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「ポスト印象派」とは?有名な画家と代表作品を分かりやすく解説

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「ポスト印象派」とは?

後期(ポスト)印象派は1886年から1905年までの約20年間に渡り、主にフランスで活躍した画家たちのスタイルを指します。

印象派と言われるとルノワールやモネのような画家の作品が思い浮かびますが、後期(ポスト)印象派と言われてもよくわからない方が多いのではないでしょうか。

それもそのはず、後期(ポスト)印象派は画風が同じ画家グループの呼称ではなく、同時代に活躍した画家をまとめるための便宜的な呼び方だからです。

ですので、一概に後期(ポスト)印象派と言っても画家によって作品のスタイルは異なります。

後期(ポスト)印象派は、印象派の後を継ぐものではありません。
19世紀後半から巻き起こった印象派旋風に対し、影響を受けつつも自分で新しいスタイルを確立していった画家たちを指すのです。

 

活躍したアーティスト

フィンセント・ファン・ゴッホ
ポール・ゴーギャン
ポール・セザンヌ
ジョルジュ・スーラ
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

 

フィンセント・ファン・ゴッホ

1853年3月30日(享年37歳)

ゴッホは、オランダのポスト印象派の画家で、西洋美術史において最も有名で影響力のある芸術家の1人と言われています。
幼い頃からナイーブな性格で、高等学校を中退後、親の紹介で就職したものの失恋からうつ病を発症し仕事も手に着かず解雇され、そこからゴッホは亡くなるまでずっと精神障害を患い続けました。

次に聖職者を志すも自らの自傷行為が止められずその道も絶たれ、その後、弟のテオの勧めで画家になります。ゴッホは生涯で約2100点以上の作品を描いていますが、作品の大半が精神病の悪化から入退院を繰り返し自殺するまでの約2年間に制作されており、精神崩壊の加速具合と比例するように晩年は1日に1,2枚ととてつもないスピードで描いていたと言われています。

不気味に画面がうねるようなタッチは精神的な乱れからと言われていますが、ゴッホは浮世絵から強く影響を受けており構図や配色などを学ぶため多くの浮世絵の模写を残しています。

死後、作品は高く評価され多くの画家達に影響を与えました。幸せとは言えないゴッホの人生ですが、現在は世界中の美術館がゴッホの作品を所蔵しグッズも数多く販売され、世界中から愛される画家となっています。

 

ポール・ゴーギャン

1848年6月7日 – 1903年5月8日(享年54歳)

ポール・ゴーギャンは、ポスト印象派を代表するフランス出身の画家です。

それまでの印象派とは異なる実験的な色使いの作品を制作した彼は、当時周囲から大きな批判を受けましたが、彼の作品は後の前衛美術家や近代美術に大きな影響を与えています。

ゴーギャンはゴッホと共同生活を送った画家としても知られています。制作スタイルの違いから、二人のすれ違いは「耳切り事件」に繋がってしまいます。喧嘩別れになった後も二人は手紙のやり取りを続け、ゴーギャンは『肘掛け椅子のひまわり』を描き上げています。

彼が愛したタヒチは、絵のモデルとなったテフラと出会い、愛情あふれる生活を送った思い出深き場所でもあります。ゴーギャンの生誕170周年には、映画『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』が制作されました。

作品「いつ結婚するの」は約3億ドルで売却され、世界で最も高額に取引された美術作品の一つとして有名です。

 

ポール・セザンヌ

1839年1月19日(享年67歳)

セザンヌは、フランスのポスト印象派の画家です。当初印象派としてモネやルノワールたちと活動していましたが、次第に伝統的な約束事に捉われない独自の様式を探求するようになりました。

幼い頃からとても裕福な家庭に育ち、父の跡を継いで銀行員になることを求められましたが、強く反発し、大学卒業後に芸術家を志し小説家の友人ゾラの勧めでパリへ移りました。

移住当初は8回連続サロンの審査で落選するなど厳しい評価を受けており、私生活でも妻子を隠していたことが父親に知られてしまい、仕送りが止められ金銭的にも厳しい生活を送っていました。

しかしその後、父親が他界し巨額の遺産を相続したことで経済的不安もなくなり、代表作となる静物画などの製作に専念できるようになり次第に世間からも評価されるようになりました。

晩年は多くの若手芸術家に慕われ、自然を自身の感覚で円筒、球、円錐として捉える考えや、写実主義の印象派とは異なるデフォルメされた作品は、のちにキュビズムを提唱・創設するピカソやマティスなど、次世代の画家たちに多大な影響を与えたことから現代では「近代絵画の父」と言われています。

 

ジョルジュ・スーラ

1859年12月2日(享年31歳)

