2020/04/13

北斎浮世絵   
   アート    

「富嶽三十六景」とは?葛飾北斎の浮世絵46図を徹底解説

世界で尊敬される浮世絵師、葛飾北斎。

彼の代表作である『富嶽三十六景』は、2020年発行パスポートに採用されたことで、日本でも再び注目度が高まってきました。ここでは全46図のロケーションと作品の見どころを徹底解説いたします。

 

「富嶽三十六景」とは?

『富嶽三十六景』は、葛飾北斎の代表作です。富士山が見える景観を描いた、全46図の大判錦絵からなる名所集です。

初版は1830年頃より作成が開始され、1831年頃から1835年頃にかけて刊行されたと考えられています。板は、錦絵の代表的版元であった永寿堂西村屋与八が手掛けています。

当時流行していたプルシャンブルーを用いている点が、この作品の大きな特徴のひとつであり、その美しい色合いが人々の関心を引く要因にもなりました。また、この作品は役者絵や美人画と並ぶジャンルとして名所絵の地位を確立したと言われています。

葛飾北斎没後、1867年のパリ万国博覧会に出展された伝統工芸品や浮世絵がヨーロッパの人々の心をとらえ、日本美術に対する評価が高まっていきます。特に、浮世絵が与えた衝撃は絶大で、葛飾北斎の作品を筆頭に特に高い評価を得ました。その後「ジャポニスム」と呼ばれるブームを呼ぶようになります。

北斎の作品は、ヨーロッパを代表する印象派の画家をはじめとする芸術家を驚愕させ、彼らの作品に強い影響を与えました。特に、この作品が直接影響を与えたとされる人物は、フランスのポスト印象派画家であった画家アンリ・リヴィエールです。アンリ・リヴィエールは「フランスの浮世絵師」と謳われるほど、「ジャポニスム」に影響を受けた画家でした。収集した浮世絵から独学で木版画の技術を学び、『富嶽三十六景』をオマージュした『エッフェル塔三十六景』を発表しています。

また、『富嶽三十六景』は2020年発行の日本のパスポートの図柄に採用されました。そのため、今までより一層、作品への関心が高まっています。

 

作者の葛飾北斎ってどんな人?

葛飾北斎は、日本を代表する江戸後期の浮世絵師であり、現在まで海外で最も名の知れた画家です。

北斎は森羅万象を描き続け、生涯で3万点を超える作品を発表しました。なかでも『北斎漫画』や『富嶽三十六景』は北斎の代表作です。北斎は1760年に江戸本所に生まれました。

1779年には勝川春章に入門し、勝川春朗の画号で浮世絵画壇に登場しています。勝川派には約15年に渡って所属し、役者絵や美人画、戯作の挿絵などを学びました。師である春章没後は勝川派を離れて俵屋宗理を襲名しますが、以後は戴斗、北斎、画狂人、為一、卍老人など、30余り画号を使用していたと言われています。

1814年には絵手本をまとめた『北斎漫画』を発表し、70歳代に入ってからは代表作『冨嶽三十六景』をはじめとする、錦絵の揃物を次々と版行しました。最晩年は肉筆画も手掛けています。

1849年に死去し、当時としては珍しい90歳という長寿を全うしました。

北斎没後、その名はヨーロッパに広まります。欧米においても多大な影響を与え、アメリカの『LIFE』誌が「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」という特集を組んだ際、日本人で唯一、北斎だけが選出されました。北斎の作品は現在まで高い評価を得て、多くの人々に感動を与え続けています。

 

「富嶽三十六景」各作品を詳しく解説

1.江戶日本橋(えどにほんばし)

江戶日本橋は、東海道の起点である日本橋から西方向を望んだ景色が描かれています。日本橋は江戸の中心であったため、人の賑わいの多い場所でした。北斎は大胆な近接拡大の構図を取り入れ、遠方に見える厳粛な富士山と日本橋の人々の活気を対照的に表現しています。遠近法の焦点には江戸城を置き、中心に流れる川には舟の往来、川の両端には物流の倉庫が左右対称に描かれている点も見どころです。手前には溢れるほど大勢の人々が描かれていますが、日本橋の橋自体を描かずに雑踏を表現した北斎の技巧を見ることができます。

