狩野派とは?狩野派の歴史、永徳・探幽など有名絵師と代表作を詳しく解説
狩野派は、幕府の御用絵師として襖や障壁画などを制作した絵師集団です。
室町〜江戸時代までの約400年にわたり画壇の中心に君臨しました。
画家としては、狩野派の創始者である正信(まさのぶ)、桃山時代の天才画家・永徳(えいとく)、画家の最高位「法印」についた探幽(たんゆう)などが有名です。
今回は「狩野派」の成り立ちから、有名絵師とその代表作について分かりやすく解説します。
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狩野派とは?
狩野派は幕府の仕事を請け負った専門の絵師集団です。
狩野派の始祖、狩野元信から始まる「狩野家」の血縁者を中心に構成され、家の格式や序列によって、城や寺院などの障壁画を制作する絵師が決まりました。
戦国時代が終わり、江戸幕府に入って社会が安定すると、狩野家は幕府から障壁画の制作依頼を受けるようになり、狩野正信は一門の絵師を率いて集団で制作にあたりました。
狩野派の絵師たちは、現代のような各々の個性を活かした制作スタイルではなく、先祖伝来の粉本(ふんぽん、絵の手本)や、筆の使い方を忠実に学び、継承しました。
こうした制作スタイルから、後世には「芸術的創造性を失っていった」という指摘もありますが、こうした学習方法は、当時他の流派でもみられる一般的な学習方法でした。
狩野派は桃山・江戸時代を通し幕府御用絵師としての地位を保ちましたが、徳川幕府の崩壊とともに消滅しました。
狩野派の有名絵師と略系図
青:室町時代の画家
狩野正信(1434-1530)
狩野元信(1476?-1559)
緑:安土桃山時代の画家
狩野永徳(1543-1590)
狩野山楽(1559-1635)
赤:江戸時代の画家
狩野探幽(1602-1674)
狩野一信(1815-1863)
*今回この記事では、黄の絵師に関する解説は省略しています。
狩野正信(1434-1530)
室町幕府第8代将軍・足利義政(よしまさ、1436-1490)に仕え、幕府御用絵師として活躍した、狩野派の始祖・狩野正信(まさのぶ)。
それまで将軍家の御用絵師は、禅の修行を積んだ「画僧」と呼ばれる絵師たちが務めてきましたが、正信は僧の修行をせずに、初めから幕府御用絵師として活躍し、絵師としての人気を確立した画期的な人物です。
当時は中国人画家のスタイルが人気で、中国風様式の依頼が多くあったため、正信は仏画だけでなく水墨画(漢画)や、肖像画も描きました。
正信の特徴は、要望された通りに描いたことです。
「漢画」(中国の絵画)と「やまと絵」を巧みに描き分け、注文に応じて様式を描ける専門絵師として、足利将軍家だけでなく、禅宗寺院からの注文も獲得していきました。
狩野元信(1476?-1559)
正信の後を継いだ狩野元信(もとのぶ)は、さらに顧客層を広げ、公家や有力町衆など次々と新しい客層を獲得しました。
顧客層の拡大とともに依頼も多様化し、従来の仏画や漢画だけでは需要を満たせなくなっていきます。
そこで元信は、やまと絵の積極的な受け入れに取りかかりました(その縁があってか、後にやまと絵画派の土佐家から妻を貰っています)。
鳥の種類や松の幹と枝、岩の筆遣いは漢画の手法で、地面や雲への金箔の使用や草木の描き方はやまと絵の画法により描かれた「四季花鳥図屏風」(しきかちょうずびょうぶ、上)は、漢画とやまと絵を融合させた新たな試みでした。
さらに元信は、門弟に様々な絵画様式を習得させることに成功し、工房制作のスタイルを確立しました。
工房制作により大量生産が可能に
