ゴッホの「耳切り事件」とは?左耳を切り落とした理由について詳しく解説
特徴的な色使いと力強い筆致で見る人を引きつけるゴッホの作品。フィンセント・ファン・ゴッホは、その炎のように激しい画風から「炎の画家」と呼ばれています。
世界で最も有名な画家の一人として数えられるゴッホですが、彼が不世出の画家として語られる要因として、「自殺」という悲劇的な最後や、自分の左耳を切り落とした「耳切り事件」といったエピソードが、よりその画家像を神秘的なものに見せているのかもしれません。
今回はゴッホの「耳切り事件」の真相と、事件後に描かれた作品について詳しく解説します。
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「耳切り事件」が起こるまで
パリを離れ、南仏 アルルへ移住
ゴッホは1886年32歳の時、パリに住む画商の弟・テオのアパルトマンに移り住み画家として活動していました。
パリでは同じくポスト印象派と呼ばれる画家たち、ゴーギャン、ベルナール、ロートレック、スーラ、シャニックらとの交流がありましたが、パリの喧騒に疲弊していたゴッホはロートレックの勧めを受け、1888年2月34歳のとき南仏のアルルに移住します。
ゴーギャンとの共同生活そして別れ
ゴッホは強い太陽の光が降り注ぐアルルの風景を、当時あこがれていた日本の「浮世絵」に最も近い景色であると言って喜び、意欲的に制作に励みました。
ゴッホは画家による共同体をアルルに築くことを当時パリで交友のあった画家たちに提案します。
画家たちとの共同生活を楽しみしていたゴッホは、彼の代表作となる「ひまわり」の絵を、アトリエに飾るため複数枚制作しています。
しかし、ゴッホの熱心な呼びかけに応じたのは画家のポール・ゴーギャンだけでした。
1888年10月末、ゴーギャンがアルルに到着し「黄色い家」での共同生活が始まりましたが、制作に対する意見や価値観が合わず口論が多くなり、2ヶ月で共同生活は破綻してしまいます。
このゴーギャンとの別れをきっかけに「耳切り事件」が起こることとなります。
自分の耳を切り落とし、娼婦に送りつけるという恐ろしいエピソード
1888年12月23日、ゴーギャンがアルルを去った1週間後に、ゴッホはアトリエで自分の左耳下部を切り落としました。
彼の奇行はそれだけに及ばず、「耳たぶの一部を知り合いの娼婦に送りつけた」という衝撃的なエピソードが当時の地元の新聞「ル・フォロム・レピュブリカン」で報じられています。
オランダ出身のヴァンサン・ヴォーゴーグと称する画家が娼館1号に現れ、ラシェルという女を呼んで、「この品を大事に取っておいてくれ」と言って自分の耳を渡した。そして姿を消した。
ゴッホがなぜ左耳を切断したかについては諸説ありますが、「ゴーギャンがゴッホの描いた自画像の耳についてからかったため」とする説もあります。
ゴッホが耳切り事件を起こした要因
貧困にあえぐ生活
ゴッホの生前に売れた絵はアルル時代に描いた「赤い葡萄畑」1作品のみだと言われています。
画家になる以前のゴッホは画商や聖職者などの職に就こうとして挫折していますが、画家を志してから更に貧困生活に苦しむようになり、生活費のほとんどは弟のテオからの仕送りで賄っていました。
ゴッホにとって貧困生活は生涯に渡り精神を疲弊させる大きな要因だったと考えられます。
孤独な人生
ゴッホは激しい気性の持ち主だったと言われています。
周囲の人々とうまく付き合うことができず、友人のいないゴッホはいつも孤独で、唯一の理解者である弟のテオに手紙を書いては送るような生活でした。
パリの喧騒にも馴染めず、アルルで生活を共にしたゴーギャンとも結果別れることになり、強い孤独感が彼の精神を襲ったであろうことは想像に難くありません。
ゴーギャンとの価値観のずれ