 

2.江都駿河町三井見世略圖(こうとするがちょうみついみせりゃくず)

作品名の江都駿河町とは現在の日本橋室町です。三井見世は三越百貨店の前衛である越後屋三井呉服店であることから、この作品は現在の日本橋三越百貨店から見える風景が舞台となっています。手前に描かれた三井見世の大屋根、そして看板に「現金掛け値なし」と商売口上が掲げられているように、活気ある江戸商家の姿が描かれています。また、瓦職人の躍動的に働く姿や正月の風物詩である凧の描画により、その後ろで白雪を頂きに残した富士山が、静かに庶民の生活に溶け込んでいる様子を想像させる作品です。

 

3.東都駿䑓(とうとするがだい)

現在は予備校の街として知られている神田駿河台。当時この近くには武家屋敷が立ち並んでいました。高台から望む富士はさぞ美しかったことでしょう。荷を担ぐ行商人の姿や巡礼、お供を連れた武家、額に手をかざすもの、扇で風を入れる者などと、季節感ただよう風俗描写となっています。多用された緑が、富士の白さを一層引き立てています。大名屋敷の屋根越しに見える富士山が描かれています。摺師が水分の調整でぼかすため高度な技術が必要な拭き下げぼかしが背景です。

 

4.東都浅草本願寺(とうとあさくさほんがんじ)

東都浅艸本願寺は、現在の台東区浅草にある東京浅草本願寺を指します。本来のお寺は神田明神下にありましたが、1657年の江戸の大火により浅草へ移転されました。大屋根を持つ建築に、当時の江戸庶民は驚愕しましたそうです。北斎は瓦職人を実際の比率よりも小さく描くことで、屋根の大きさを強調しています。この作品は、富士山と屋根の相似形が北斎らしい構成の見どころです。瓦職人は富士山を登頂しているように見ることもできるため、その関係性を富士信仰とする見方も存在します。

 

5.本所立川(ほんじょたてかわ)

本所立川は現在の墨田区立川に位置します。当時は立川周辺には材木問屋の材木置き場が数多くありました。作品に描かれているのは、隅田川と運河として使用されていた堅川が交わる場所です。木職人の姿が生き生きと描かれており、北斎の巧みな人体表現を見ることができます。また、職人が立て掛けた木材の太さや長さ、その奥に富士山を覗かせることにより、画面全体に遠近感がもたらされています。材木職人と富士山以外は、直線的に構成されている点も見どころです。

 

6.深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)

深川は現在の東京都江東区に位置し、万年橋は小名木川と隅田川が合流する地点に存在します。当時の深川は、隅田川を渡った「川向こう」と呼ばれ、新しいものに溢れた自由な雰囲気のある町でした。そんな土地に掛けられた万年橋は、人の往来で多く賑わいがあったそうです。北斎は万年橋を構図の中心に置き、人々の生活の様子を描写しました。川を渡る2隻の舟の舳先が、富士山へと視線を導いている点にも注目できます。また、深川は海抜が低く、洪水対策のために橋の石積みは高くされていました。奥に描かれた富士山との対比で、万年橋の大きさを確認することができます。

 

7.五百らかん寺さゞゐどう(ごひゃくらかんじさざえどう)

江東区大島3丁目に存在していた五百羅漢寺がこの作品の舞台です。五百羅漢寺の栄螺堂と呼ばれる3階からの眺望が描かれています。当時の庶民には、栄螺堂から角田川を越えて見える景色が大変人気でした。この作品は西洋の遠近法が使われているため、床の板目や屋根の勾配、人々の手の先の方向が富士山を向かっていることが分かります。また、人々の着物や持ち物が細かく描き分けられている点も見どころのひとつと言えます。

 