当時は、牧谿(もっけい)など中国・南宋時代の画家の作品が人気を集めていたため、「牧谿様(もっけいよう)で描いて欲しい」という依頼が多く、日本の絵師たちは牧谿の筆使いを真似て描くようになりました。
しかし、誰もが牧谿の作品を見ただけで完璧に再現できるわけではなく、作品の完成度にはバラつきがあります。
そこで元信は、複数あった様式を書道の類型である「楷(書)・行(書)・草(書)」になぞらえ、緻密な構図で硬く描く「真体」、少ない筆数で形を崩す「草体」、その中間の「行体」の「真・行・草」に整理しました。
元信のマニュアルを徹底して叩き込むことによって、弟子は描き方を理解し、組織的に均質な絵を大量に描くことができるようになりました。
狩野永徳(1543-1590)
狩野派の御曹司として生まれた狩野永徳(えいとく)。
幼くして画才を認められ英才教育を受けた永徳は、10歳にして足利将軍・義輝(よしてる)にお目見えしています。
信長から上杉謙信のもとへ贈られた「洛中洛外図屏風 上杉本」(らくちゅうらくがいずびょうぶ、上)を完成したのが永徳23歳の時というから驚きです。
卓越した画力を発揮した永徳は、父・松栄(しょうえい)から頭領の座を譲られ、若くして4代目を継ぎました。
33歳の時に信長の安土城を、その後秀吉の大阪城、ついで聚楽第(じゅらくだい、秀吉が京都に建てた邸宅)に腕を振るいましたが、これら巨大建築を一任されたその忙しさから健康を害し、48歳という若さで急逝しました。
「花鳥図襖」 16世紀
「花鳥図襖」(16世紀)には、巨大な松や梅の幹が天空に伸び、樹の枝は画面左右に広がっています。
大胆な構図とスケールの大きい表現は、安土桃山時代を築いた織田信長、豊臣秀吉に好まれました。
天下統一に向け、岩壁を掴み上がるように群雄を割拠したふたりですが、彼らの上昇志向の気質を具現化したかのような永徳の巨木表現は、二人に突き刺さる何かがあったのでしょう。
この永徳の大画面方式は、長谷川等伯などの巨匠たちにも影響を与えています。
狩野探幽(1602-1674)
狩野探幽(たんゆう)は、狩野派絵師である狩野孝信(たかのぶ)の長男として、京都に生まれました。
探幽は幼少の頃から絵が上手かったようで、13歳の時には将軍・徳川秀忠(1579-1632)から祖父永徳の再来と絶賛されています。
16歳で江戸に招かれ幕府の御用絵師となり、22歳の時に命を受けた大阪城、25歳の時に完成させた二条城、32歳の時に命を受けた名古屋城など、江戸幕府の依頼で様々な幕府要所の障壁画を制作していきました。
また大徳寺、妙心寺など、京都の大寺院の障壁画も担当しています。
狩野探幽は61歳の時に「法印」と呼ばれる画家としての最高の位を与えられます。
探幽が法印の位を授かったことで、狩野派は御用絵師集団として確固たる地位を築くことに成功し、法印の位は探幽以降も子孫たちに受け継がれました。
探幽様式
祖父・永徳の巨木表現は、絵の外に迫り出してくるような構図と華やかな描写が特徴的でしたが、探幽は対照的に、モチーフを画面の枠内に収めた、安定的な構図が特徴です。
永徳の迫力のある構図とは対照的に、画面に十分な余白をとり、余白の中に趣を封じ込めたのです。
32歳の時に請け負い、翌年完成させた「雪中梅竹遊禽図襖」(せっちゅうばいちくゆうきんずふすま、上)では、雪の降り積もった老梅が、二等辺三角形を意識したように枝を伸ばしています。
左の枝の先には1羽の小鳥が枝先を見つめ、その間に詩的な空間を表現しています。
余白を支えるために墨の濃淡を調節するなどして成り立つ軽やかな纏まりが、探幽の魅力です。
狩野山楽(1559-1635)
狩野家の血筋ではない狩野山楽(さんらく)は当初、将軍の身辺の雑用を務める小姓(こしょう)として豊臣秀吉に仕え、その後画才を認められて永徳の門に入りました。