当初は円満かと思えた2人の共同生活ですが、制作に対する価値観のずれが関係の悪化を引き起こしました。
写実主義のゴッホに対し、ゴーギャンは写実主義を嫌い想像で描くスタイルを主張するなど、次第に口論が多くなったと言われています。
事件の起こる半月前に、ゴーギャンは弟・テオにこのような手紙を送っています。
いろいろ考えた挙句、私はパリに戻らざるを得ない。
ヴァンサンと私は性分の不一致のため、寄り添って平穏に暮らしていくことは絶対できない。
彼も私も制作のための平穏が必要です。
ゴッホもテオに宛てた手紙の中で、
ゴーギャンはこのアルルの仕事場の黄色の家に、とりわけこの僕に嫌気がさしたのだと思う。
と書いています。
耳切り事件後の作品から垣間見えるもの
強烈なナルシシズム
耳切り事件の後、ゴッホはアルル市立病院に収容されることになります。
耳切り事件やその後も引き続いた発作の原因には諸説ありますが、ゴッホはてんかん又は総合失調症を患っていたという説が有力です。
ゴッホは退院するとすぐに「包帯を巻いた自画像」を二点描いています。
これはモデルを雇うお金がなかったという理由もありますが、人付き合いが得意ではないゴッホのことですから、創作の対象に鏡に映った自分自身を選んだとしても不思議ではありません。
絵を描くことへの情熱
精神異常を患ったゴッホは、その後も精神発作による入退院を繰り返し、4月下旬になるとアルルから20キロほど北東にあるサン=レミの療養所に入所しました。
その後もゴッホの絵を描く情熱は変わらず、療養所の一室を画室として使う許可を得て、精力的に制作に取り組みます。
療養時代に制作された「星月夜」「アイリス」「糸杉と小麦畑」などの作品には、ゴッホの代名詞とも言えるうねるような筆づかいが見られます。
度重なる発作と抵抗
サン=レミに滞在していた約1年の間にゴッホは何度か精神発作を起こしており、突然気絶したり、絵の具を飲み込もうとしたと言われています。
ゴッホは自身の発作について、
もう再発することはあるまいと思い始めた発作がまた起きたので苦悩は深い。
何日かの間、アルルの時と同様、完全に自失状態だった。今度の発作は野外で風の吹く日、絵を描いている最中に起きた。
とテオへの手紙に書いています。
その後、テオは自身のつてで、印象派の画家・カミーユ・ピサロの友人であった精神科医・ガッシェ医師に診てもらうようにゴッホに提案し、医師のいるパリ近郊のオーヴェル=シュール=オワーズに転居することになります。
耳切り事件後にゴッホが制作した作品
アルルの跳ね橋(1888年)
制作年 | 1888年 |
所蔵 | クレラー・ミュラー美術館 |
ゴッホはアルルで「ラングロワ橋」と呼ばれた跳ね橋を「アルルの跳ね橋」として全部で5作描いています。
跳ね橋で有名な国はオランダです。ゴッホは跳ね橋を見て生まれ故郷のオランダを思い出し、懐かしんだのではないでしょうか。
ゴッホの描いた跳ね橋は今ではありませんが、復元された跳ね橋がかかっています。5枚制作された中で、クレラー・ミュラー美術館が所蔵する作品が一番有名です。
ひまわり(1888年)
制作年 | 1888年 |
所蔵 | SOMPO美術館 |
アルルで他の画家たちを迎えるために、ゴッホは当初12枚のひまわりを制作する計画を立てていましたが、花の時期を過ぎてしまったため、ゴーギャンが来るまでに4枚のひまわりを描き上げました。そして耳切り事件の後、3枚のひまわりを描いています。
ロンドンのナショナルギャラリーにある「ひまわり」が最も有名で、花はもちろん、花瓶や置かれている台、そして背景の壁までをも含む全て黄色で、絵の具の塗り方やトーンにメリハリをつけて描かれいます。
日本にある「ひまわり」が5作目で、バブル時代の1987年に損保ジャパン日本興亜が58億円で落札され、現在はSOMPO美術館(東京)に展示されています。
