2020/05/26

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ルノワールとは?代表的な絵画から人生までを徹底解説!

幸福の画家ルノワール

印象派を代表する画家、ピエール=オーギュスト・ルノワール。

日本でも大変な知名度を誇るため、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

その明るく穏やかな画風から「幸福の画家」と称賛されるルノワールですが、意外にも長い下積み時代を経験しています。しかし、どのような状況下においても絵画への情熱は途切れることがなく、生涯で数多くの傑作を残しました。

今回は、時代ごとの代表作を交えながらルノワールの人生を紐解いていきます。

ルノワールの生い立ち

ルノワールは、1841年にフランス中西部の町に生まれました。

13歳の時に磁器工場で働き始め、陶磁の絵付け職人として才能を発揮しますが、産業革命の影響で職を失ってしまいます。それを機に、以前から関心のあった絵画の道を志すようになりました。

1861年にはシャルル・グレールの画塾に入り、印象派の絵画制作を始めます。また、1862年には国立美術学校にも入学しました。戦後、1974年に第1回印象派展を開催。1879年のサロン・ド・パリでは高評価を獲得し、画家としての地位を確立します。1880年代からは新古典主義の影響を受け、さらに独自の画風を確立しました。

晩年のルノワールは、病気に蝕まれながらも創作活動への情熱は冷めず、1919年に亡くなるまで精力的な絵画を描き続けました。

 

ルノワールの経歴と代表作

初期

ルノワールは1854年より磁器工場で働いており、幼いながらも一流の絵付師として才能を認められていました。

仕事をしながら無料のデッサン教室に通い、1860年にはルーヴル美術館で模写の権利を獲得しています。この頃、ルーベンスやブーシェ、フラゴナールなどの色彩派と言われる画家に影響を受けました。

しかし、産業革命の影響で機械生産に移行し始めると、ルノワールの仕事は激減したため、海外宣教師の掛け布や扇子の装飾を描くなどして生活費を得ました。

 

画塾・サロン時代

1860年初頭、ルノワールは失業をきっかけに画家を志し、国立美術学校と並行してスイス人画家シャルル・グレールに師事していました。

グレールの画塾には、クロード・モネやアルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらがおり、ルノワールは彼らとともに印象派の表現を追求ていきます。

1863年からは、画家の登竜門であるサロン・ド・パリへ挑戦し始めました。しかし、幾度となく出展を続けるものの画家としての評価は著しくなく、苦しい下積み時代を経験します。

「ラ・グルヌイエール」(1869)

当時、中流階級の人々が頻繁に訪れたパリにほど近い水浴場「ラ・グルヌイエール」の風景が描かれています。ルノワールはこの水浴場で、水面に反射する太陽光の表現を熱心に模索していたと言われています。

 

普仏戦争時代

1870年に普仏戦争が勃発し、ルノワールも第10騎兵部隊として戦地に駆り出されました。

しかし、健康不良から1871年には動員が解除され、療養を経てパリに戻ります。ルノワールは粛々と絵画制作を再開しますが、その当時のパリは動乱の真っ只中であったため、スパイと勘違いされて逮捕されるなどのトラブルを経験しました。ルノワールは動乱を搔い潜るように両親のいるルーヴシエンヌへ逃れ、画塾仲間のシスレーとともに絵画制作を続けました。

 

印象派時代

戦後もサロンに挑戦し続けたルノワールでしたが、神話や宗教画、歴史画などの保守的な絵画が主流のなか、印象派の評価は厳しいものでした。

そのため、ルノワールは印象派の仲間とともに、自ら展覧会を開催することにします。

こうして開かれた展覧会が、1974年の第1回印象派展です。印象派展を通じてルノワールの作品は少しずつ注目を集めていきます。特に、1977年の第3回印象派展に出展した『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は高い評価を得ました。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876)

パリのモンマルトルに実在する「ギャレットの風車」の名を持つダンスホールでの舞踏会の様子が描かれた作品です。

画中の人物たちは、ルノワールの友人たちがモデルになっています。ルノワールはこのダンスホールの近所に住んでいましたが、大きなキャンバスを持ち運ぶ事が困難な為、現場で描いた小さな絵をアトリエに持ち帰りこの作品を描き上げました。

1877年の第3回印象派展に出品された本作品はルノワールの代表作でもあり、印象派作品の中でも最も有名な名画に数えられます。

 

サロン・旅行時代

印象派展で高い評価を得たルノワールでしたが、サロンでの評価を得られていない画家には画商やコレクターに絵を購入される機会はありませんでした。そのため、再度サロンへの挑戦を始めます。

1979年、裕福な出版業者シャルパンティエの依頼で制作した肖像画が入選したことをきっかけに、サロンで初の高評価を得ました。

画家として不動の地位を確立し、安定した生活を手に入れたルノワールは、1980年からアルジェリアやイタリアをはじめ、世界各地を訪れました。特にイタリア旅行では、フランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワやイタリアの画家ラファエロ・サンティに強い影響を受けるなどしました。ルノワールはこの美術探求の旅を、約20年間に渡り続けていきます。