1590年、永徳が秀吉に命じられた東福寺法堂(はっとう)天井画の制作途中に倒れると、あとを引き継いで絵を完成させたのが山楽です。永徳は山楽を一番弟子と思っていたのでしょう。
山楽は永徳のような豪快な表現を得意としましたが、やまと絵の学習を深め、樹木や岩を装飾的に美しく整えていく画風に進みました。
「牡丹図襖」(上)の牡丹を近く大きく描いた大胆な構図は、永徳風のスケールや豪華絢爛な桃山文化風を感じさせますが、岩の描写ではあえて画風を変えています。
晩年には、二条城行幸(ぎょうこう)御殿の障壁画制作にも関わっていますが、中心的な部屋は「江戸狩野」の絵師に独占されてしまい、格下の部屋を受け持たされました。
京狩野(きょうかのう)
室町〜桃山時代の政権は京都にあったため、狩野宗家(一門の本家)も京都に拠点を置いていました。
しかし、政権が豊臣から徳川に移りかわるタイミングで、狩野家は政権が移る可能性のある各方面に、派内の有力画家を送り込みます。
豊臣家には永徳の一番弟子山楽を、徳川家には探幽を、そして宮廷へは孝信を送りました。
徳川幕府が政権を握ると、幕府御用絵師は探幽となり、探幽はのちに狩野派の本拠地を京都から江戸に移しました。
京都に残った山楽一門を「京狩野派」と呼び、探幽一門を「江戸狩野派」と言います。
狩野一信(1815-1863)
1858年の江戸近郊大地震や疫病の流行などが重なった幕末期の世の中は、人々の心に不安と苛立ちを募らせ、こうした時勢により、奇怪なモチーフを描く絵師が増えました。
狩野一信(かずのぶ)もその一人です。
幕末の江戸に生きた一信は、琳派の絵師に学び、後に狩野章信(あきのぶ)に師事しました。
狩野派の伝統的な手法に加え、西洋から伝わった「陰影法」「遠近法」を積極的に取り入れたその画風は、従来の狩野派はもちろん、それまでの絵画表現の常識とは異なるものでした。
幕末という不安な時代の空気を反映し、約400年続いた狩野派の最後を飾る異色の存在です。
「五百羅漢図」19世紀
一信といえば、彼が1854年から没年までかけて描いた、東京・増上寺の「五百羅漢図」が有名です。
羅漢図は1幅に5人ずつ、計500人の羅漢を100幅に描きました。
画面(高さ約172cm、幅約85cm)いっぱいに、羅漢たちの修行や日常の姿、衆生を救済する様子が描かれています。
羅漢や僧侶には極端な陰影表現が見られ、羅漢の腹を割って出てくる釈迦など劇的な表現は、幕末期の不安な世相を感じさせます。
全長100メートルに及ぶ超大作絵画「五百羅漢図」(下)は、村上隆が本作から着想を得て制作したことで有名です。
近代日本画への影響
江戸幕府の終焉とともに狩野派は消滅しますが、その後も絵画の教育機関として機能し続け、日本画壇をリードしていきます。
河鍋暁斎など多くの画家を輩出し、琳派の尾形光琳、円山派の円山応挙なども初期には狩野派に学んでいます。
同じく狩野派に学んだ狩野芳崖(ほうがい)、橋本雅邦(がほう)は、東京美術学校(現・東京藝術大学の前身の一つ)を設立した岡倉天心にも大きな影響を与えました。
まとめ
幕府御用絵師として、室町〜江戸時代までの約400年にわたり、日本画壇の中心に君臨した狩野派。
壁画や屏風絵を大量に制作するために、狩野派が生み出した工房制作スタイルと学習方法は、日本絵画史において画期的な出来事だったと言えるでしょう。
現存する作品からも、彼らの描画技術の高さが窺えます。
狩野派の作品を見る際には、作家ごとの特徴や時代背景にもぜひ注目してみてください。
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