アーティスト現代アート
ART

日本の有名な現代アーティスト36選!村上隆・草間彌生など日本を代表する作家をご紹介

日本の現代アーティスト36選

 

現代アートと聞くと、「なんだか難しそう…」「見ても分からない」と言った感想を持たれる方も多いのではないでしょうか?

 

現代アートは欧米の美術史の文脈に沿って、今私たちが生きている時代を反映した美術作品のことを指します。

ありのままを表現するのではなく、自身の思考や哲学を表現しているため分かりにくい場合も多くあります。

でも、その「分からない」が現代アートを読み解く楽しみになるのです。

今回は、世界中で活躍する日本人現代アーティスト36人とそれぞれの代表作品を解説。

現代アートを楽しむヒントを是非見つけてみてください。

 

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白髪一雄

ジャクソン・ポロックに影響を受けた白髪一雄は、既存の抽象画の枠組みを超えようと、床にキャンバスを置き、天井からロープを使ってぶら下がり、裸足で絵の具を混ぜながら描く技法フット・ペインティングの技法を生み出しました。

白髪はフランスの批評ミシェル・タピエに認められアンフォルメル運動に参加し、国際的にも高く評価される契機になりました。

晩年は比叡山延暦寺で得度し、作品にも密教の影響が表れます。

白髪の所属した具体美術協会は80年代に国内外での展示により再評価され、現在日本の現代美術を代表するグループになっています。

年代

1924- 2008(享年84歳)

ジャンル

抽象

経歴

1924年 兵庫県尼崎市西本町の呉服商の家に生まれる。

1948年 京都市立美術専門学校日本画科卒業後。その後洋画に転向。

1952年 村上三郎、金山明、田中敦子らとともに「0(ゼロ)会」を結成。吉原治良に師事。

1954 フット・ペインティングを始める。

1955年 具体美術協会会員となり具体美術協会第1回東京展に参加。

1971年 比叡山延暦寺で得度し、法名白髪素道と号す。

2008年 敗血症のため84歳で死去。

 

天異星赤髪鬼

白髪は中国の宗教、歴史に強い関心を持っていました。

特に子供のころから「水滸伝」に夢中になっていたそうです。
具体美術協会の創設者吉原治郎の教えは誰にも見たことがないものを生み出すことを命題とし、歴史的な解釈などを入れることは許しませんでした。

そのため作品のタイトルは「作品」が多くなり、海外展示の時に絵画の鑑別方法がなかったため、白髪は登場人物が多い水滸伝の登場人物から作品名を付けました。水滸伝豪傑シリーズの「天異星赤髪鬼」はその一つとなります。

 

草間彌生

草間彌生は「水玉の女王」と呼ばれる日本を代表する世界的アーティストの1人です。

幼少期から幻視・幻聴に襲われる統合失調症を病み、その苦しみから逃れるために網目模様や水玉をモチーフに制作し始めました。
単身渡米したニューヨークではソフト・スカルプチャー、鏡や電飾を用いた環境彫刻を制作し、ボディ・ペインティングやハプニング・パフォーマンスは「クサマ・ハプニング」「ハプニングの女王」と呼ばれ、反戦運動や世界平和を訴えました。

1989年にMoMaで「草間彌生回顧展」が開催されたことにより再評価され、2016年には『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に日本人で唯一選ばれました。

年代

1929年-現在

ジャンル

ハプニング

前衛美術

 

経歴

1929年 長野市松本生まれ。幼いころから幻覚・幻聴に悩まされており、それらを逃れるために絵を描き始める。

1957年 単身渡米。ボディ・ペインティングやファッションショーを通して「ハプニング」と称した多数のパフォーマンスを行う。

1973年 パートナーでアーティストのジョセフ・コーネルが亡くなったことにより、体調を崩し帰国。

1993年 ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて個展。

2017年 東京都新宿区に草間彌生美術館が開館。

 

かぼちゃ(彫刻)

草間のシンボルとして広く知られているかぼちゃ。その由来は草間の幼少期にさかのぼります。種苗業と営んでいた実家の採種場でかぼちゃを見た草間は、その愛嬌のある造形、飾らなさ、たくましい精神力に魅力を感じます。またかぼちゃを自分自身の肖像の一種として捉え、水玉をほどこして絵画、ドローイング、彫刻などのオブジェとして制作されています。

特に有名なのは巨大な彫刻作品として瀬戸内海の直島に常設展示されている「南瓜」です。

 

水玉強迫

水玉強迫は赤と白の水玉が描かれた壁、床や天井に、赤と白の水玉バルーンが設置され、鏡と組み合わされたインスタレーションです。
草間の著書の中にある「私はこの水玉一つで立ち向かってやる。これに一切を賭けて、歴史に反旗をひるがえすつもりでいた」の言葉の通り、増殖を重ねる水玉が宇宙空間のように覆いつくすような錯覚は、自己消滅という芸術哲学を感じることが出来ます。

草間彌生の作品をもっと見る

 

河原温

日本を代表するコンセプチュアル・アートの第一人者で、世界的に高く評価されたアーティストです。

1959年に日本を離れるまで具象絵画を描いていました。1953年の第1回ニッポン展(東京都美術館)に出品した『浴室』シリーズで注目を浴びました。

メキシコ、パリ、アメリカに制作拠点を移してからコンセプチュアル・アートの作品を制作するようになりました。

海外に拠点を移してから、公の場に出ることがなかったため肖像写真やインタビューに応じることが少なく、ほとんど残っていません。

また「I am still alive.」という文面の電報を世界各地から発信するシリーズ「I AM STILL ALIVE」も河原の代表作の一つです。

年代 1932年- 2014年(享年81歳)
ジャンル

コンセプチュアル・アート

 

経歴

1932年(1933年の説もあり) 愛知県生まれ。

1951年 上京。

1953年 第1回ニッポン展(東京都美術館)で「浴室シリーズ」を発表。

1959年 「印刷絵画」の制作を手掛ける。その後メキシコに滞在。

1965年 制作をニューヨークに移す。

1966年 「日付絵画」シリーズを発表する。

1998年 東京都現代美術館で大規模個展を開催。

2014年 享年81歳で死去。

 

MAY.1.1987(today シリーズ)

単色の平塗に白い文字で制作の日付を描く「日付絵画」シリーズは河原温の代表作です。

「日付絵画」はその日の0時から制作を始め、その日のうちに完成させるというルールに基づき、作品とともに制作地で発行された新聞の切り抜きが添えられ、付随する箱に収められました。

時間、空間をテーマにし、ある種の客観性を持ったこのシリーズは2000点以上制作されました。

 

横尾忠則

1960年代からグラフィックデザイナー、イラストレーターとして活動し、寺山修司、土方巽といった舞台芸術のポスターなどを数多く手がけていました。

横尾は1980年7月にニューヨーク近代美術館で開催されたピカソ展に衝撃を受け、画家宣言をし、その後は美術家として精力的に活動しています。

幼いころ呉服商の横尾家に養子に行き、幼少期は西脇で過ごした横尾のデザインの原点は、その土地の綿織物(播州織)の影響があると言われています。

ポップアートと日本の土俗的な精神が融合されたアートは国内外で高い評価を受けています。

年代 1936年-現在
ジャンル

グラフィックデザイナー

ニューペインティング

 

経歴

1936年 兵庫県西脇市に生まれる

1956年 神戸新聞に入社し、グラフィックデザイナーとして勤務。

1959年 独立。

1972年 ニューヨーク近代美術館にて個展。

1982年 「画家宣言」。南天子画廊でペインティングの近作をまとめた個展を開催。

1993年 第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の企画展に出展。

2000年 ニューヨークADC殿堂入り             

2013年 豊島横尾館開館

 

腰巻お仙

1960年代から70年代にかけて実験的な表現で活動する劇団が生まれました。アングラ演劇や小劇場演劇と呼ばれ、その実験性を表現するような、今までの枠組みを破る演劇ポスターが新進気鋭のグラフィックデザイナーの手により多く発表されました。

そのムーブメントを牽引したのが横尾です。

「腰巻お仙」は1966年に劇団状況劇場で行われた横尾が手掛けたポスターです。

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李禹煥

1956年に韓国から来日し、以降日本で活動する「もの派」のアーティストの1人で、「もの派」の理論的な基盤を築き上げた中心人物です。

イタリアの芸術運動「アルテ・ポーヴェラ」とアメリカの「ミニマルアート」の影響を汲んだ「もの派」は、1960年代末から1970年代中期まで続いた日本の現代美術の動向で、石や木、紙、鉄などの「もの」を単体や組み合わせをして、「物・物質・物体」に限らず、「事柄」「状況」までを広く含む制作していました。