8.青山円座松(あおやまえんざまつ)

青山円座松は、現在の渋谷区神宮前にある竜岩寺の庭中にあった笠松を指します。この立派な笠松は、江戸の名所のひとつでした。作品には、庶民が展望の良い場所から笠松を眺め、楽しそうに酒を酌み交わしている様子を見ることができます。笠松の後ろには、実際の大きさとは異なる富士山が描かれていますが、間に描かれた霞雲によって、視覚的な距離を持たせることに成功しています。また、尖った富士山と丸い笠松の対比は、いかにも北斎らしい表現です。目を凝らすと、笠松を支える支柱の中に松葉を掃除する人の足を見つけることができるなど、見どころの多い作品です。

 

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9.隠田水車(おんでんのすいしゃ)

隠田水車は、現在の渋谷区神宮前の原宿周辺です。当時は田園地帯が多かったため、水車のある風景が当たり前に広がっていました。この作品は、今は地下に埋設された渋谷川の水流を利用した水車とたくましく働く農民の姿が描かれています。農民の生き生きとした身体の動きや川の流れの細かな表現は、北斎独自の躍動感ある表現と言え、高い評価を得ています。また、遠くで静かに佇む富士山も、動きのある描写を引き立てています。

 

10.下目黒(しもめぐろ)

下目黒は現在の目黒区一帯の地域です。当時の目黒は田畑が広がる農村地帯でしたが、一方では将軍が鷹狩りをする御鷹場としても有名でした。そのため、作品には農民と鷹師がそれぞれの特徴を持って描かれています。起伏に富む丘に広がる田畑は、農村の人々のたくましい労働の姿を表し、その間から富士山がひっそりと顔を出しています。この作品は一見視点が分散するように感じますが、左右対称の構図と中心に富士山を配置することにより、画面が引き締められています。

 

11.礫川雪ノ且(こいしかわゆきのあした)

礫川雪ノ且は、北斎が『冨嶽三十六景』で唯一、雪景色を描いた作品です。題名にある礫川は現在の文京区小石川に位置し、周辺の高台にあった眺望の良い茶屋がメインに描かれています。雪の降った朝、雪見を楽しむ人々で茶屋が賑わっている様子を見ることができます。女性の指先をたどると小さな鳥が3羽空を飛んでおり、空の高さや広さ、富士山までの距離を感じさせる役割をしています。また、題名の雪ノ且の「且」は、「旦」の誤りであるとされています。

 

12.御厩川岸両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)

御厩川岸とは現在の台東区蔵前2丁目あたりの隅田川岸を指します。この場所は当時、幕府の御厨河岸とされていました。日没の時分なのか、対岸の景色や遠くに見える富士山、そして両国橋は全て、逆光をを表すようにシルエットで描かれています。渡し舟と両国橋の弧の形が対照になっている点も特徴的です。この作品は『凱風快晴』『山下白雨』『神奈川沖浪裏』の三役に次いで評価はが高い作品です。また、この作品のように夕日の朱色が残っているものは少なく、貴重な作品とも言えます。

 

13.隅田川関屋里(すみだがわせきやのさと)

関屋の里は、現在の京成線の関屋駅付近、千住仲町から千住関屋町付近一帯を示しています。当時、この周辺は風光明媚な土地として知られていました。この作品には3人の武士が描かれており、その武士の姿態が同じであることで馬の疾風間が表現されています。また、姿態とは反対に着物や馬の配色に変化がある点も見どころのひとつです。躍動感のある松の近景と霞の残る早朝を表す赤富士の遠景の対比も面白い作品です。

 

14.武州千住(ぶしゅうせんじゅ)

この作品は、現在の足立区千住桜木1丁目と2丁目の境あたり、帝京科学大学入口交差点付近が舞台になっています。当時の千住は農村地帯である一方、日光街道や奥州街道の宿場として栄えていました。この作品は宿場としての賑わいではなく、馬を曳く農夫や釣りに興じる人々のゆったりとした時間を描かれています。釣り竿の先は、水門の奥の富士山に視線を誘導する役割をしています。また、馬の蹄と農夫の手綱を結んだ逆三角形と富士山の三角形が対照になっており、北斎の画面構成の技巧さを感じることができる作品です。

