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SOMPO美術館のゴッホ「ひまわり」返還を求め、元所有者の相続人がSOMPOホールディングスを提訴

2022年12月13日、ニューヨークとドイツに拠点を置くドイツ系ユダヤ人の銀行家、パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディの子孫である3人の相続人が、日本の保険会社・SOMPOホールディングスが所有するゴッホ作「ひまわり(1888)」の法的所有権返還を求め訴訟を起こしました。

 

SOMPOホールディングスの所有しているゴッホの「ひまわり」は、1987年に同社が58億円(当時の為替レートで3,990万ドル)で購入し、現在はSOMPO美術館(東京都新宿区)に所蔵・展示されています。

バルトルディ氏の子孫・相続人たち原告側は、メンデルスゾーン=バルトルディ氏が、1930年代にナチスからの迫害を避けるため、美術品コレクションを売却せざるを得なかった「被害者」であることを主張し、絵画の所有権を取り戻そうとしています。

 

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「ひまわり」の所有権に纏わる法的文書

ベルリンの銀行家、パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディ(Paul von mendelssohn-bartholdy)氏の子孫である3人の相続人は、2022年12月13日、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画「ひまわり(1888)」を所有するSOMPOホールディングスを相手に、7億5,000万ドル(約1,000億円)の懲罰賠償金を要求。

SOMPOホールディングスがイリノイ州でビジネス取引していたため、相続人たちはイリノイ州の連邦裁判所で提訴を行いました。

原告側は「ひまわり」が売却された経緯について、メンデルスゾーン=バルトルディが1930年代、ナチズムの圧力により、ゴッホの絵画7点の売却を余儀なくされたと主張。

98ページに及ぶ法的文書には、絵画の購入経緯から売却に至るまでのストーリーが記されています。

 

元々はドイツ系ユダヤ人の銀行家が所有

パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディ(1875-1935)は、ベルリンを拠点とする大手銀行「メンデルスゾーン社」の大株主でした。

メンデルスゾーン社は、当時ドイツで最も大きな銀行の一つであり、その規模は今日のシティグループやJ.P.モルガン・チェースに匹敵するもの。

同じくベルリン証券取引所などの役員も務めており、上流階級の生活を送っていた彼は、1918年から約25年間、私邸アルゼンシュトラーセに多くの美術品を収集していました。

 

ユダヤ人迫害により銀行を手放す

1933年11月以降、ナチス政権による独裁政治が始まりユダヤ人迫害が本格化すると、ユダヤ系の血を引くメンデルスゾーン=バルトルディにも脅威が迫りました。

メンデルスゾーン社は「ユダヤ人所有」の銀行と見なされ、メンデルスゾーン=バルトルディはすべての取締役会への出席を辞退させられます。

1939年までにはドイツ銀行に全ての資産を引き渡し、廃業に追い込まれてしまいました。

株主たちは何の補償も受けられず、ユダヤ人の役員は辞職に追い込まれ、ユダヤ人の従業員は強制解雇。

メンデルスゾーン一族は亡命を余儀なくされ、自殺を選ぶ者もいたといいます。

 

「ひまわり」を含むゴッホの絵画7枚を売却

ユダヤ人迫害から免れるため、メンデルスゾーン=バルトルディは自身の安全確保に奔走。

豪邸から借家に居を移し、財産や貴重品を次々とユダヤ人ではない妻エルザの名義に変更しました。

彼は妻のためにドイツ・バイエルンの小さな農地を高いローンで購入していましたが、1935年2月には彼女とその子孫に受け渡し、自身を課税対象から外しています。

 

彼が約25年間かけて収集してきた美術品の中には、ナチスが「退廃芸術」と蔑んだ近代絵画も含まれており、フィンセント・ファン・ゴッホの絵を7枚所有していました。

 

メンデルスゾーン=バルトルディ氏が
所有していた7枚のゴッホ作品

「古いイチイの木の幹」(1888)
「サンポール病院(サン・レミの病院)」(1889)
「The Public Park」(1888)
「The Town Hall at Auvers」(1890)
「Young Man with Cornflower」(1890)
「ひまわり」(1888)

 

彼は1935年までに、「ひまわり」を含む16点の絵画を、パリに拠点を置くユダヤ人美術商ポール・ローゼンベルクに委託します。

そして1935年5月10日、ナチス政権との戦いに疲れ果て、無念のうちにこの世を去りました。

 

1980年代、クリスティーズに「ひまわり」が登場

美術商ローゼンバーグに売却された作品は、原告側の弁護士が「強制売却」と呼ぶ方法で売却され、1980年にクリスティーズのオークションハウスに姿を現しました。

1980〜90年代にかけて、クリスティーズの専門家たちは、ゴッホが日本美術に強い関心を持ち、そこからインスピレーション得ていたことに注目していました。

そのため印象派絵画は「西洋美術を買い求める日本のコレクターと西洋人との間に対話を生み出す戦略」として利用され、その目論見は見事に当たります。

 

安田火災海上保険が58億円で「ひまわり」を落札

ゴッホの「ひまわり」は1987年3月30日、クリスティーズ(ロンドン)のオークションに出品され、SOMPOホールディングスの前身である安田火災海上保険が、当時のオークション史上最高額の58億円(当時の為替レートで3,990万ドル)で落札しました。

当時のオークション最高落札額は、同じくゴッホの「Landscape with Rising Sun」の990万ドルでしたが、それを大幅に上回る額に。

この売却は、ナチスに略奪された美術品や所蔵品の出所を確認し、ユダヤ人である元所有者の相続人と協議の上、「公正で公平な解決」を見出す「ナチス没収品に関するワシントン原則(1998)」が大手オークションハウスによって正式に採用される約10年前の出来事でした。