李は70年代以降も「もの」との関係、理論を深化させて作品を発表し続けています。

年代 1936年-現在
ジャンル

もの派

経歴

1936年 大韓民国慶尚南道に生まれる。

1956年 ソウル大学校美術大学を中退後、来日。

1961年 日本大学文理学部哲学科を卒業。

1971年 評論集『出会いを求めて』(田畑書店)を出版。

2010年 香川県直島町に李禹煥美術館を開館。

2014年 ヴェルサイユ宮殿で個展を開催。

2015年 釜山市立美術館敷地個人美術館李禹煥ギャラリー(Space LeeUFan)を開館。

 

関係項

地面に置いた鏡のガラスの上に石材が乗っている「関係項」。

石は重たいので、鏡のガラスは割れています。その割れ方は李の意図には関係なく、偶然性により起こります。

李が重い石を置かなければ割れることはなく、その割れ方は人が介入せず起こる自然現象です。その緊張感は「ものと人」の作用を表現しています。

 

対話

「Dialogue(対話)」は2000年以降から制作しているシリーズです。

当初グレー単色で始まったこのシリーズは20年の時が経ち、色彩豊かに変化していきました。

ワンストロークで描かれているように見えるこの作品は、計算された余白とグラデーションで立体的にも感じることが出来ます。

作品のおかれた空間を強く意識させられるシリーズです。

 

田名網敬一

現代美術家として幅広いアートシーンで活躍している田名網敬一。

サイケデリックでポップ、奇想天外なモチーフの作風は9歳の時に経験した東京大空襲から生まれました。

そして初めてのニューヨーク旅行で商業美術家からアーティストに移行する過程のアンディ・ウォーホルの作品に出会い触発され、メディアを限定せず活動していくことを決めます。

近年は自身の記憶や夢を原風景の物語として作品を制作しており、ニューヨーク近代美術館やベルリン国立美術館など世界の主要美術館に作品が収蔵され、国際的なアートシーンでも評価が高まっています。

年代 1936年-現在
ジャンル

グラフィックデザイナー

サイケデリックアート

ポップアート

経歴

1936年 東京都京橋の服地問屋に生まれる。

1957年 第7回日宣美展で特選受賞。

1960年 武蔵野美術大学造形学部デザイン科卒業。博報堂制作部に入社。

1962年 博報堂退社。

1967年 初めてのニューヨーク旅行。

1975年 日本版『月刊プレーボーイ』の初代アートディレクターに就任。

1987年 フランスで初の個展を開催。

2013 京都造形芸術大学 大学院芸術研究科 教授。

2015年 ロンドンのテートモダン個展「The World Goes Pop」を開催。

 

笑う蜘蛛

「笑う蜘蛛」は2016年に制作されたアニメーション作品です。

19〜20世紀に活躍したフランスの画家オディロン・ルドンへのオマージと幼少期の記憶が複雑に絡み合う作品で、セントルイス国際映画祭やオーバーハウゼン国際短編映画祭でも上映されました。

 

荒川修作

1960年に吉村益信、篠原有司男、赤瀬川原平と前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成したことで有名な荒川修作。アナーキズムを標榜し、反芸術を掲げていたグループでした。

荒川は渡米後、美術家で詩人のマドリン・ギンズと出会い、公私ともにパートナーとなります。

2人は「人間は常に不安定な状態で生活すべきだ」「精神的・身体的な刺激を増やすような建物を設計すれば、人間の寿命を永遠に延ばすことができる」と考え、「死なないため」とテーマにした作品を発表し、その代表作が「養命天命反転地」と「三鷹天命反転住宅」です。

年代

1936年- 2010年(享年73歳)

ジャンル

前衛芸術

経歴

1936年 愛知県名古屋市生まれ。

1956年 武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)入学、後に中退。

1957年 読売アンデパンダン展に初出品。

1960年 ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成。

1961年 渡米し拠点をニューヨークに移す。

1970年 ヴェネツィア・ビエンナーレで国際美術展で代表作となる『意味のメカニズム』を発表。

1997年 グッゲンハイム美術館で日本人初の個展を開催。

2010年 ニューヨーク市内の病院にて73歳で死去。

 

養命天命反転地

「養命天命反転地」は岐阜県養老町にある養老公園内の有料公園施設です。荒川修作とマドリン・ギンズによる作品で「極限で似るものの家」と「楕円形のフィールド」の二つから構成されています。

作品の中を回遊するように設計されており、二つを繋ぐ道は二人のテーマでもある「死なないための道」と名付けられています。

 

三鷹天命反転住宅

三鷹天命反転住宅は東京三鷹市にある荒川修作とマドリン・ギンズによる、世界で最初に完成した「死なないための住宅」です。

この建物はさまざまな身体能力の違いを越えて、与えられた環境・条件を当たり前と思わず過ごしてみるだけで、今まで不可能と思われていたことが可能になるかもしれない。それは天命反転が可能になる、というテーマを持っています。

 

赤瀬川原平

赤瀬川原平は前衛芸術家、小説家です。

高松次郎・中西夏之とともに3名の頭文字により命名したハイレッド・センターを結成し、「首都圏清掃整理促進運動」などのパフォーマンスを行いました。個人でも蟹缶のラベルを缶の内側に貼って宇宙全体を梱包したコンセプトの「宇宙の缶詰」を発表します。

しかし1965年、赤瀬川は主要モチーフとしていた片面に千円札の表面のみを一色で印刷した「模型千円札」が、通貨及証券模造取締法違反に問われ起訴、1970年に控訴ののち執行猶予つきの有罪が確定します。

これを機に赤瀬川は前衛芸術家ら身を引きますが、その後尾辻克彦名で小説を発表、芥川賞受賞作家となります。

年代 1937年- 2014年(享年77歳)
ジャンル

前衛芸術

経歴

1937年 神奈川県横浜市生まれ。

1955年 武蔵野美術大学油絵学科入学のち中退

1960年 「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加。

1963年 ハイレッド・センターを結成。

1965年 「模型千円札」が通貨及証券模造取締法違反に問われ、起訴される。

1970年 「控訴ののち執行猶予つきの有罪が確定する。

1979年 尾辻克彦名で小説『肌ざわり』を発表。

1981年 『父が消えた』で芥川賞受賞。

2014年 77歳で死去。

 

復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)

ソース

1963年に発表された千円札を描いた作品「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」。

千円札をルーペで見て、数カ月かけて克明に拡大模写したこの作品は、通貨及証券模造取締法違反で起訴、裁判へと発展します。

法廷では多数の前衛美術作品が占拠し、赤瀬川周辺の芸術家、美術評論家たちの協力・支援を受けて闘われたこの裁判は、日本でもっとも有名な芸術裁判となりました。

 

首都圏清掃整理促進運動

東京オリンピック前の1964年10月16日、メンバー全員が白衣にマスク姿に身を包み、銀座の街頭に清掃運動中の看板を立てマンホールやアスファルトなどを雑巾や薬品で必要以上に磨き上げた「首都圏清掃整理促進運動」。

東京オリンピック前に国際化にふさわしくないものは全部排除しようとした当時の空気を観察、介入した路上パフォーマンスでした。

 

菅木志雄

1960年代から1970年代にかけておきた芸術運動として、近年再評価が高まっている芸術運動「もの派」の主要メンバーだった菅木志雄。

「ものの隠れたリアリティーを見ることは、世界の成り立ちを知ることでもある。」とし、インド哲学などの東洋的思想に共鳴した自身の哲学を、木や石、鉄や紙などの自然素材をそのまま対峙をさせながら、空間や木枠の中に配置した作品を制作しています。

70年代以降も「もの」と「場」の関係を探求、深化させながら戦後日本美術を代表するアーティストとして活動を続け、その作品は国内外の主要な美術館に収蔵されています。

年代 1944年- 現在
ジャンル

もの派

経歴

1944年 岩手県盛岡市で誕生。

1964年 多摩美術大学絵画学科入学。

1967年第11回シェル美術賞展1等賞(第1席)受賞。

1968年 多摩美術大学絵画学科卒業。

2012年 ロサンゼルスのギャラリーBlum & Poeで「太陽へのレクイエム:もの派の美術」個展を開催。

2017年 第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に出展。

2018年 栃木県那須塩原市に常設展示スペース「菅木志雄 倉庫美術館」開館。

 