 

15.従千住花街眺望ノ不二(せんじゅはなまちよりちょうぼうのふじ)

この作品は、現在の台東区浅草の宿場町から、台東区千束の花街である新吉原を眺めた景色が描かれています。近景には鉄砲や毛槍を携えた大名行列が描かれており、その中の数名が遠景の富士山の方角に顔を向けています。画面真ん中の稲刈りが終わった田んぼでは、休憩をとる農婦が面白そうに行列を見ており、視線の交錯が面白い作品です。田んぼの様子や富士山が雪をかぶっている姿から、初冬の景色であることが読み取れます。

 

16.武陽佃嶌(ぶようつくだしま)

中央区佃島は現在は、もともとは隅田川の河口に自然にできた寄洲でした。川家康は幕府を江戸に置くにあたり、大阪の佃村の漁夫を呼び寄せて住まわせ、彼らの故郷にちなんで佃島と名付けました。佃島の漁夫は優先的に漁をする資格を持っており、特に11月から3月に行われた白魚漁は、江戸の風物詩とされていました。作品にも盛んな漁の風景が描かれています。島の周りには魚釣りの乗合舟やいさり舟で賑わっており、東京湾の奥には富士山が佇んでいます。ほとんどの船首が富士山の方向に向いているところに、北斎の構成の特徴を見ることができます。

 

17.上總ノ海路(かずさのかいじ)

この作品は、現在の千葉県にある三浦半島と房総半島に挟まれた海峡、浦賀水道周辺で描かれた作品とされています。当時、房総半島には多くの港があり江戸と結ぶ海運で賑わっていました。この作品の見どころのひとつは、多数の弧の形にあります。北斎は地球が丸いことを観察によって知っていたのか、水平線に丸みを持たせています。また、舟や帆の形にも弧を見ることができます。ほかにも、遠景にある富士山が帆と船首を結ぶ筈緒の中におさめられているところにも、北斎の幾何学的構成の面白さを見ることができる作品です。

 

18.登戶浦(のぼとのうら)

千葉市中央区にある登戸神社からの景色がこの作品の題材となっています。現在は工業地帯になってしまいましたが、描かれているのは神社の鳥居から見えた湾の様子です。2つの鳥居は実際はもっと離れた距離に建っていますが、北斎が好んだ近接拡大法を使用した構成がなされています。また、鳥居の形状と富士山の形状を相似形にさせているところに、北斎の作品の特徴が現れています。登戸浦は、江戸築地に荷揚場を持ち、年貢米や海産物を房総半島から江戸に海上輸送する拠点のひとつでした。この辺りは遠浅で潮干狩りの格好の地でもあったため、作品の中に生き生きと働く人々の様子も見ることができます。また、茜色の雲が描かれていることから、夕方の時刻であることがわかります。

 

19.常州牛堀(じょうしゅううしぼり)

牛堀は現在の茨城県潮来市に位置する霞ケ浦の水郷です。苫で屋根を葺いた荷舟と船頭の生活の様子が描かれています。この作品の特徴は、水郷の静かさが表現されている点にあります。船頭が流している米のとぎ水の音と白鷺の羽音の2音のみを感じることができ、藍の色味ともに静かな朝の風景を引き立てています。当時、霞ケ浦は富士山を眺望できる場所として知られた場所でした。

 

20.東海道品川御殿山ノ不二(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)

品川御殿山は、品川区北品川にある高台です。東海道に面し、将軍家の品川御殿が置かれていたことから、桜の木が植樹された経緯を持ちます。当時、この場所は桜と海を一度に楽しめる名所として賑わっていました。作品には、今とは変わらない花見を楽しむ人々の様子が描かれており、人々の視線の先には桜と海、富士山をたどることができます。人物のしぐさや持ち物の描写も楽しい作品です。