スーラは、フランスの後期印象派の代表的な画家です。印象派の中でも科学的印象主義者と呼ばれ、理論的・科学的に色彩を分割し絵を描き上げる「点描画」を生み出した創始者です。

パリの裕福な家庭で育ったスーラは、正規の美術教育を受け、1年間の兵役を終えた後は、親からの仕送りの中で不自由なく絵を描きながら生活していました。

スーラは大作を仕上げる際、素描や油彩で下絵を何度も描くなど、細かく研究をした後に本製作に取り掛かっており、代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は2年間掛けて完成させています。

死の直前まで、画家仲間や母親に内縁の妻と子供がいることを黙っているほどの秘密主義者で、現在分かっているスーラの私生活の情報はほんの僅かです。

しかしながら今日において、技法や色彩について美術の授業で必ず教えられる内容の一部はスーラが研究し生み出したものであり、現代において多大な功績を残していると言えます。

 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

1864年11月24日(享年36歳)

ロートレックは、ポスターを芸術の域にまで高めた功績を高く評価されているフランスの画家です。

母親に絵の才能を見出され絵を描き始めますが、近親婚の遺伝子疾患が原因で足の成長が止まってしまい活動が制限され孤独な青春時代を過ごします。

その後パリに出て、自身が身体障害者として差別を受けていたこともあり、娼婦や踊り子など夜の世界の女性に共感し、彼女たちを描いた作品を多く残しています。

日本美術から強い影響を受けており、ポスターやリトグラフにはイニシャルを漢字のようにアレンジしたサインを用いています。

脳出血で亡くなったロートレックの最期の言葉は、障害を持つ息子を蔑み、最後まで自分の絵を認めてくれなかった父親への「馬鹿な年寄りめ!(Le vieux con!)」だったとされています。

 

印象派とジャポニズム

印象派を語る上でジャポニズムは欠かせません。
ジャポニズムとはその名の通り、当時の日本文化に影響を受けた画家たちの作品スタイルです。

19世紀後半にフランスで開かれた万国博覧会をきっかけに、日本美術がヨーロッパで大流行しました。
19世紀後半といえば、日本は江戸から明治に移り変わる時代。西洋との交流が濃密になっていった時代です。

浮世絵や扇子のような美術品、工芸品はヨーロッパの人々の目に非常に真新しく映ったに違いありません。

印象派の画家たちは自分の絵に次々と日本風のエッセンスをちりばめていきます。

後期(ポスト)印象派で言えばゴッホが最も大きくジャポニズムに影響されていました。
彼は日本に憧れ、日本こそ自分の行くべき場所であると考えていました。

残念ながら来日することは叶いませんでしたが、彼の作品には日本の影響が顕著に見られます。

 

ポスト印象派の傑作4選

1.星月夜

 

作者  フィンセント・ファン・ゴッホ
制作年 1889年
所蔵  ニューヨーク近代美術館


解説

ゴッホは画家として認められぬままこの世を去った画家です。

ゴッホの作品といえば燃えるようなうねりをイメージします。
彼は印象派の作品たちに影響を受けながらも、それまで誰も描いたことのなかった、燃えるような画風の作品を生み出した点で革新的でした。

星月夜」は青い夜空と月の明るい光、糸杉のシルエットが美しく印象的ですが、実はゴッホが拳銃自殺をする前年の1889年に描かれたもの。

糸杉の黒を大胆に画面に描く構成は、ジャポニズムの影響も受けていると考えられます。

この「星月夜」は精神病院に入院していたときに描かれていて、当時は世間に評価されることはありませんでしたが、今日ではこの「星月夜」は誰もが一度は見たことのある作品となっています。

 

2.我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

 

作者  ポール・ゴーギャン
制作年 1897年 – 1898年
所蔵  ボストン美術館


解説

ゴーギャンはフランスの画家ですが、人生の早いうちに実業家として成功しています。

画家としては様々な試練や困窮があったものの、西洋美術の写実表現に異を唱え、後期にはタヒチに渡っています。またゴッホとの共同生活も彼に大きな影響を与えました。

作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」は、1897年から1898年のかけて製作された作品で、画面右は人生の始まり、真ん中は成人期、左は老年期を表しています。

作品にはタヒチの南国らしい雰囲気が漂う一方、青白い配色が不気味でもあります。

ゴーギャンは晩年人生に絶望しており、この絵画が完成したら自殺をするつもりでしたが、未遂に終わっています。ゴッホと同様、劇的な人生を送った画家です。

 

3.リンゴとオレンジのある静物

 