通状化 Passing State in Formation

2019年に制作された「通状化 Passing State in Formation」は絵画のような赤のキャンバスに、木枠が付けられて、そこにはリズムよく各々の形をした木片が並んでいます。

一見平面にも見えますが、立体的な構造をしている大小の木片からなる立体作品となります。まるでどこまで続いていくかのような連なりは、私たちに空間を感じさせてくれるようです。

 

原支 Supporting the Origin

細いロープを支えているような石と、枠組みの関係に緊張感を感じる「原支 Supporting the Origin」。菅は制作前に「もの」に対して「石を、これは石ではないのではと考える」てそのイメージを払拭するそうです。

この立体作品は空間を大胆に使い、「もの」と「もの」を対峙させ、融和させ、関係を構築することで、空間と物質性をあらわにしています。

 

空山基

空山基は機械美と人体の美を追求したアーティストです。

その活動は1970年代から始まり、アメリカンポップカルチャー、SF映画、アメリカンピンナップに影響された日本を代表するイラストレーターです。

空山が世界で注目された代表的なデザインは、ソニーの世界初の家庭用エンターテインメントロボット「AIBO」でした。「AIBO」はMoMや、スミソニアン博物館に永久コレクションとして登録されています。

空山の作風は超写実的な筆致は「ハイパーイラストレーションズ」を呼ばれ、前衛的でタブーを破るようなエロティックな描写は社会に対して問題提起を呼びかけています。

年代 1947年- 現在
ジャンル

イラスト
彫刻

経歴

1947年 愛媛県今治市生まれ。

1965年 四国学院大学文学部英文科に入学。

1969年 四国学院大学文学部英文科を卒業し、広告代理店に就職。

1971年 フリーランスのイラストレーターとして独立。

1999年 ソニーが開発したエンターテイメントロボット「初代AIBO」をデザイン

2019年 Dior Homme プレフォール コレクションにおいてキム・ジョーンズとのコラボレーションを発表。

 

セクシーロボット

 

セクシーロボットは空山の代表的なシリーズです。

しなやかさ、質量、生身の体のようなボリュームを感じさせながらもメタリックで未来的なセクシーロボット。1960年代の芸術運動ハイパーリアリズムを継承しています。

このシリーズは造形作品の他に絵画もあり、巨大なセクシーロボットが2018年に行われたDior Homme プレフォール コレクションのファッションショーに登場して、話題を呼びました。

 

HS_paint_068

「HS_paint_068」のモデルはアメリカの大女優マリリン・モンローです。

メタリックな質感で女性の人体美を描く空山もモチーフは、一般的にはタブーとなれる「ピンナップ」。このモチーフを写実的に描くことによって、ロボットのイメージ形成にも大きく影響を与えています。

 

森村泰昌

一貫して「自画像的作品」、絵画の中の人物に扮したセルフポートレイトをテーマに作品を発表している森村泰昌。

そのシリーズには「西洋美術史になった私」シリーズ、「日本美術史になった私」シリーズ、ハリウッドなどの映画女優に扮した「女優になった私」シリーズ、20世紀をテーマにした「なにものかへのレクイエム」などがあります。

森村は制作のリサーチの結果、完全な再現をするではなく、大胆な変更を行う場合もあり、

時代、ジェンダー、人種などの難しい壁を、森村は自身が扮することによってアイデンティティとは何か、を問いかけています。

年代 1951年- 現在
ジャンル

シミュレーショニズム

経歴

1951年 大阪府大阪市生まれ。

1975年 京都市立芸術大学美術学部卒業。

1985年 ゴッホの自画像をまねたセルフポートレイト写真を発表。

1988年 ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展、アペルト’88に出展。

2014年 横浜トリエンナーレのアーティスティック・ディレクターを務める。

2018年 大阪市住之江区北加賀屋に私設美術館「モリムラ@ミュージアム」(M@M)を開設。

 

第三のモナ・リザ

世界で一番有名な名画と言っても過言でないレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザをモチーフとした「第三のモナ・リザ」。この森村扮するモナ・リザは妊婦であり、外からは絶対に見ることが出来ない胎児が見えています。

森村は写真家アンリ・カルティエ・ブレッソンの影響を受け、表面には表れないが、確実に存在している美しさを表現していると評していました。この作品にもその影響が見えます。

このシリーズには「はじまりとしてのモナ・リザ」「みごもるモナ・リザ」があります。

 

モデルヌ・オランピア

エドゥアール・マネの「オリンピア」をモチーフにした「モデルヌ・オランピア」。森村は芸者姿に、召使は西洋人男性の姿と実際のマネのオリンピアとは大きく違います。その様子は蝶々夫人を連想させます。この作品は2020年に原美術館(閉館)で開催された個展「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020―さまよえるニッポンの私」で発表されました。

森村はオリンピアを1988年にも「肖像(双子)」というタイトルで手掛けています。

 

舟越桂

現代日本を代表する彫刻家の舟越桂。

父は彫刻家の舟越保武、家族全員がクリスチャンの中で育ち、幼いころから彫刻家を意識し始めます。

東京芸術大学在学中の25歳の時に函館のトラピスト修道院からの要請を受け、初めて楠を使い聖母子像を制作します。以後、舟越は木彫りの人物作品が中心となり、日本の鎌倉彫刻の影響を受け、玉眼を内側から眼孔にはめ込む技法で知られています。

一貫として人物像を制作するのは「ある個人を特定して語っていく事、それが普遍的に人間について語る事になっていく」という舟越の哲学からです。

年代 1951年- 現在
ジャンル

彫刻家

経歴

1951年 岩手県盛岡市生まれ。東京芸術大学教授であった彫刻家・舟越保武の次男として生まれる。

1975年 東京造形大学彫刻科卒業。

1977年 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。

1987年 文化庁芸術家在外研修員としてロンドンに滞在。

1988年 第43回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展に出展。

1989年 東京造形大学客員教授。

1992年 ドクメンタ9に出展。

2004年 「スフィンクス・シリーズ」を制作。

 

スフィンクスには何を問うか?

優美さ、静かさを漂わせる半身の彫刻が主なスタイルだった舟越は、2003年に半人半獣、雌雄同体のスフィンクスをモチーフにした異形の彫刻シリーズの制作を始めます。そのシリーズは「森に浮かぶスフィンクス」から始まりました。

神秘的な造形は、一貫として「人」をテーマとし、掘り下げた研究をしてきた舟越の表現と、西洋の彫刻観が統合された代表作となっています。

 

雪の上の影

1990年代半から双頭や山など、人物像ではあるが異形の姿を制作するようになった舟越。

この2002年に制作された「雪の上の影」も、一つの胴体に二つの顔があります。

この作品は支え合う母娘をイメージしており、大理石でできた澄んだ眼差しが人間の不思議さや深さ、誰もが共感できる郷愁感を漂わせています。

 

川俣正

川俣正はアートプロジェクトと呼ばれる活動の日本の第一人者です。

公共空間に木材を張り巡らせたインスタレーションなど大掛かりなプロジェクトを展開しており、その作品はアートを超えて建築や街の設計、歴史、社会にまで広がっています。

制作過程を含めてアートとし、そのプロジェクトを実行するための作られた模型や設計図も作品をしています。

ヴェネツィア・ビエンナーレ、ドクメンタなど世界中の国際展に参加し、ポンピドーセンターメスなどで個展が開かれ、世界を舞台に活躍しているアーティストです。現在はパリを拠点に活動しています。

年代 1953年- 現在
ジャンル

アートプロジェクト

経歴

1953年 北海道三笠市生まれ。

1979年 東京藝術大学美術学部油絵科卒業。

1982年 第40回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展に出展。

1987年 ドクメンタ8、第19回サンパウロ国際ビエンナーレに出展。

1992年 ドクメンタ9に出品。

1999年 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授(2005年3月まで)。

2005年 横浜トリエンナーレ総合ディレクターを務める。

2007年 フランス国立高等美術学校教授。

 

工事中

1984年に行ったインスタレーション作品です。

東京渋谷区の代官山ヒルサイドテラスで、この建物を材木で覆っていく計画でしたが、近隣のテナントから本当の工事中と間違われ客足が遠のいてしまったことの抗議を受けて1週間程度で撤去を余儀なくされました。

2007年には『「工事中」再開』のタイトルでインスタレーションを公開しました。

 

大竹伸朗

大竹伸朗の作風は絵画、コラージュ、ガラクタやゴミを集めて作ったオブジェなどですが、現代アート以外にも活動は絵本や小説、エッセイ集や音楽など、多岐に渡って作品を発表し続けている多才なアーティストです。