 

21.神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)

この作品は、現在の横浜にある本牧沖から富士山を眺めた景色が描かれています。『凱風快晴』『山下白雨』とともに「三大役物」と呼ばれ、日本の浮世絵の代表作として国内外で知られている作品でもあります。高く波打つ海と揉まれる舟、その奥に静かに佇む富士山に構成に、静と動を共存させた北斎の作風を見ることができます。波のうねりや一筋一筋の水の流れ、富士山のなだらかな稜線は全て対数螺旋の構成となっています。

 

22.武州玉川(ぶしゅうたまがわ)

武州玉川は、現在の多摩川の様子を描いた作品です。山梨から東京を経て神奈川に流れる多摩川ですが、この作品は調布辺りの渡し場からの眺めとされています。単純な構成に見えますが、川の表現の美しさが最大の魅力と言えます。水面が白く輝いて見えるように濃淡が付けられ、細波は絵の具を使わずに摺られた、空摺りの技法で表現されています。船頭が富士山の方向を指しているところに、北斎の構成の特徴が現れています。

 

23.東海道程ヶ谷(とうかいどうほどがや)

題名の程ヶ谷は、現在の横浜市保土ヶ谷区に位置します。保土ヶ谷区は東海道の宿場としても有名な場所で、旅の道中に富士山を眺めて楽しんでいる人々の様子を見ることができます。程ヶ谷宿近くの品濃坂には美しい松並木があり、北斎は松の枝振りを見事に表現していました。この作品は、フランス印象派の画家であるクロード・モネの名作『ポプラ並木』に影響を与えたことでも有名です。

 

24.相州七里濵(そうしゅうしちりがはま)

ソース

この作品は、現在の鎌倉市にある稲村ヶ崎から相模湾越しに見た風景です。前景には鎌倉山、中景には七里ヶ浜の集落が描かれており、後景には白雪を頂いた富士山が描かれています。北斎の作品の中では珍しく人物が描かれていませんが、後景に見える文様化された入道雲が静かな画面に動きを出しています。また、鎌倉山と富士山の類似した形を巧みに構成している、北斎らしい作品と言えます。この作品は、僅かな緑のほかは藍一色で仕上げられている点も見どころのひとつです。

 

25.相州江の嶌(そうしゅうえのしま)

神奈川県藤沢市に位置する江の島を描いた作品です。江の島は当時も観光スポットとして人気の場所でした。現在は江の島へ渡る橋が架かっていますが、当時は作品に描かれているように、干潮時の砂州を歩いて渡っていました。江の島には「日本三大弁財天」のひとつである江島神社があり、小さく描かれた人々が弁財天参りに道を急ぐ様子を作中に見ることができます。画面には建物の屋根や帆船、そして富士の形と三角の形が溢れている点も注目です。

 

26.相州仲原(そうしゅうなかはら)

仲原は、現在の平塚市にある相模平野の中心を指します。江戸と結ぶ中原街道が通っていたため、多くの人の往来が多い場所でした。そのため、作品には様々な旅人の様子が描かれています。この辺りはもともと、風景が良く富士山が良く見えることで有名でした。また、富士山の手前に描かれた山は大山で、神仏習合の霊場であった大山詣は、当時の庶民から人気を集めたようです。

 

27. 相州梅澤左(そうしゅううめざわのひだり)

題名の「梅沢左」とは、「梅沢在」または「梅沢庄」の誤まりだと考えられています。舞台は現在の神奈川県二宮町梅沢地区辺りです。この場所は、宿や茶屋が立ち並ぶび休息所として繁盛していました。優麗な富士山の姿や優雅な鶴の群れは、北斎が自己の澄みきった心境を表していると言われています。稜線が美しい薄紅色の雲の描写は、46枚中『凱風快晴』に次ぐ評価がされています。

 

28.相州箱根湖水(そうしゅうはこねこすい)