「舟遊びをする人々の昼食」(1881)

セーヌ川畔のレストラン「メゾン・フルネーズ」のテラスの風景が描かれており、特に人物描写に力が注がれた点がこの作品の特徴といえます。のちにルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴが、最も手前で子犬と遊んでいます。

1882年の第7回印象派展では「新鮮で自由で、猥雑さを感じさせない」などと、3人の批評家から最も優れた作品であると高く評価されました。

 

古典主義回帰時代

イタリア旅行でラファエロと出会ったことは、ルノワールにとって大きな転換点となりました。

以来、「新古典主義」に関心を持ったルノワールは印象派から離れ、緻密なデッサンと正確なフォルム、落ち着いた色合いを特徴とする厳格な様式へと転向していきます。この間に数々の作品を制作して展覧会に出展を続けたルノワールでしたが、一方では新古典主義と印象派の間で揺れ動き、表現の葛藤も抱えていました。その苦しい期間は4年ほど続きます。

1888年以降になると、表現の問題は解決の糸口を見出します。それは、古典的な主題の一つである裸婦像を彫刻的に描きながらも、印象派時代の柔らかな筆使いと、明るい色彩で描く独自の画風に到達したためでした。

「ブージヴァルのダンス」(1883)

印象派の色彩表現を活かしつつも、古典的な表現を見ることができる作品です。

ダンスをモチーフとした3部作のひとつであり、他に『田舎のダンス』と『都会のダンス』と題された作品が同年に発表されました。夏の光の中で情熱を燃やす恋人たちの恍惚感が伝わってきます。まるで画面から音楽が聞こえてくるような軽やかな作品です。

現在はボストン美術館に所蔵されており「美術館で最も愛される作品のひとつ」と評価されています。

 

晩年

1890年、ルノワールは7年ぶりとなるサロンに出展しますが、この出展を最後にサロンから引退します。

1897年にはパリを離れ、南フランスのカーニュに家族とともに移りました。関節炎とリウマチにより、絵筆を握ることができなくなりましたが、身体の不自由さがあっても絵画への情熱を失うことはなく、絵筆を手に縛りつけて制作を続けました。

主に肖像画や豊満な裸婦像を手掛け、1919年に78才で亡くなるまでに多くの傑作を残しました。

「ピアノによる少女達」(1892)

パリにあるリュクサンブール美術館の依頼で制作された作品。

二人の少女が熱心にピアノに向かう姿を、豊かな暖色を用いて豪奢に描いています。柔らかい肌の質感や、温もりを感じる色彩描写が高く評価されています。印象派時代から古典主義時代を経て到達した、ルノワール独自の表現を見ることができる美しい作品です。

 

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「幸福の画家」ルノワール

絵は楽しく美しく愛らしいものでなくてはならない」。それがルノワールの絵画制作に対してのテーマでした。

画家としての生活は、決して順風満帆ではありませんでしたが、ルノワールの作品はいつの時代の作品も温かさ溢れる穏やかな時間を感じることができます。また、モネをはじめとする印象派の画家が風景画を描くなか、血色が良く美しい女性、素朴な庶民の日常などを好んで描いたことにも説明が付きます。

ルノワールはフランスの小説家オクターヴ・ミルボーは、1913年に刊行されたルノワールの画集の序文で「ルノワールの人生と作品は幸福というものを教えてくれる」と語っており、「幸福の画家」という称号が広く浸透しました。

 

ルノワールと印象派

印象派は、19世紀後半のフランスで発した芸術運動です。

ルノワールは、グレールの画塾の仲間であったモネやシスレー、バジールとともに、印象派発足のの主要メンバーでした。フランスは17世紀以来、新古典派の影響下にある王立美術アカデミーが行政や教育を支配しており、画家として成功するにはアカデミーが主催するサロン入賞が重要視されていました。

アカデミーでは歴史画が最も高貴なテーマであり、画面に筆の跡を残さない技法が模範とされていました。しかし、印象派の画家たちはアカデミーに従わず、パリの風俗や風景をテーマとし、筆跡を残すなどの伝統的な技法から逸脱していたため、アカデミーは印象派を評価しませんでした。

印象派の画家たちはアカデミーへの対抗策として、1874年に自ら主宰する第1回印象派展を開催しました。1886年まで連続して開催することで、次第に印象派の画家たちは画商や富裕層から評価され、突出した存在になっていきました。

 

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まとめ

ルノワールは、生涯で4,500点以上の作品を残しています。

印象派の確立、そして古典主義の探求を経て独自の画風を追求し続けるなど、自身の絵画への情熱はただならぬものでした。また、ルノワールは「人生には不愉快な事柄が多い。

だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない。」という言葉を残しています。ルノワールが自身の貧しい生い立ち、そして苦しい下積み生活を経験してもなお、美しい作品を描き続けられたのは、絵画への誠実さと信念の表れではないでしょうか。

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