大竹は幼少時に住んでいた東京大田区の工場地帯を原風景に持ち、中学生でレンブラントの絵画に出会い油絵を始め、ポップアートに影響を受けます。

代表作「ビル景」は大竹が1970年代40年間続けたシリーズです。「続けようとすることよりも続いていってしまう事柄の中に探しものはいつも隠れている」と東京、香港、ロンドン、ニューヨークなどの様々な都市のビルが大竹の手によって生み出されています。

年代 1955年- 現在
ジャンル

ニュー・ペインティング

経歴

1955年 東京都目黒区生まれ。

1977年 初の渡英。

1980年 武蔵野美術大学 造形学部油絵学科卒業。

1988年 愛媛県宇和島へ移住。

2006年 東京都現代美術館にて個展「大竹伸朗 全景 1955-2006」を開催。

2009年 直島銭湯「I♥湯」公開。

2012年 ドクメンタ13に出展。

2013年 第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展に出展。

2019年 熊本市現代美術館、水戸芸術館 現代美術ギャラリーで個展「ビル景 1978-2019」を開催。

 

I♥湯

「I♥湯」は2009年にオープンした、香川県直島にある実際に入浴することが可能な銭湯です。

外観内装はもちろん、浴槽、風呂絵、モザイク画、トイレの陶器まで作りこまれており、大竹のコラージュやスクラップ作品の世界観が反映されており、国内外の観光客だけでなく、地元住民の憩いの場としても人気があります。

 

宮島達男

宮島達男は1980年代からLED(発光ダイオード)を使ったアート作品を制作し、高く評価され、現在に至るまで30ヵ国250ヶ所以上で作品を発表しています。

「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という3つのコンセプトをもとに作品を制作し、1から9までの数字が変化するデジタルカウンターには0(ゼロ)は示さないことで生と死が繰り返されることが表現しています。

パフォーマンス映像も制作しており、人種が違う男女の腹部に数字をボディペインティングする作品などがあり様々なアイデンティティや差別や偏見の眼差しへの問題提起を行っています。

年代 1957年- 現在
ジャンル

コンセプチュアル・アート

経歴

1957年 東京都江戸川区生まれ。

1984年 東京藝術大学美術学部油画科を卒業。

1986年 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。

1988年 ヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルト’88に出品、「Sea of Time」を発表。

1998年 ロンドン・インスティテュート名誉博士号

1999年 第48回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館日本代表。

2006年 東北芸術工科大学副学長(2016年まで)。

2012年 京都造形芸術大学副学長(2016年まで)

 

sea of time

「sea of time」はヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルト’88に出品され、国際的評価を得た宮島の出世的な作品です。

香川県直島・本村地区の瀬戸内芸術祭家プロジェクトでも展示されており、また「時の海-東北」プロジェクトとして現在制作されています。

これはカウントのタイム設定をその地域の人々にお願いし、思い思いのスピードに設定されます。

 

330万年の時計

「30万年の時計」は1987年に制作された宮島のデジタルカウンターの初期作品です。30万年の時を刻むこの時計は、「生」と「死」のダイナミズムを表現するために「0」は表示しないなど「これで作家人生を賭けられると思いました」と語るほど、基準的で重要な作品になります。

この作品を発展させ、輪廻転生や永遠を想像させる作品が生まれだします。

 

千住博

日本画の新しい領域に挑戦し続ける千住博。

高校生時代に永井一正、田中一光などのグラフィックデザインに衝撃を受け、画家を目指します。東京藝術大学大学院の修士課程修了作品『回帰の街』が首席で大学の買い上げとなったことにより、画家としてやっていくことを決意しました。

1995年の第46回ヴェネツィア・ビエンナーレで東洋人初の名誉賞を受賞し、国際的な活躍を続けています。

「質は、量から生まれる」と考えており、今まで制作した作品は1万枚以上とも言われています。

また近年はオペラ『夕鶴』の舞台美術を担当するなど、日本画以外の世界でも幅広い活躍を見せています。

年代 1958年- 現在
ジャンル

日本画家

経歴

1958年 東京都杉並区生まれ。

1982年 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。

1984年 東京藝術大学大学院修士課程修了。

1987年 東京藝術大学大学院後期博士課程単位取得満期退学。

1995年 第56回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展で名誉賞を受賞。

2007年 京都造形芸術大学学長(2013年まで)。現在同大学院教授。

2011年 軽井沢千住博美術館を開館。

2015年 第56回ヴェネツィア・ビエンナーレに出展。

 

ウォーター・フォール

千住の代表作「ウォーター・フォール」シリーズは滝ではなく、滝が「落ちる」ことを描いたと言われています。「ウォーター・フォール」の技法は絵具を上から流すことによって、滝を表現しています。

大出世作とも言える1995年のヴェネツィア・ビエンナーレに出品した『THE FALL』は縦3.4メートル、横14メートルの大作で名誉賞を受賞しました。

 

Ryujin(龍神)Ⅰ・Ⅱ

パラッツォ・グリマーニ美術館で行われた、第56回ヴェネツィア・ビエンナーレが公認する作品展「Frontiers Reimagined」の招待作家として、横幅約24メートルからなる二曲四双屏「Ryujin」を出品しました。

この作品は蛍光塗料が使われているため、明るい部屋の中だと滝は白く見えますが、暗い部屋でブラックライトを当てると青く輝く仕掛けになっています。

 

奈良美智

奈良美智はじっとこちらを睨みつけた挑発的な女の子の作品が有名な、日本を代表する現代アーティストです。

両親が共働きだった幼少期の退屈と孤独の気持ちなどが、女の子の姿に描かれ、それは無邪気さと残酷さなど無垢だけではない魂の肖像画となっています。

奈良は1990年代に「大きな頭の女の子」を制作し、以後それはシグネチャーとなりました。

またパンク・ロック文化に強い影響を受け、音楽と融合したような現代アートを生み出し、他分野ともコラボレーションしています。

絵画だけではなくブロンズなどの彫刻作品やインスタレーションも手掛けており、奈良の作品はMoMAをはじめ、世界中の美術館に収蔵されています。

年代 1959年- 現在
ジャンル ネオポップ

経歴

1959年 青森県弘前市生まれ。

1987年 愛知県立芸術大学美術大学大学院修士課程を修了。

1988年 ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミー入学、2000年までドイツで制作活動を行う。

2000年 シカゴ現代美術館で個展「Walk On」を開催。サンタモニカ美術館で個展「Lullaby Supermarket」を開催。

2001年 国内5ヵ所を巡回した国内初の個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」開催。

2018年 現代アートスペースN’sYARDをオープン。

 

ナイフ・ビハインド・バック

2000年に制作された「ナイフ・ビハインド・バック」。画像では小さく感じますが2メートルほどある大作です。この作品は2019年に香港で開催したサザビースのオークションで約2,500万ドルで落札され、奈良の名前を一躍アート業界以外の人たちにも知らしめた作品です。

この落札価格は2021年現在、日本人アーティストの最高落札価格となっています。

 

あおもり犬

青森県立美術館にある高さ8.5m横幅6.5mもある巨大な白い犬の彫刻作品で、体の半分が埋まっています。

青森県立美術館は日本で最大級の縄文遺跡三内丸山遺跡に隣接された美術館で、設立当時から「遺跡発掘」をテーマに掲げていました。このあおもり犬も美術館の誕生と当時に発掘されたというストーリーを背景に展示されています。

 奈良美智についてもっと知る

 

柳幸典

柳幸典は美大卒業後、若手アーティストのホープと期待されながら、イエール大学の大学院に単独渡米します。

大学院時代は「日本人は何者か」と考え、日本の現代史、日本で発禁処分になった本を読み、それを作品に昇華させていきました。

鏡を使い、半円形にウルトラマンのフィギュアを並べ日の丸を構成させる「バンザイコーナー」では日本の天皇制に切り込んだ作品を発表しています。

日本の近代化に警鐘を鳴らした小説家の三島由紀夫の邸宅を移築して、精銅所跡地のある瀬戸内の島を再生させる「犬島精錬所美術館」など、その作品たちは「日本人は何者か」と鑑賞者にも問いかけています。

年代 1959年- 現在
ジャンル 彫刻

経歴

1959年 福岡県生まれ

1985年 武蔵野美術大学大学院造形研究科終了。

1986年 栃木県立美術館アート・ドキュメント優秀賞。

1990年 イエール大学大学院美術学部彫刻科修了。

1992年 アジアン・カルチュラル・カウンシルの助成を得てPS1スタジオプログラムに招待。

1993年 第45回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に選ばれ、アペルト部門で日本人初の受賞。