神奈川の箱根町にある芦ノ湖を舞台にしています。北斎の作品の中では稀な、生き物や人物の描かれていない作品です。画中には北斎の念密な構成が見られます。富士山や木々の三角形に対し、丸みのある山や霞の表現がこの作品の特徴です。また、波ひとつない湖面が「天下の嶮」箱根山を越えて見える芦ノ湖の静かで荘厳な空気を表しています。この霞の多用は、北斎が大和絵を学んだ片鱗がここに現れたと言えます。

 

29.甲州三嶌越(こうしゅうみしまごえ)

三嶌越は、山梨と静岡の境にある籠坂峠を越え、御殿場を通り三島を抜ける辺りです。この作品見どころは、大胆に配置された大木であり、その陰に寄り添うように富士山を描いている点にあります。沸き立つ雲も手伝い、雄大な自然の描写に成功しています。通りすがりの人々が巨木に驚き、手をつないで大きさを測ろうとしている仕草も面白い作品です。この作品が発表される以前の1817年に、絵手本『北斎漫画 七編』でも同じ題名の作品を載せていますが、そこに巨木は描かれていません。

 

30.駿州片倉茶園ノ不二(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)

駿河は現在の静岡県富士市を指します。静岡は当時から京都の宇治とともにお茶の名産地として名の知れた土地でした。この作品にも大規模な茶園で働く人々が描かれています。茶摘みをする人、摘んだお茶の葉を運ぶ人、馬の背に乗せる人など細かな描写が面白い作品です。富士山には雪が多く残っていることから、新春の茶摘みの様子であることが想像できます。しかし実際には、片倉が静岡のどの辺りであるかは、いまだに分かっていません。また、馬には茶園とは無関係であるはずの版元の永寿堂の家紋が見えることから、競争の激しい版元の宣伝も組み込まれていると考えられます。

 

31.駿州大野新田(すんしゅうおおのしんでん)

大野新田は静岡県富士市の南部にあり、沼沢地を干拓してできた土地だと言われています。この場所は、富士を正面に見る絶好の場所でとして知られた場所でした。そのため、遠景の富士山が大きく描かれていることが、この作品の特徴のひとつです。近景には沼沢地に茂った芦の刈り取りをした農夫たちが牛を引き連れ、夕日に染る富士山を背に家路につく様子が描かれています。羽ばたく鳥の大きさの変化により、空間に奥行きを感じさせています。

 

32.山下白雨(さんかはくう)

この作品は、『神奈川沖波裏』や『凱風快晴』とともに「三大役物」と呼ばれています。また、『凱風快晴』が「赤富士」と呼ばれることに対し、この作品は「黒富士」と呼ばれています。この作品の特徴は、画中に対照的な天候を描くことによって、富士山の高さや大きさを視覚的に訴えてくる作品です。下界は黒雲がたちこめて稲妻が走り、上空は澄んだ青空に雲が浮かんでいます。この富士山をどの場所から見て描いたのかは、いまだに定かにはされていません。

 

33.凱風快晴(がいふうかいせい)

富士山が描かれた浮世絵の代表的な作品です。『神奈川沖波裏』や『山下白雨』とともに『富嶽三十六景』シリーズの「三大役物」です。また『山下白雨』が「黒富士」と呼ばれているのに対し、この作品は「赤富士」と呼ばれています。赤く染まった富士山の麓には青々とした樹海が描かれ、色彩の対比を見ることができます。題名の凱風とは、南風のことを指しています。また、晩夏から初秋にかけて、早朝に朝日を浴びた富士山が赤く染まる現象があることから、その様子を描いた作品だと考えられます。いわし雲や富士の山頂に雪渓が残る姿も晩夏から初秋にかけて多く見られます。

 

34.諸人登山(しょにんとざん)

