没頭する日々
1923年以降、デュシャンはほとんど作品を発表しませんでした。
彼は突然「チェスプレーヤーになる」と宣言し、チェスに没頭します。
チェスの腕前は、国際大会でフランス代表として活躍するほどでした。
自身の過去作品に関連したコンセプトメモ集や、ミニュチュアコレクションを発表することはありましたが、周囲からは「彼はもう作品は作らないだろう」と思われていました。
晩年には「芸術を捨てた芸術家」といわれるようになり、1968年、休暇中にパリ近郊のアパートで永眠します。
ところが彼の死後に遺作が発見され、美術界は騒然となります。
死後の評価
発見されたのは「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」(上)という作品。
壁に古い扉が設置され、扉の覗き穴から作品が見える仕掛けになっており、一人ずつしか作品を観ることはできません。
穴を覗くとレンガの壁の裂け目から広い空間が広がり、手前には顔の隠れた裸の女性が、仰向けに足を広げて横たわっています。その手にはガス灯が握られており、背景には湖と森、遠くには滝が見えます。
デュシャンは20年以上かけ、この作品を誰にも知られることなく制作してきたのです。
この作品は何を意味しているのか。
この女性は誰なのか。
この作品をめぐって人々は未だに思考を巡らせ、さまざまな解釈を試みています。
マルセル・デュシャンの作品の特徴
既製品をアート化するユーモア
20世紀初頭、芸術家たちは「作家の手で創り上げた唯一の作品で、美しく高尚なもの」という前提のもと、表現活動を行なっていました。
デュシャンはそれまで当たり前とされてきた芸術の概念に疑問を抱き、芸術品を無条件に崇拝するような風潮に異議を唱えます。
彼はどこにでもある既製品を作品として展示し、「レディ・メイド」と呼びました。
特に美しくもなく印象にも残らないような、あえて「無関心」なものを選び、展示空間に提示する。
すると鑑賞者はその意味を解読しようと試み始める。
デュシャンはその行為こそが芸術であると考えました。
レディ・メイドによって「芸術とは何か」という問題提起をし、「考える芸術」という、芸術の新しい定義を生み出したことこそ、彼が「現代アートの父」と呼ばれる所以なのです。
人体を機械的にデフォルメした表現
デュシャンは、幼い頃から「動き」に興味を持ち、それを絵画としてどう表現するかを常に考えていたといいます。
彼の生まれた当時、世界は機械文明の発達により産業発展と工業化が進み、「人間もいつかそのシステムの中に組み込まれていくだろう」と予感していました。
そうした時代背景があり、デュシャンは人間の身体を「運動する機械」として表現することに行き着きました。
「階段を降りる裸婦No.2」などの油彩作品のほか、未完のレディ・メイド作品「大ガラス」(後述)でもデュシャンは人体を機械として表現しています。
マルセル・デュシャンの代表作品 ※はレディメイド
汽車の中の悲しげな青年(1911)
キュビスムに関心を抱いていたデュシャンが、「運動中の身体のイメージ」を連続的に表現した初めての作品です。
キュビスムの手法でデフォルメされた汽車の中で、行ったり来たりする青年は、パリからルーアンへ帰る汽車の中でパイプを吸うデュシャンのセルフポートレートです。
キュビスムを「簡略化した線の反復」と理解していたデュシャンは、列車の動きと、悲し気な青年の動きのふたつの動きを並行表現しました。
階段を下りる裸体No.2(1912)
1913年ニューヨークのアーモリー・ショーで反響を呼び、デュシャンの出世作ともなった本作。
対象を一度解体して再構築するキュビスム的な表現を基本としながら、「動き」や「時間」の要素を取り入れました。
連続写真からインスピレーションを得て、人物のイメージを連続して重ねることで、「動き」「時間の経過」をキャンバス上に表現しました。
この作品は、ピカソの「アヴィニョンの娘たち(1907)」と並日、現代美術への扉を開いた作品と言われています。
花嫁(1912)
パリのアンデパンダン展(1912)で「階段を降りる裸体No.2」を仲間から批判されたデュシャンは、キュビスムのグループを抜け、次のステップに進みつつありました。本作はその頃の作品です。
当時デュシャンは機械に深い興味を示しており、本作では「花嫁」を機械に置き換えて表現しています。
様々な形や大きさの立体物は臓器、それをつなぐ細い管は血管のようにも見えます。
彼が後に発表したレディ・メイド作品「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも」の習作とも言われています。
Tu’m(1918)
油彩画を描かなくなっていたデュシャンが5年ぶりに描いた本作は、デュシャンの後援者、キャサリン・ドライヤーの依頼により、本棚の上の壁に掛けるために制作された帯状の細長い油彩作品です。
画面を左から見ていくと、「自転車の車輪」をはじめとするデュシャンのレディ・メイド作品の影が描かれており、この影は実際にレディ・メイドの影をキャンパスに写して、鉛筆でなぞったものです。
タイトルの「Tu’m」は「お前は私を退屈させる」の意味で、「お前」は依頼者のキャサリンや油絵、「私」はデュシャンを指すといわれ、辞めていた油絵を描かされた皮肉が込められていると解釈されています。
自転車の車輪(1913)※
本作は、自転車の前輪を取り外し、木製の台所用の椅子の上に逆さまにしてネジ留めしただけの作品です。
「キッチンのスツールに自転車の車輪を取り付けて、回してみるのを楽しんだ」と回想しているように、偶然出来上がったものでした。
この作品は、デュシャンが既製品を作品化した初の「レディ・メイド」で、同時に、動く芸術「キネティック・アート」の最初の作品でもあります。
本作が展示されたとき、デュシャンは鑑賞者に車輪を回してみるように勧めたそうです。
彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも(通称「大ガラス」、1915~1923) ※
1915年、デュシャンはニューヨークにアトリエを構え、レディ・メイド作品を発表しながら、通称「大ガラス」と呼ばれる作品を制作していました。