2008年 犬島精錬所美術館を完成させる。

 

ザ・ワールドフラッグ・アント・ファーム

ソース

1990年代から制作された「ザ・ワールドフラッグ・アント・ファーム」シリーズは、砂で作った国旗が透明なプラスチックの中に入っており、その中で蟻を飼育します。国旗は巣作りのために侵食されていき、越境やボーダレス、国土、国家などの枠組みを鑑賞者に考えさせる作品です。

第45回ベニス・ビエンナーレのアペルト部門では、この「ザ・ワールドフラッグ・アント・ファーム」が受賞しています。

 

 

内藤礼

中学3年生の時の美術の授業で、美術の世界に目覚めた内藤礼。

「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマとして作品を制作しています。その作品は空間、光、水、音、それらを取り巻き包む空気はまるで信仰のようにも感じられます。

第47回ヴェネツィア・ビエンナーレに「地上にひとつの場所」を出品した際には、1時間に最大4人しか鑑賞出来ず、しかも1人で鑑賞する徹底したスタイルが話題となり長蛇の列が出来ました。内藤は滞在中、1時間に一度は中に入って非常に繊細なオブジェたちの配置を整えていました。この内藤の静謐な精神世界は世界中で高く評価されています。

年代 1961年- 現在
ジャンル インスタレーション

経歴

1961年 広島県広島市生まれ。

1985年 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。

1997年 第47回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展にて「地上にひとつの場所を」を出展。

2009年 神奈川県立近代美術館にて個展『すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している』を開催。

2010年 豊島美術館に「母型」設置。

 

豊島美術館「母型」

豊島美術館は建築家西沢立衛が設計した、40m×60m、高さ4.3mの巨大なドーム状のコンクリート建築です。内藤の作品はその建物の中の空間全て。

天井は2か所たまご型に開いており、窓ガラスなどもなく、野外的な空間となっています。床から静かに流れ落ちる水を感じ、光と風などの自然影響を体で感じる作品になっています。

 

会田誠

会田誠は絵画を中心に、インスタレーションやパフォーマンスなども制作しています。美少女、戦争、漫画、サラリーマンなどをモチーフに日本の近代史や社会問題を提起するコンセプチュアル・アーティストです。

サブカルチャーの中に天皇制や戦争画問題など日本の近代美術様式と組み合わせた特徴を持ち、とくに有名な作品に連作「戦争画 RETURNS」シリーズがあります。

タブーやコンプレックスを鋭く批評する作品は時に物議を醸しますが、日本絵画を意識して描かれたユニークな作品も多く、幅広い世代から支持を受けています。

年代 1965年- 現在
ジャンル コンセプチュアル・アート

昭和40年会

経歴

1965年 新潟県生まれ。

1989年 東京芸術大学油画専攻卒業。

1991年 東京藝術大学大学院美術研究科修了。

1993年 レントゲン藝術研究所で開催された「fo(u)rtunes part2」でデビュー。

2012年 森美術館で個展「会田誠展: 天才でごめんなさい」を開催。

2018年 青山クリスタルビルで個展「GROUND NO PLAN」を開催。

 

犬(雪月花のうち“月”)

肢体を切り取られ、自由に行動することが出来ない裸体の少女の首には首輪が取り付けられています。

「犬」シリーズは芸術とポルノを巡る問題をあぶりだし、それは暴力的なサディズムさえ感じさせれたため、森美術館での個展「会田誠展:天才でごめんなさい」では大きな議論を呼びました。

 

ジューサーミキサー

暴力的で、エログロ的な印象を与えやすい会田の作品の中でも顕著に表れている「ジューサーミキサー」は、全裸の若い女性が笑みを浮かべながら巨大なミキサーで液状化されようとしている作品です。

会田はアンダーグラウンド漫画雑誌『ガロ』の漫画家である丸尾末広から強烈な影響を受けたと話しています。

 

ヤノベケンジ

ヤノベケンジは幼少期に目撃した1970年に開催された大阪万博のパビリオンが壊されていく風景を未来の廃墟と捉え、創作の原風景として「現代社会と終末の未来を生き抜くためのサバイバル・マシーンである機械彫刻群」を制作しています。

1997年には、「アトムスーツ・プロジェクト:チェルノブイリ」と称し原発事故後のチェルノブイリにヒト型放射線感知スーツ「アトムスーツ」を着て向かうプロジェクトを実施し、世界中で展開しています。それから放射能をモチーフに作品を制作し、代表作「サン・チャイルド」に繋がっていきます。

年代 1965年- 現在
ジャンル

機械彫刻

経歴

1965年 大阪府茨木市生まれ。

1989年 京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに短期留学。

1991年 京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。

1994年 ベルリンに活動拠点を置く(1997年まで)。

2005年 豊田市美術館で個展「KINDERGARTEN」を開催。

2011年 福島県福島市でサン・チャイルドを公開。

 

サン・チャイルド

東日本大震災・福島第一原発事故を受け、復興・再生の願いを込めて制作された全長6.2mの巨大な子供像「サン・チャイルド」(2011年)。

右手に持っている「小さな太陽」は、次世代に向けた「未来の希望」を象徴しています。

ミケランジェロの《ダビデ像》にオマージュし、復興のために巨大彫刻を短期で制作した鎌倉仏師の《金剛力士像》を参考にしています。

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ジャイアント・トらやん

ジャイアントとらやん

個展「KINDERGARTEN」で展示された「ジャイアント・トらやん」(2005年)。

ヤノベの5歳の息子の声が登録され子供の命令しか聞かないという、高さ約7.2mのロボット人形で、ヤノベの定年退職した父親がある日突然買ってきた腹話術人形が、トらやんのモデルになっていいます。

この作品は東日本大震災に「立ち上がる人々」とメッセージを添え、京都造形芸術大学に設置されました。

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村上隆

村上隆はアーティスト、キュレーター、コレクター、映画監督、有限会社カイカイキキ創業者といった様々な顔を持つ日本を代表する現代アーティストの1人です。

アニメ文化に影響を受け、日本特有のオタク文化と「奇想の系譜」と呼ばれる江戸期の絵師の文脈を独自の感性で欧米に向けて翻訳し、ハイカルチャーとローカルチャーの境界を行く芸術運動「スーパーフラット」という理論を提唱しました。

海外のメガギャラリーに所属し、国外でも精力的に個展を開催しており、2008年に米『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれています。

年代 1962年- 現在
ジャンル

ネオ・ポップ

スーパーフラット

経歴

1962年 東京都板橋区生まれ。

1993年 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了、博士(美術)。

1994年 アジアン・カルチュラル・カウンシルの助成を得てPS1スタジオプログラムに招待。

2001年 ロサンゼルス現代美術館で展覧会『SUPER FLAT』を開催。有限会社カイカイキキ起業

2003年 ルイ・ヴィトンとコラボレーションを発表。

2010年 ヴェルサイユ宮殿で現代美術家としては3人目となる個展「MURAKAMI VERSAILLES」を開催。

 

マイ・ロンサム・カウボーイ

2008年にサザビーズで「マイ・ロンサム・カウボーイ」(1998年)が約16億円で落札され、日本のオタクカルチャーと思われていたフィギュアに高額が値段が付いたことに日本中が驚きました。

「マイ・ロンサム・カウボーイ」はオタク文化を象徴するフィギュアを等身大にし、浮世絵にもある性表現をデフォルメした作品になります。

 

お花シリーズ

村上のスーパーフラット理論を象徴する「お花」シリーズ。カラフルなお花たちには顔が描かれており、にっこりと笑っています。

「お花」シリーズから感じられる日本から発生したKawaii文化、フラットなアニメ風、光沢などの要素は戦略的に用いられ、村上の作品にも多用されています。

 

中村政人

「美術と社会」「美術と教育」をテーマにプロジェクトを実行している社会派アーティストの中村政人。社会との繋がり、コミュニティと産業を繋げることを美術として表現し、インスタレーション作品や全国で地域再生型アートプロジェクトを展開しています。初期にはアルバイト仲間だった村上隆と「中村と村上」の二人展や「大阪ミキサー計画」を開催し、90年代の伝説的な取り組みとなりました。