諸人登山は、『富嶽三十六景』シリーズで唯一、富士山の山容が描かれていない作品です。富士山信仰する富士講と呼ばれる人たちが、富士山の頂を目指して険しい山道を登っている様子が描かれています。彼らの表情や姿態から、登山の過酷さをうかがい知ることができます。画面右上に見られるのは石室で、登山者の休憩所のような役割をしていました。これほどつらい思いをしてでも富士山を登頂することは意味のあることであり、富士山に対する尊敬の思いを感じることができる作品です。

 

35.駿州江㞍(すんしゅうえじり)

江㞍は、現在の静岡県清水市にあります。この作品の最大の見どころは、目に見えない風をさまざまな物の動きを使って表現されているところです。道ゆく人々が突風に飛ばされないように笠をおさえて身をかがめる様子や、女性の懐の懐紙は天高く何枚も飛ばされている表現から、北斎の観察力の高さを知ることができます。一方、風に耐える木の奥で平然と佇む富士山の姿は、自然の強靭さを表しているようです。この作品は、イギリスの写真家ジェフウォールが影響を受けた作品として、海外で有名になりました。

 

36.東海道江尻田子の浦略(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)

この作品には、「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける」と奈良時代の万葉の歌人である山部赤人が詠み『百人一首』にも収録された、田子の浦の絶景が描かれています。田子の浦とは静岡県静岡市清水区にある駿河湾西沿岸を指す名称です。歌にあるように、遠景には山頂に雪を頂いた富士山が悠然と佇んでいます。中景には松原と浜辺の塩田で働く人びとの姿が小さく描かれ、近景には大小4隻の舟が描かれており、空間の広さと富士山の大きさを強調しています。また、富士の稜線と同じ大きさの弧で手前の舟が描かれている点も注目して見たい構成のひとつです。

 

37.東海道金谷ノ不二(とうかいどうかなやのふじ)

金谷は東海道の宿場で大井川の渡河点でした。現在の静岡県島田市に位置します。この場所は、「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と歌に詠まれたほど、東海道最大の難所として有名でした。そのため、作品にも荒く波立つ大井川の様子を見ることができます。北斎は強靭な自然に立ち向かう旅人たちを苦労を携えながらも、生き生きとした様子を描きました。その様子を尊大に見守る富士山との対比が面白い作品です。

 

38.逺江山中(とおとうみさんちゅう)

ソース

遠江は現在の静岡県を指します。大きな材木に乗り、鋸の目立てをする木挽き職人たちの緊張感ある仕事ぶりを中心に描いていますが、たき火をしている子供や母親に背負われた赤子が大きな材木に興味を示している様子などから、どこかのどかさも感じさせる作品です。この作品の見どころは、材木を支える足場の三角形と、その間から姿を見せる富士山の三角形の相似形の構成と言えます。また、たなびく煙の表現が手前と奥で異なる点が面白い作品です。

 

39.東海道吉田(とうかいどうよしだ)

東海道吉田は、現在の愛知県豊橋市にあります。吉田城の城下町として賑わいのある町でした。この作品の制作には、室内を通して見える富士を描くという試みがなされ、富士山の良く見える不二見茶屋が舞台になりました。わらじの紐を直す人や旅に疲れて休む人など、北斎の巧みな描写が随所に現れています。特に、富士山をゆったりと眺めている女性の姿が秀逸で、文政時代の北斎の女性描写の特徴を見ることができます。

 

40.尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)

不二見原は、現在の愛知県名古屋市中区富士見町周辺です。この作品は、樽職人が一生懸命に大樽づくりをしている様子が描かれています。その大樽の輪の中に小さな三角形の富士山が配置されており、北斎の幾何学的構成の面白さと遠近法を見ることができます。この作品の舞台は『富嶽三十六景』のシリーズの中で最も西に位置し、『常州牛堀』に次いで遠距離から富士山を眺めています。ただし、この地から見える峰は南アルプスの聖岳であり、実際に富士山は見ることができません。

 

41.甲州犬目峠(こうしゅういぬめとうげ)