これは耳切り事件後に描かれた作品で、ロンドンのナショナルギャラリーのひまわりをベースに描かれたと言われています。ロンドンのものと比べると、より深い黄色を使って15輪描かれています。
黄色い家(1888年)
制作年 | 1888年 |
所蔵 | ゴッホ美術館 |
「黄色い家」は1888年5月1日にゴッホが借りたフランスのアルルにあった家で、ゴッホが画家の共同体のベースとしようと夢見て借り、ゴーギャンと過ごした家です。
アルルでゴーギャンを迎えるために描いたと言われており、ひまわりの他、この「黄色い家」や「ゴッホの寝室」「夜のカフェテラス」が有名です。
この家は1944年の戦災により現存していませんが、作品はオランダのゴッホ美術館が所蔵しています。
星月夜(1889年)
制作年 | 1889年 |
所蔵 | ニューヨーク近代美術館 |
「星月夜」は、1889年6月に制作されました。
夜空を渦巻くように描いた表現は入院する前の作品には使われておらず、ゴッホの最も優れた作品の1つとして評価されています。
ゴッホがサン=レミにある療養院に入院中、部屋の東向きの窓から見える日の出前の村の風景を描いた作品ですが、ゴッホの病室からは左にある大きな糸杉や真ん中の下にある教会のようなものは見えなかったそうです。
ひげのない自画像(1889年)
制作年 | 1889年 |
所蔵 | 個人蔵 |
1889年9月末の「ひげのない自画像」は、ゴッホが生涯最後に描いた自画像と言われています。
ゴッホはその短い10年ほどの短い画業の中で37枚の自画像を描きました。
サン=レミでの療養中に描かれたこの自画像は、鏡合わせに見て切り落とされた左側の耳が見えないように、右の横顔のみ描かれています。
現存する作品は1998年に7150万ドルで売却され、当時では史上3番目に高値で売れた絵画となりました。
「ゴッホ」のおすすめ関連書籍
フィンセント・ファン・ゴッホ:失われたアルルのスケッチブック
ゴッホのアルル時代のスケッチ65枚が120年ぶりに姿を現したとして、美術界における最大の発見の一つとして大々的に発表された本の翻訳版です。
インク画のスケッチは、有名な酒場「カフェ・ド・ラ・ガール」の会計帳簿に描かれていました。
ゴッホが南仏アルルに滞在していた間、スケッチブックとして使った40.5x26cmの会計帳簿は、スケッチが描かれていることを忘れ去られたまま、カフェの食器棚に眠っていました。
この会計帳簿を発見した所有者の依頼をうけて、40年以上にわたりゴッホを研究してきた専門家らが3年をかけて「すべて真作」と鑑定したということでこの本が出版されましたが、ゴッホ美術館は異議を唱えています。
デッサンは原寸に近い大きさで精密に再現され、約200点の絵画・写真資料をオールカラーで収録しています。
ゴッホの耳 ‐ 天才画家 最大の謎
ゴッホが自らの片耳を切り落とした「耳切り事件」。ゴッホが何故こんな事件を引き起こしたのでしょう。
新発見の資料を通して、ゴッホが生きた世界を浮かび上がらせ「天才画家」ゴッホの知られざる一面をあぶり出すノンフィクションです。
37歳という若さでこの世を去ったゴッホ。
彼が絵を描いたのは、27〜37歳の間の10年ほどですが、「ひまわり」をはじめとする名作は、アルルとその後のサン=レミの療養時代に生み出されています。
耳切り事件の直接的な原因や、ゴッホの病名については未だ多くの謎が残っていますが、サン=レミで精神発作と闘いながら描いた作品には、彼の代名詞とも言える、うねるような筆使いの表現としての絶頂期を感じることができます。
ゴッホの作品を見る際には、こうした画家の背景についてもぜひフォーカスして見ると、芸術鑑賞がもっと楽しくなることでしょう。
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