近年はアーティスト主導、民設民営をコンセプトにしたアートセンター『アーツ千代田 3331』の統括ディレクターとしても活躍をしています。

年代 1963年- 現在
ジャンル

ネオ・ポップ

経歴

1963年 秋田県大館市生まれ。

1987年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。

1989年 東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻壁画を修了。

1992年 大韓民国政府招待奨学生として、弘益大学大学院西洋画科修士課程卒業。村上隆と「中村と村上」展を開催。

2001年 第49回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に「Q・S・C+mV/VV」を出展。

2010年 東京都千代田区にアーツ千代田3331を立ち上げる。

2015年 東京藝術大学美術学部教授。

 

QSC+mV

CVSプロジェクトはコンビニエンスストアのCIであるサインライトを美術作品として構成したプロジェクトです。

第49回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展では世界中にあるハンバーガーショップ「マクドナルド」のMサインのインスタレーション「QSC+mV」を出品しました。

CVSプロジェクトの作品を展示するときは毎回企業に許諾を取るプロセスをもアートとして表現しています。

 

池田亮司

日本とフランスを拠点に活躍するミュージシャン、現代アーティストの池田亮司。

電子音楽の作曲を起点としながらパフォーマンスとインスタレーションを組み合わせ、体音響メディアと視覚メディアの領域を横断しながら表現しています。

コンピューターによる先端的音楽表現で世界を牽引するパイオニアでもあり、パフォーマンス集団ダムタイプの舞台音楽担当もしています。

先端的音楽表現を用いてミニマルでコンセプチュアルな世界を表現する池田の作品は国際的な評価を受け、国内外問わず活躍しています。

年代 1966年- 現在
ジャンル

ダムタイプ

ミュージシャン

経歴

1966年 岐阜県生まれ。

1994年 パフォーマンス集団ダムタイプに参加。

2001年 アルス・エレクトロニカのデジタル音楽部門にてゴールデン・ニカ賞を受賞。東京都現代美術館にて個展「+/- [the infinite between 0 and 1]」を開催。

2019年 第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に出展。

2014年 ロンドンのアートプロジェクト『Spectra』を発表。

 

テストパターン

「テストパターン」は白と黒、「0と1」のバイナリーで表現されています。

スピーカーとモニターを使い、生成される視覚パターンをサウンドからリアルタイムに変換し表現しています。モニターにはバーコードが映し出され、早い速度でデータが視覚化され変化していく様は、パターン化されたデータの海に身を包まれるようで没入感を感じさせます。

 

アルバム「Dataplex」

「Dataplex」は2005年に発売されたdatamaticsシリーズ3部作の第1作です。

datamaticsシリーズは膨大な量の不可視のデータを美学的、形式的に知覚化することを探求したプロジェクトで、2018年には東京原宿のスパイラルホールで、オールナイト上映されました。

 

曲「Data.Matrix」

 

山口晃

幼いころからアニメやマンガ、お絵かきに親しんでいた山口晃。

そこ自分のルーツを見出し、古美術と大和絵に大きな影響を受け、日本美術を独自の解釈をもとに油絵を使って描かれているのが特徴です。

大和絵や浮世絵のようなタッチで、人物や光景が非常に緻密に描かれています。武士を馬のようにバイクに乗せたり、現代の超高層ビルに瓦屋根を載せて描いたり、過去と現在が融合されたユーモアのある作風です。

企業広告やパブリックアート、挿画も手掛けており、2020年にはエルメス社とスカーフのコラボレーションを行い、アート業界だけではなくファッション業界でも話題になりました。

年代 1969年- 現在
ジャンル

日本画家

経歴

1969年 東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。

1994年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。

1996年 東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。

1997年 会田誠に誘われ「こたつ派」展に参加。

2001年 岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞。

2012年 平等院にある養林庵書院に襖絵を奉納。

2013年 『ヘンな日本美術史』で第12回小林秀雄賞を受賞。

 

東京圖 六本木昼図

六本木の上空を俯瞰して描いている「東京圖 六本木昼図」(2002年)。

この大胆な構図には高層ビルもあれば天守閣があり、サラリーマンや犬を散歩する人もいれば、江戸町人たちが喧嘩をしていたり、時代や風俗が時空を超えている作品です。

大和絵の代表的な「洛中洛外図」の手法が使われており、この「東京圖 六本木昼図」には西洋絵画であれば当然ある消失点や遠近法は使われておりません。

 

加藤泉

異形の形をし、手足の発達した胎児のような生き物を生み出す加藤は、島根県出身でアニミズム信仰が身近にあり、学生時代にはプリミティブ・アートやアール・ブリュットから影響を受けました。「胎児のような」「プリミティブな」「キモカワイイ」など形容される加藤泉の作品は、2007年の第52回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に出品以後、世界中で注目されています。2017年からはパリの老舗版画工房Idemに認められ、リトグラフ作品を制作するようになりました。

音楽が趣味で現在もTHE TETORAPOTZという覆面ロックバンドを組んでドラムを担当しています。

年代 1969年- 現在
ジャンル

画家

彫刻家

経歴

1969年 島根県生まれ

1992年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。

2004年 ニューヨークのジャパン・ソサエティ・ギャラリーの美術展「リトルボーイ:爆発する日本のポップカルチャー」に出展。

2007年 第52回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に出展。

2019年 ハラミュージアム アーク、原美術館で個展「加藤泉−LIKE A ROLLING SNOWBALL」を開催。

 

untitled

加藤は2003年から彫刻作品を制作するようになります。

原始美術を思わせる加藤の作品でその後彫刻は大きな割合を占め、木彫り以外にもソフトビニール、石、ファブリックなどの素材が用いられ、それは時には大型インスタレーションとして展示されることもあります。

「Untitled」(2014年)はハラ ミュージアム アークで開催された個展「加藤泉−LIKE A ROLLING SNOWBALL」に展示されました。

 

杉戸洋

杉戸洋の作品は杉戸の夢や心の中に浮かぶイメージを描き出しており、小さな家や舟、木などが描かれることが多く、淡い色調で具象と抽象の間のような作風が特徴的です。

父親の仕事の関係で4歳から14歳までニューヨークで暮らし、MoMAやメトロポリタン美術館に親しんできました。家庭内でも英語で過ごしていた杉戸は帰国後日本でうまく表現できず、それを絵に表していたといいます。

奈良美智とは予備校時代の先生と生徒の間柄で作品のコラボレーションの発表や、東京都美術館での個展「杉戸洋 とんぼ と のりしろ」では幅15メートルの大作《module》を発表するなど、話題とともに国内外でも展示が相次ぐアーティストです。

年代 1970年- 現在
ジャンル

ネオポップ

経歴

1970年 愛知県名古屋市生まれ。

1992年 愛知県立芸術大学美術学部日本画科卒業。

1996年   アメリカ、ネブラスカ州にてビーメス・ファウンデーションのアーティスト・イン・レジデンスに参加。

2006年 アメリカ、フォートワース現代美術館にて個展「FOCUS」を開催。

2017年 東京都美術館で個展「杉戸洋 とんぼ と のりしろ」を開催。

 

into the orange tree

2012年に発表された「into the orange tree」。左側には青や緑の寒色で正方形に区切られた色面、右側は赤い屋根の家に、オレンジの木が描かれています。

杉戸の作品は夢の中の世界の影を探求し、心の中の情景を描いていきます。幾何学的な構成は舞台だったり、物語や絵本を読んでいるような印象を鑑賞者に与えます。

 

塩田千春

ソース

ベルリンを拠点に世界各地で活動を続けるアーティストの塩田千春。

生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求し、個人の経験や記憶のイメージを可視化し、糸を紡いで具現化した大規模なインスタレーションを制作しています。

人の痕跡が残る作品は鑑賞者にも記憶を揺さぶらせます。

塩田は第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展を皮切りに、シドニー・ビエンナーレなど世界各国で展示を行い、オペラ「トリスタンとイゾルデ』などの舞台芸術も多く手掛けています。

年代 1972年- 現在
ジャンル

インスタレーション

パフォーマンスアート

経歴

1972年 大阪府岸和田市生まれ。

1996年 京都精華大学洋画科卒業。

1996年- ハンブルク美術大学に入学し、ブラウンシュバイク美術大学、ベルリン芸術大学へ行き活動の拠点をベルリンに移す。

2015年 第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館日本代表として「掌の鍵」を出展。

2019年 森美術館で個展「塩田千春展:魂がふるえる」を開催。

2020年 多摩美術大学大学院教授。

 

静けさの中で

燃えたグランドピアノと観客用の椅子が黒い糸でつながり、空間全体を埋め尽くされている「静けさのなかで」(2008年)は幼少期に塩田の隣家が夜中に火事で燃えた記憶から制作されています。