高さ約2.7メートルの2枚の透明なガラスの間に鉛の箔(はく)、ヒューズ線、油彩、またほこりまでも素材として使った作品で、上部の「花嫁」と下部の「独身者」のパートに分けられています。
しかしデュシャンは1923年、この作品を未完のまま放置しました。
泉(1917) ※
1917年、デュシャンは自身が委員を務めていたニューヨーク・アンデパンダン展に、ただの小便器に「R.MUTT」と署名を入れただけの「泉」を匿名で出品しました。
展覧会側は出展を拒否しますが、デュシャンは論文で抗議して委員を辞任し、大きなスキャンダルとなりました。
抗議文に書かれた、「問題は誰が制作したかではない。作家がそのオブジェを選び、新しい観点からそのオブジェに新たなコンセプトを創造したのだ」は、レディ・メイドに対するデュシャンの考え方を示しています。
L.H.O.O.Q(1919) ※
1919年にデュシャンが発表したこの作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の安価なポストカードに、鉛筆で口髭と顎鬚を付け加えたものです。
「L.H.O.O.Q」をフランス語で発音すると「彼女はおしりが熱い=性的に興奮した女性」という意味になります。
スキャンダラスなタイトルで既成の価値を否定し、新たな見方を創造しようとする「ダダイズム」に通じるデュシャンの意図が伺えます。
グリーンボックス(1934) ※
1923年に未完のまま放置された作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(通称・大ガラス)。1934年デュシャンは突然「大ガラス」に関する思考的プロセスが収められたメモ集を、同じタイトルで出版します。
このメモ集、通称「グリーンボックス」には、「大ガラス」制作工程のデュシャンのスケッチ、メモ、写真など94点が、バラバラに整理されないまま入っています。
このメモを読み解くことで「大ガラス」を理解し、誰でも制作できるようになっているのですが、メモは膨大で順番も決められておらず抽象的であるため、その解釈は今もなお研究が続けられています。
トランクの中の箱(1935~1941) ※
革製のトランクを開けるとデュシャンの代表作のミニチュア、レプリカがいっぱいに詰め込まれた「トランクの箱」。1941年にデュシャンが制作、300部余りを出版した作品です。
デュシャンは自分の代表作を複製し、「トランク」という持ち運び可能な小さなスペースに凝縮しました。
「ひとりの人間の人生のなかで表現した作品をひとくくりにするのは面白いことです」とデュシャンは語っています。
マルセル・デュシャンの作品を観ることができる美術館
フィラデルフィア美術館
アメリカ・ペンシルベニア州にあるフィラデルフィア美術館は、世界有数のデュシャン・コレクションを誇るデュシャン作品の殿堂です。
「大ガラス」、「遺作」といった多くの作品を常設展示し、アーカイブをあわせた膨大なコレクションを所蔵しています。
デュシャンの支援者だったアレンスバーグ夫妻がコレクションをフィラデルフィア美術館に寄贈。
デュシャン自身が遺言で寄贈した遺作と合わせ、デュシャン作品のほとんどが一つの美術館に収蔵されています。
フィラデルフィア美術館
住所:2600 Benjamin Franklin Pkwy, Philadelphia, PA 19130
営業時間:10:00~17:00
休館日:火・水曜日
公式サイト:https://philamuseum.org/
ニューヨーク近代美術館
ゴッホ、モネ、ピカソ、マティス、セザンヌなど巨匠の代表作が目白押しの世界有数の美術館MOMA。
デュシャンの作品も油彩作品からレディ・メイド作品、グリーンボックスまで幅広く所蔵しています。
油彩画「処女から花嫁の道」やレディ・メイド作品「自転車の車輪」の3番目のバージョンを観ることができます。
ニューヨーク近代美術館(MOMA)
住所:11 W 53rd St, New York, NY 10019 (5-6th Avenue)
営業時間: 10:30〜17:30(土〜 19:00)
休館日:サンクスギビングデー(11月第4木曜日)、クリスマス (12/25)
公式サイト:https://www.moma.org/
「マルセル・デュシャン」のおすすめ関連書籍
デュシャンは語る
現代芸術で最も自由で知的、革新的な作品を発表してきたマルセル・デュシャン。
謎に満ちた稀代の芸術家の生き方と思考、創造活動に向かって深く、広く開かれた異色の対話です。
アイデアは何処から生まれたのか、なぜ作品制作を放棄したのか、親しかった友人は?インタビューを通して、デュシャンの精神が浮かびあがります。
マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ: アート、アーティスト、そして人生について
1964年にデュシャン宅で行われた伝説のインタビューの全貌が初めて明らかに。
カルヴィン・トムキンズの問いかけにデュシャンは終始リラックスした雰囲気で、ユーモアを交えて語っています。
現代アートの父と言われるデュシャンの斬新なアイデア、遊び心あふれる生き方を3つの対話篇で明らかにします。
まとめ
生前、「作品を生み出すのはアーティストであるけれども、後世に作品を残していくのは鑑賞者という第三者なのである」と語っていたデュシャン。
デュシャンがいなければ現代アートは今の形では存在せず、アンディ・ウォーホルやジェフ・クーンズ、バンクシーも生まれていなかったかもしれません。
「泉」の発表から百年以上たった現在も、私たちはまだ、デュシャンの掌の中にいるのではないでしょうか。
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同時代を生きるアーティストが現代社会の情勢や問題を反映し、批評性をもって表現する現代アート。 絵画以外にも彫刻などの立体、映像、インスタレーションなど、その手法は多岐にわたりますが、表現された問いと鑑賞者が対話することで作品は完成