犬目峠は現在の山梨県上野原市に位置し、富士山の眺めが良いことで知られた土地でした。この作品の富士山は、裾野から頂上に向けて変化する山肌の表情を白、藍、茶の3色で描き分けられている点が特徴です。近景には富士山とは反対に、一面緑で覆われたなだらかな峠が描かれており、小さく描かれた人々が峠を登っていく姿に、この眺望の雄大さと穏やかな時間の流れを見ることができます。富士山の下方に見える白雲は、桂川の溪谷から湧き上がってたものです。

 

42.甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん)

この作品は、甲府盆地から河口湖へ抜ける御坂峠からの眺望が描かれています。湖面に映りこむ富士の姿は「逆さ富士」と呼ばれ、北斎が描いたなかでも人気の高い作品のひとつです。赤茶けた山肌があらわになった夏の富士山が描かれていますが、湖面には冬の富士山が描かれています。また、正確な形で反転されていないことからも、別々の視点から見た富士山が組み合わされて描かれていると考えられています。

 

43.甲州伊沢暁(こうしゅういさわのあかつき)

伊沢は現在の山梨県石和町を指します。当時の石和は甲州街道の宿場で、甲州伊沢暁は宿場から見える富士山が描かれています。作品の時刻は早朝で、宿内では暗いうちから出立する人々の慌ただしい様子が伺えますが、富士山は朝靄の中でまだ闇をまとって佇んでいます。陽が昇りきる前の景色が、落ち着いた色調によって豊かに表現され、北斎の巧みな表現力を見ることができます。

 

44.信州諏訪湖(しんしゅうすわこ)

この作品は、信州側から見た富士山を描いた「裏不二」と呼ばれる作品のひとつです。近景に描かれた大きな松2本と祠を中心に、ほぼ左右対称の構図である点がこの作品の特徴と言えます。さらに、北斎の得意とする近接拡大法により、画面に奥行きを感じることのできる作品です。画面左側、広々とした諏訪湖を越えて見えるお城は高島城で、そのさらに奥に富士山が描かれています。また、諏訪湖の左側にのみ舟が一隻描かれていることで、左右の均衡が保たれています。

 

45.甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)

甲州石班澤は、現在の山梨県南巨摩郡富士川町鰍沢の景観を描いたものです。鰍沢は、甲府盆地を流れる笛吹川と釜無川が合流地点を指し、川の合流後は駿河湾へと流れる日本三大急流の富士川となります。そのため、作品にも川の荒波が描かれていますが、岩場では黙々と網を打つ漁師の姿や子供の存在が対照的で、ほのぼのとした雰囲気も持ち合わせている作品と言えます。岩場の形状から漁師の姿態、そして手元からピンと張った網は後景に描かれた富士山の相似形です。初摺は藍色のみで摺っていましたが、後に色の数が増やされました。

 

46.身延川裏不二(みのぶがわうらふじ)

身延川とは、現在の山梨県南巨摩郡身延町にある身延山を源流に持ち、日蓮宗の総本山である久遠寺の周辺を流れ、波木井川に合流する川を指します。富士山さえも圧倒するような身延川の急流の激しさや身延山の険しい山々、そして沸き上がる白雲からは、迫るような大自然の険しさを感じます。特に水が折り重なるように描かれた激流の表現は、この作品の見どころのひとつです。作中の旅人たちは、険しい自然を横目に久遠寺への参詣をめざして進んでいますが、実際の風景はほど遠く、北斎の心情風景であるとも言われています。

 


まとめ

『冨嶽三十六景』は葛飾北斎の技巧が詰まった大作であると同時に、世界中が認める浮世絵の代表作です。

遠近法や幾何学的要素を使用した大胆で緻密な構成、そして鮮やかな色彩、繊細な描写は、富士山の雄大さはもちろん、その土地の美しい自然や生き生きとした人々の姿を最大限に引き出しています。

『冨嶽三十六景』の発表から長い時が経っていますが、これからも作品に残された北斎の技巧を通じて、多くの人々に感動を与え続けるでしょう。

皆さんも本物に触れる機会があれば、ぜひ足を運んでみてくださいね。

 

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