観客のいないコンサートホールのようなインスタレーションは、不穏な雰囲気を醸し出しており「死」を想像させます。

 

不確かな旅

2015年に第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の時にも展示された「掌の鍵」も舟と天井まで覆う赤い糸の作品でした。

「不確かな旅」(2016年)でも、同じようにフレームだけの舟と天井まで絵を描くように張り巡らされた赤い糸、この作品の糸の長さは約280キロメートルにもなります。塩田にとって赤い糸は血のイメージで、血縁や縁など人との繋がりも連想されます。

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石田徹也

現代社会の闇や不安を写実的に描いた石田徹也。

武蔵野美術大学を卒業後はコンビニの店員や警備員、工事現場の作業員などで生計を立てながら、作家活動を行っていました。

活動を行っていた1990年代から2000年代初頭はバブル崩壊後、就職環境が厳しかったことに加え非正規雇用の急速な拡大もみられました。石田はそのような社会の閉塞感や孤独、不安、抑圧を題材とし、一貫して「普通の人」を描きます。

新進気鋭の画家として注目を浴び始めた2005年に踏切事故で31歳の若さで亡くなりますが、死後も石田の作品は国内外の美術館で個展が開催されています。

年代

1973年-2005年(享年31歳)

ジャンル

シュルレアリスム

経歴

1973年 静岡県焼津市生まれ。

1996年 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。

1995年 第6回グラフィックアート「3.3㎡(ひとつぼ)展」でグランプリを獲得

2005年 踏切事故で死去。享年31歳。

2009年 遺族が紺綬褒章を授与される。

2019年 スペイン、マドリッドのソフィア王妃芸術センターで個展「Autorretrato de otro」が開催。

 

燃料補給のような食事

スーツを着たサラリーマンがファストフードショップの店内での食事を取っていますが、よく見るとガソリンスタンドの燃料補給のようです。燃料補給機はサラリーマンの口に直接注ぎ込まれています。

「燃料補給のような食事」(1994年)は大手牛丼チェーン店での食事光景を見て、食事というよりも燃料補給に近いと感じ、描かれた作品です。

 

飛べなくなった人

「飛べなくなった人」(1996年)はスーツを着た男性が両手を広げていますが、その体は飛行機と一体になっています。男性の表情は、社会的な制約に抑圧や束縛されるサラリーマンの悲哀が感じられます。

この作品は「3.3㎡展」で受賞した一年後に開かれる個展のために描かれた作品です。個展のタイトルも「飛べなくなった人」と付けられていたため、石田の力の入った作品と言えます。

 

田中功起

田中功起は、日本の映像作家です。当初絵画を専攻していましたが、大学在学中にビデオカメラで作品を制作するようになります。

ブルース・ナウマンに強く影響を受けた田中の制作プロセスは、収集してから組み立てる期間で構成されており、「芸術の行為は編集である」と言います。

第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表として特別表彰を受け、その後2015年にドイツ銀行が選定するアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、国際的な評価が高まっているアーティストです。

年代

1975年-現在

ジャンル

映像

経歴

1975年 栃木県益子町生まれ。

1998年 ウィーン芸術アカデミー短期留学。

2000年 東京造形大学美術科絵画専攻卒業。

2005年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。

2009年 文化庁新進芸術家海外研修制度によりロサンゼルスに留学。

2013年第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表として「abstract speaking – sharing uncertainty and collective acts(抽象的に話すこと – 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)」を出展。

 

123456

「123456」(2003年)はガラスの中でサイコロが回っている作品です。

その映像はループされ、規則正しく回転するサイコロの音がグラスの中で響いていきます。映像のために人為的に制作されているはずが、観ているうちにそれが自然に起こっているかのように錯覚される作品です。田中の初期作品に多いループ構造の作品です。

 

A PIANO PLAYED BY 5 PIANISTS AT ONCE (FIRST ATTEMPT)

「A PIANO PLAYED BY 5 PIANISTS AT ONCE (FIRST ATTEMPT)」(2012年)は5人が1台のピアノを弾いて紡がれる音楽を、3台のカメラで記録した作品です。参加している5人のピアノ科の学生たちが、戦略的に1台のピアノを同時に演奏します。

他者との共同作業を通して、「結果」だけではなく、そのプロセスを記録する作品になっています。

 

束芋

京都造形芸術大学で田名網敬一に師事していた束芋は、卒業制作の「にっぽんの台所」が学長賞を受賞し、キリン・コンテンポラリー・アワードでも最優秀作品賞を受賞しデビューしました。

束芋の手書きの線で描かれた映像インスタレーション作品は、展示会場の構成に合わせて再構成されており、その作風は花札、銭湯、台所などの庶民的なものをモチーフに使い、日本社会の問題をテーマとしたユーモラス像作品です。

近年では現代舞踊や伝統芸能とのコラボレーションなど、映像の枠を超えた活動も注目されるアーティストです。

年代

1975年-現在

ジャンル

映像インスタレーション

経歴

1975年 兵庫県神戸市生まれ。

1999年 京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科卒業。卒業制作「にっぽんの台所」がキリン・コンテンポラリー・アワード最優秀作品賞を受賞

2011年 第54回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で「てれこスープ」を出展。

2014年 杉本博司が脚本・演出・美術・映像を担当した人形浄瑠璃「曾根崎心中」にアニメーション作品を提供。

 

にっぽんの台所

卒業制作にしてデビュー作の「にっぽんの台所」(1999年)は、ふくよかな主婦と日本の典型的な台所が描かれています。

江戸時代の浮世絵から色を取り、手書きで描いたものを積み重ねて映像化しています。

当時の日本の現代社会が抱えている問題を、辛口な視点で切り取った映像作品です。

 

名和晃平

京都を拠点に活動する彫刻家で、アートプラットフォーム「SANDWICH」主宰の名和晃平は、「ものの表皮」への意識から発して、Pixel(画素)とCell(細胞・器)が融合した「PixCell」の概念を基軸に多彩な素材や技法を用いて、数多くの彫刻やインスタレーションを残してきています。

鹿やカラスのはく製などをガラスビーズで覆った「PixCell」シリーズが代表作です。

近年は日本プロ野球パシフィック・リーグの2代目優勝トロフィーの制作プロデュースを担当したり、建築デザインを手掛けたりと多岐にわり活動の幅を広げています。

年代

1975年-現在

ジャンル

彫刻

経歴

1975年  大阪府生まれ。

1998年   英国王立美術院交換留学。

2003年   京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程彫刻専攻修了。

2005年 アジアン・カルチュラル・カウンシルの助成によりニューヨークに半年滞在。

2010年 京都造形芸術大学大学院特任准教授、総合造形コース主任に就任。

2018年 フランス、ルーブル美術館で「Throne」を展示

 

Manifold

「Manifold」(2013年)は高さ13m、幅は15m、総重量 が約26.5tに及ぶ巨大な野外彫刻です。

爆発しているような、雲のような印象を与えるこの彫刻は、韓国のチョナンに展示されました。この場所は韓国のアラリオ・ギャラリーがアルマン、ダミアン・ハースト、キース・へリングなどのアーティストの彫刻を野外展示していて、その場所に名和の彫刻も展示されました。

 

PixCell-Deer#24

PixCell-Deer#24

「PixCell」シリーズは、オブジェクトを透明の球体で覆い、その存在を「映像の細胞」に置き換える彫刻作品。

“PixCell”(ピクセル)とは、Pixcel(ピクセル)=画素、Cell=細胞・器(セル)を表す、名和晃平による造語です。

オブジェクトはインターネットを介して収集され、PCの画面に現れるイメージ (Pixelの集合体) のように、無数のセルで「被膜」されています。

さらに詳しく

 

松山智一

幼少期をアメリカで過ごし、元プロのスノーボーダーという異色の経歴を持つ松山智一。事故で続けることが出来なくなり、独学で絵を学びます。

「ファッションモデルが佇む北欧家具に囲まれた部屋には、ピカソなど西洋の巨匠たちの絵画が飾られ、その周りで葛飾北斎や伊藤若冲など日本画の動物たちが躍動的に踊る」と話す松山の作品は東洋と西洋、古代と現代、具象と抽象と言った両極の要素が見られ、その世界を再構築した作風です。

ロサンゼルス・カウンティ美術館、Microsoftコレクション、ドバイ首長国の王室コレクションなど世界中のリーディングコレクターたちが松山の作品をコレクションしています。