 

バブル経済と印象派ブーム

バブル経済に沸き、多くの日本人が海外の美術品を買い集めていた1980年代。

「ひまわり」の高額落札は、日本での印象派絵画ブームの幕開けを象徴する出来事になりました。

その翌年には大手ノンバンク「アイチ」を率いた森下安道がクリスティーズ株の7%を取得し、保有株を担保に美術品を購入できる数少ないエリート実業家の一人となりました。

1990年には、大昭和製紙名誉会長・齊藤了英が、クリスティーズのオークションでゴッホの「医師ガシェ博士の肖像」を落札し、史上最高額の125億円(8,250万ドル)を記録。

1989年の調べによると、当時オークションで取引された印象派絵画、近現代美術作品のおよそ3分の1が、日本人による出品・落札であると推定されています。

 

「ひまわり」の贋作騒動

ゴッホ ひまわり SOMPO美術館

しかしその後、安田火災海上保険(現 SOMPOホールディングス)が購入した「ひまわり」について、「贋作論争」が巻き起こります。

贋作…
本物そっくりに作られた偽物・模写作品。画家本人が制作した作品を「真作」という

大昭和製紙名誉会長・齊藤了英が購入した「医師ガシェ博士の肖像」も含め、どちらもゴッホの手紙や目録に記載されていないため、真作では無いのではないか、という疑いがかけられたのです。

 

「ひまわり」はメンデルスゾーン=バルトルディが購入する以前、フランス人画家のシュッフェネッカーが所有しており、1936年のゴッホ死去の際に、彼の親族たちが「シュッフェネッカーの目録の中に「新しく作られたゴッホ」という記述がある」と述べたことが、この疑惑を助長しました。

画家・シュッフェネッカー(Emile Schuffenecker)は、ゴッホの最初のコレクターの1人であり、ゴッホ作品の模写や習作を制作していたことが知られています。

 

絵の出所を調査した結果、ゴッホの義理の姉の証言により、1894年に画商のペール・タンギーがエミール・シュッフェネッカーに300フランで売ったものであることが証明されました。

シュフェネッカーが「ひまわり」の購入後に絵を修復したことも判明しており、その修復方法について、業界関係者からの疑いは晴れませんでした。

 

その後も調査が進められ、90年代には「ひまわり」が1901年にパリのベルナイムジューヌ画廊で、初めて展示された記録が発見され、ゴッホの真作であることが証明されています。

 

「ひまわり」の所有権返還を求める子孫・相続人たち

現在「ひまわり」は永久収蔵品として、SOMPO美術館に常設展示されています。

原告側、メンデルスゾーン=バルトルディの3人の相続人たちの訴えによると、SOMPOホールディングスは子会社を含め、総資産が1,000億円を超えており、この絵画を「商業的に利用して継続的な物質的利益を得ている」とし、以下のように主張しています。

安田火災海上保険は、「ひまわり」の出所について、メンデルスゾーン=バルトルディが1934年にベルリンでこの絵を売却したという事実を、故意ではないにしても無視し、無関心でした。

メンデルスゾーン=バルトルディはナチスによる政策と経済制裁により、1930年代半ばにゴッホ、ピカソ、モネ、ルノワールなどの作品を含むコレクションを売却せざるを得なかった「犠牲者」です。

 

さらには、安田火災海上保険が2000年に、シカゴ美術館とゴッホ美術館(アムステルダム)へ「ひまわり」を貸出・展示した際の同社の対応について、「安田火災海上保険はこの絵がナチス政策の犠牲者であると知っていたか、少なくとも疑っていたにもかかわらず、その疑いを確かめるのを恐れてそれ以上調査しなかった」と述べ、厳しく批判しています。

 

SOMPOホールディングスは熱心に反論

この訴えに対し、SOMPOホールディングスの広報担当者は熱心に反論。民事訴訟を主に扱うメディア『Courthouse News』の取材に対し、以下のようにコメントしています。

98ページに及ぶ訴状に書かれた申し立てを断固として否定します。

不正の疑いは一切なく、ひまわりの所有権を強力に擁護するつもりです。安田火災海上保険株式会社が、1987年にロンドンのクリスティーズからゴッホの絵画を公開オークションで購入したことは、公知の事実。

SOMPO美術館では、35年以上にわたって『ひまわり』を展示しています。

 

所有権返還をめぐる訴訟、「ひまわり」以外にも

メンデルスゾーン=バルトルディの相続人たちは失われたコレクションを取り戻すため、他にも提訴を行なっています。

2020年には、ナショナル・ギャラリー(ワシントンDC)からパブロ・ピカソのデッサンの所有権を奪回。

また、アンドリュー・ロイド=ウェバー財団からピカソの「アブサンを飲む人」の所有権を取り戻し、和解しています。

 

また、今回の訴訟以外にも、ユダヤ人迫害の被害者遺族による所有権返還を求める動きが高まっており、SOMPOホールディングスが提訴された2日後に、ユダヤ人迫害の被害者であるヘドウィグ・スターンの相続人たちが、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)とBasil and Elise Goulandris Foundation(アテネ)に対して、絵画の返還を要求しました。

原告側は、スターンがユダヤ人迫害から逃れるためアメリカに亡命する際、所有していたゴッホの絵画を没収された、と主張しています。

 

 

SOMPO美術館の最重要コレクションとして、35年もの間、日本で展示されてきたゴッホの「ひまわり」。

世界で相次ぐ返還要求について、今後の行く末を見守っていきたいところです。

 

 

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