作者  ポール・セザンヌ
制作年 1895-1900年
所蔵  オルセー美術館


解説

セザンヌは「現代美術の父」と言われています。セザンヌがいなければ現代美術は始まらなかったと言っても過言ではありません。

当初はセザンヌはルノワールやモネとともに印象派グループに属していましたが、グループを離れ独自の作品を生み出しました。

セザンヌの作品の素晴らしさは、絵画に「多視点」を取り入れたことです。正面に見えるリンゴだけでなく、テーブルの上のすべてのリンゴを美しく描く、画面構成を全く無視した技法です。

リンゴとオレンジのある静物」は、当時のパリの批評家たちには冷笑されたものの、マティスやピカソといったその後の画家たちに大きな影響を与えました。

セザンヌはこうした静物画を多く描き、この他にもたくさんのリンゴを描いた作品があります。

 

4.グランド・ジャット島の日曜日の午後

 

作者  ジョルジュ・スーラ
制作年 1884年 – 1886年
所蔵  シカゴ美術館


解説

スーラは31年という短い生涯の中で光を探求し続けました。

スーラはポスト印象派に分類されることもありますが、光の追求という点では印象派の画家たちの延長上に位置し、「新印象派」の代表でもあります。

スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は1884年から1886年に描かれた作品です。

スーラはパリ西部のセーヌ川にあるグランド・ジャット島に何度も通い、人々を観察しました。

この作品は近くで見るといくつもの小さな点で描かれています。
配色を少しずつ変えながら細かい点で絵を描くことにより、作品がより鮮やかになっているのです。

スーラの光学理論や色彩理論を取り入れた画風は当時も唯一無二の存在でした。
1886年の第8回印象派展に出品された際は高く評価されています。

 

「ポスト印象派」のおすすめ関連書籍3選

『もっと知りたいゴッホ―生涯と作品』

 

ゴッホの生涯と数々の名作を紹介している、ゴッホを知りたい人のための入門書です。

ゴッホの作品は今日では高く評価されていますが、彼が生きていた間に作品は全く売れなかったと言います。

貧しい生活、弟テオの支え、精神病、日本への憧れ、ゴーギャンとの共同生活など、ゴッホの人生には様々な印象的な場面があります。

37歳の若さでこの世を去った巨匠の全てを、作品とともに知ることができます。この本を読めばゴッホの作品を見るのが一層面白くなるはずです。

価格¥1,728 東京美術

 

● 読者の感想

”ゴッホが日本を理想化していたのにはびっくりしました。とても面白かったです。”

”ゴッホが本当は伝道師になりたかったことや、聖職の道を断念して27歳で画家を目指し始めたということや、彼の作品には実は宗教色がこいということをこの本で知りました。”

 

『ゴーギャン:私の中の野性』

 

若くして父親を亡くし、困難な少年時代を送ったゴーギャン。

20代のうちに実業家として成功するも株式の暴落で人生は一転、その後の画家としての人生も山あり谷ありで、彼の人生は一言では語れません。

写実性を重視する西洋美術よりもアフリカや南米の自由で明るい、のびのびとした画風を好んだゴーギャンはタヒチへと移り住みます。

自己発見の道を求めつづけたゴーギャンとその作風の移り変わりを解説しています。

価格¥1,728 創元社

 

● 読者の感想

”ゴーギャンがどのような人物、性格で同時代の人々にどのように見られ、受け入れられていたかも興味深く、詳しく書かれていますので読み応えもありました。”

”この本はその難解なタヒチの作品を読みとく豊富な資料や解説も魅力ですが、タヒチに渡る以前のゴーギャンにも同じような労力が割かれている感じがあってフランス時代のゴーギャンを知りたい人にお勧めです。”

 

『印象派で「近代」を読む』

 

光を使った斬新な印象派の画家たちは芸術全般に多大な影響を及ぼしましたが、著者は「”光”を駆使したその斬新な描法が映し出したのは、貧富差をはじめ、近代社会がつくりあげた矛盾の”闇”であった」とこの本で語っています。

劇的な変動の只中にあった19世紀のフランスの美術の移り変わりを、話題作『「怖い絵」で人間を読む』でおなじみの中野京子氏が新たな視点から解説しています。

印象派の始まりマネからポスト印象派のゴッホまでを語る、美術史を知らない人でも楽しめる本です。

価格¥1,080 NHK出版

 

● 読者の感想

”印象派と当時のフランスの社会情勢が俯瞰できる名著です。日本の浮世絵や若きアメリカとの関係も分かりやすく書かれており、歴史の読み物としても初心者向けかつ切り口や語り口が面白いです。”

”美しい印象派から、貧困や女性等の目を背けがちな闇の部分までが紹介されていて勉強になった。”

 

● 知っておきたい!西洋美術史の基本知識

 

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