年代

1975年-現在

ジャンル

絵画

彫刻

経歴

1979年 岐阜県高山市生まれ。

2002年 上智大学卒業。

2002年 NY Pratt Institute入学、首席で卒業。

2012年 ニューヨーク私立美術大学スクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)のAdjunct Professorを務める(2017年まで)。

2015年 オーストラリア現代美術館で個展「17 Hours」を開催。

2019年 ニューヨークのバワリーミューラルで壁画を担当。

2020年 中国、上海の龍美術館西岸館で個展「Accountable Nature」を開催。

 

Falling Passage

松山は西洋の美術文脈に自分なりの解釈を編集し、再構築して作品を制作しています。

それはグラフィティや日本画、ポップアートの要素を分解し、近年は江戸絵画や浮世絵の要素も組み込み、そのレイヤーは重層的な厚みを増しています。

「Falling Passage」でもその影響が見られ、ビビッドな色使いや花鳥風月が日本的な要素を、西洋絵画として表現しています。

 

花尾

「花尾」(2020年)は新宿駅東口の広場のロータリーに巨大彫刻として展示されています。この作品は松山にとって日本で初めてのパブリック・アートになりました。

マルチアングルで制作され、彫刻の周りには椅子が置いてあり、座って鑑賞することも可能です。

「アートを機能させる」という思考のもとに、この作品を介して導線を作り、人が集まることを考えた作品となっています。

 

Chim↑Pom

ソース

Chim↑Pomはエリイ、卯城竜太、林靖高、水野俊紀、岡田将孝、稲岡求の6人で編成された、独創的な作品を制作する日本の現代アート集団です。

Chim↑Pomの名前が一般にも広がったのは、2011年渋谷駅にパブリックアートとして設置されている岡本太郎の壁画「明日の神話」に、東日本大震災による福島第一原発事故を思わせるベニヤ板に描かれた絵を付け足し、本人たちが名乗り出たことでした。

「気合い100連発」(2011年)では円陣を組んだメンバーと地元の人たちが「復興頑張るぞ!」と気合を入れる映像作品などがあり、Chim↑Pomは社会のリアルに当事者意識で介入し切り込んだ作品を発表し続けています。

年代

2005年-現在

ジャンル

映像

パフォーマンス

経歴

2005年 東京で結成。

2011年 東京渋谷駅にて「明日の神話」事件。メンバーのうち3人が軽犯罪法違反(はり札)容疑で書類送検された。

2013年 岡本太郎記念館で企画展『PAVILION』を開催。

2016年 第20回シドニービエンナーレに出展。

2017年 第20回横浜トリエンナーレ2017に出展。

2019年 マンチェスター国際芸術祭に出展。あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に出展。

 

スーパーラット

「スーパーラット」とは、殺鼠剤などの毒への 耐性を遺伝化させながら、都市圏で爆発的に 増えているネズミの通称であり、ネズミ駆除業者による造語です。

Chim↑Pomは2008年と2011年に渋谷センター街でネズミを捕獲し、捕まえたネズミを某ゲームキャラクターのように加工し、はく製にした作品を発表しました。

 

広島の空をピカッとさせる

Chim↑Pomの広島原爆ドーム上空に原爆の閃光をイメージさせる飛行機雲で「ピカッ」と描いた作品「ヒロシマの空をピカッとさせる」(2008年)の制作が、社会的騒動に発展しました。Chim↑Pomの意図は平和を訴える作品として原爆を意味する言葉を使用したが、市民や被爆者からは受け入れられず、その後予定された広島市現代美術館の個展は自粛となりました。

 

窪田望

窪田望ソース

窪田望は、AIなどの最先端技術を駆使した作家です。8歳までアメリカで過ごし、19歳で起業、SNSフォロワー数は30万人超。4万人いるウェブ解析士の中で2年連続日本一になりその後殿堂入り、データ解析やAI技術の特許を累計20件取得しています。

しかし、窪田は自らの事業を通じて、20年間AIやデータと向き合ってきましたが、AIの開発現場では他のデータと比べて異質なデータがあるとそのデータを「外れ値」と呼び排除してしまうことに違和感を抱くようになりました。

「そのやり方によって確かに最大公約数的にAIの恩恵を届けることはできるものの、ふと除外している外れ値の具体例を考えて、胸が痛んだ」と話す窪田は、除外している「外れ値」である社会的マイノリティーのデータに目を向けた《外れ値の咆哮》というテーマで作品制作をするようになりました。

年代

2022年-現在

ジャンル

インスタレーション

プロジェクト制作

経歴

1984年 アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ。

2003年 Creator’s NEXT創業。

2006年 慶應義塾大学総合政策学部 卒業。

2020年 東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻グローバル消費インテリジェンス寄附講座 / 松尾豊研究室(GCI 2019 Winter)を修了。

2021年  MIT Sloan School of ManagementにてBlockchain Technologies: Business Innovation and Application修了。

2022年  「価値デザインコンテスト」内閣総理大臣賞受賞。

2022年 フランスのルーブル美術館の中庭に「AI 模写」を出展。

2023年 アイルしながわで個展「断片的な日常」 を開催。

2023年 羽田イノベーションシティで個展「生まれては消える、消えては生まれる」 を開催。

2024年 東京藝術大学大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻 在籍。

 

生まれては消える、消えては生まれる

生まれては消える、消えては生まれる_窪田望ソース

AIがリアルタイムに詩をつくり、その詩を多言語に朗読します。その朗読秒数をAIが1ミリ秒単位で予測し、その秒数の時間分さまざまなシャボン玉が生成されます。シャボン玉発生器は5台あり、完璧に計算されているはずにも関わらず、必ず「景色の揺らぎ」が生まれます。

偶発的に作品を鑑賞した鑑賞者と生み出す泡々の軌跡は二度と再現できない一期一会の空間を生み出し、人々の心を魅了し、開催期間中に何度も訪れて没入感に浸る人が多数いました。

 

断片的な日常

断片的な日常_窪田望ソース

「断片的な日常」は、誰かの部屋の片隅で不用品として扱われていたスマートフォン70台をSNSを通して集め、吊るしたインスタレーション作品です。

吊るされたスマートフォンの中では操作映像を見ていると、誰かの日常を覗き込んでいるような感覚になります。しばらくすると画面が乱れ、ブラックアウトしていきます。静寂な暗闇の中、80秒間に一度だけ天窓が開いて太陽光が差し込むと、中央に枝垂れ紅葉が植林されていることに気づきます。不要品を必要不可欠にすることで、「不要」と呼ばれるものの「美しさ」を表現していました。

 

チームラボ

チームラボ株式会社はデジタルコンテンツの制作会社です。

アーティスト、エンジニア、数学者など様々な分野のスペシャリストから構成され、集団的創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、そして自然界の交差点を模索している国際的な学際的集団です。

クライアントワークを歯軸としていますが、2010年に村上隆に「世界で発表すべきだ」と言われ台北のギャラリーで初個展を開催し、それをきっけかに世界中から展示のオファーが舞い込むようになりました。

チームラボは最新のテクノロジーを駆使し、芸術表現も発表する、日本屈指のデジタルアーティスト集団で、日本のみならず世界中に常設展示されています。

年代

2005年-現在

ジャンル

デジタルアート

経歴

2001年 東京大学と東京工業大学の大学院生ら5名によって設立。

2002年8月 チームラボ株式会社に組織変更。

2011年 台湾・台北のカイカイキキギャラリーで初の個展を開催。第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画展に出展。

2013年 シンガポール・ビエンナーレに出展。

2016年 シンガポールのマリーナベイサンズで「FUTURE WORLD: Where Art Meets Science」を常設展示。

2018年 東京お台場に「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless」を常設展示。

 

チームラボプラネッツ TOKYO DMM.com

「チームラボプラネッツ TOKYO DMM.com」は超巨大な4つの作品空間や屋外作品を中心とした計7作品による「水に入るミュージアム」で、チームラボ株式会社とDMM.comが設立した、デジタルテクノロジーを活用したアート施設です。

水に入るため裸足で鑑賞し、コンセプトは「超巨大なアートに、他者と共に、身体ごと圧倒的に没入し、一体となる」をもとに制作されています。

現在は2022年秋まで開館予定となっております。

 

まとめ

欧米だけではなく、日本にも世界で活躍する現代アーティストがたくさんいます。

現代アーティストの作品は美術館だけではなく、ギャラリーでも鑑賞することができ、同じ時代を生きているからこそ共感したり、疑問に思ったりなどを感じ取れる面白さがあります。

日本の現代アーティストの今後の活躍に注目です。

 

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